第3話:祝祭の日に

 荒れた舗装路を走るトラックの荷台で、疲れ切った労働者たちが揺られている。けれどもいつもと違って、そこにはどこか安堵したような空気があった。翌日は10日に1度の休日だからだ。


「休日前の仕事終わりって、いいよね。疲れてるんだけど、ワクワクしてさ」


「いまから寝るまでが、一番好きかも」


 若いふたりの無邪気な言葉にも、いまは誰も口を挟まない。いまだけは、小さな希望に身を委ねていたいからだ。


「明日でお前も15歳かぁ」


「なんかね、ドゥルーさんが連れて行きたいところがあるって」


「へぇ、いいなぁ」


 しかし貨幣がもはや価値をもたなくなった壁外には、娯楽施設も、商業施設もない。そもそもみな、働き手は政府によって強制的に労働へと駆り出されてしまう。

 それでも、日常とは違う場が用意されることに、イオは何かしらの期待を抱かずにはいなかった。


 トラックが乗り合い場に到着し、荷台から降りていく。降りた場所にはいつも、今日の晩と次の日の朝のぶんの食糧が大きな箱の中に入れられている。

 1人1食あたり、豆3粒と芋1個。イオもコベンも、無生産者である保護者の分を含めて、2人分の食糧を持ち帰る。


「……無生産者はいいよなぁ」


 どこからともなく、妬みとも皮肉ともとれない声が聞こえる。労働者と無生産者で、なぜか配給の量に差は設けられていない。というよりも、「無生産者」と呼ばれ、家に印がつけられること以外に、権利上の扱いに違いはないのだった。


 しかしそのレッテルは、人々の差別感情を助長した。「無生産者はフレームレス化しやすい」という噂がもたらす周囲からの視線は、当人たちの自己肯定感を著しく低下させ、その家庭にはしばしば暗い影が落ちるのだった。



 *



 倒壊した家屋が点在する街並みに、ドゥルーさんをはじめとする5人ほどの無生産者たちが、イオの15歳の誕生日を祝うために集まっていた。


 彼らは瓦礫や廃材を器用に組み合わせて、屋外に大きなテーブルを作り上げた。質素ながらも、どこか温かみのある飾り付けが施され、ささやかながらも祝祭の雰囲気を演出している。


 テーブルには、皆の工夫によって配給の芋と豆がさまざまな料理に姿を変えていた。ふかし芋は塩とハーブで風味豊かに、豆はスープや炒め物、潰して団子状にしたものまで、創意が凝らされている。


「あの小さな子が、もう15になるんだねぇ」


「こんな世の中だけどよ、若いヤツらの成長は嬉しいもんだよ」


「むしろそれしか楽しみがねぇってな」


 皆の温かい言葉に、イオは申し訳ないような、くすぐったいような気持ちになっていた。この過酷な世界で、自分の存在を肯定してくれる人たちがいる。自分はまだここにいてもいいんだ。その感覚に、イオはなんだか自分が世界とつながっているような気がしてくる。

 道ゆく人たちの冷たい視線も、この日だけは気にならなかった。


「無生産者は気楽でいいよな」


「あれだけ騒いで、そのうちすぐフレームレスだろ? カンベンしてほしいね」


 そういう声は何度も聞こえたが、この日のイオには少しも響かなかった。自分はこの人たちから、大切なものを受け取っている。それは労働には代えられない、自分の生きる意味にかかわるものだ。


 と、ドゥルーさんが皆が盛り上がるのを見届けながら、おずおずとイオに小さな包みを差し出した。


「ほらよ、イオ。誕生日だ。大したもんじゃねぇが……」


 包みの中には、手のひらに収まるサイズの、繊細なガラス細工が入っていた。透明なガラスの中に、オレンジとブルーの細い線が、複雑な螺旋を描いている。


「すごい! これ、ドゥルーさんが?」


「ああ。昔取った杵柄ってやつだ。昔は、俺もガラス職人でな。作ったもんはほとんど、震災と事故で壊れちまったが……。そいつは運よく残ってたもんだ。ジッドが一番気に入ってた、『未来への螺旋』って作品だ」


 一人の老人が咳払いをして、遠くの方を見つめながら語りはじめた。


「懐かしいねぇ。ジッドさんは、ドゥルーのその腕に惚れ込んだんだ。当時のジッドさんは、グレートマザーの血筋にも近い、島の主要な家系の出でな。まさに高嶺の花だった」


 ベーライ人が渡来する以前のこの島は、母系社会の伝統を色濃く残していたという。グレートマザーを中心に、司祭、軍事、衛生といった公的部門は女系の世襲制だったのだと、イオも何度かドゥルーさんから聞いていた。

 しかし、ジッドさんがそれほど良家の出身だったとは、今まで一度も聞いたことがなかった。


「そりゃもう、凄かったね。ドゥルーが結婚したのは、同化政策の真っ只中でよ。なんでこんな庶民の男と結婚するのかって、ジッドさんの答えがさ。『これから時代は変わっていきます。私たちはこれから、民族の違いを乗り越えていくのです。かつての身分の違いごとき、何の障害になりましょう』ときたもんだ」


 ドゥルーさんは照れくさそうに笑いながら、イオに目を向けた。


「俺は、血統や家系なんざどうでもよかった。ジッドは、生まれなんか関係なく、自分の手で何かを生み出す俺の職人としての誇りを本質として見てくれた。それが嬉しかったんだ。だからお前にも……」


 ドゥルーさんは言葉を飲み込む。イオは、贈り物と、その背景にある物語に、胸が熱くなった。


(きっと今日のことは、ずっと覚えているんだろうな)


 イオがそんな風に思った、その直後だった。突然、ひどい頭痛がイオを襲う。その直後、住宅街の方から大きな衝撃音が響いた。


「くそ、こりゃ近いな」


 少し離れた暗がりのなか、うっすらと大きな丸い影が見える。どうやら反対方向に向かっているが……。その先にあるのは、イオたちの家だ。


「ジッド……!!」


 たまらずドゥルーさんが駆け出す。イオもすぐに後を追い、間もなくドゥルーさんを追い越した。


「イオ! お前は行くな! お前に万が一のことがあったら……」

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