第3話

 金さえ払えば。これは母方の祖父もよく口にしていた。最近では、ヘルパーに無理を言って、「金さえ払えば(何を頼んでも)いいんだろ」と言ったところ、「だったら専属の家政婦を雇え」と怒られたらしい。母自身は九州の生まれではないが、母方の祖父母は九州出身で、父方の祖父母も九州の人である。あちらの思想なのだろうか。

 金さえ払えば、出された料理を全部捨ててカップラーメンを食べても構わない。父はこれを母の手料理だけでなく、ホテルのコースでもやる。酒ばかり飲んで大きな声で喚くので、私は父との食事が恥ずかしくて仕方がない。

 崩しただけの残骸の乗った皿、手つかずのままテーブルに増えていく皿を見るのが本当に嫌で、逆に私は絶対に料理を残したくなくて、限界まで食べるようになってしまった。

 父は「金さえ払えば」と言うくせに金を出し渋るドケチで、よく安物を買っては壊している。事故を起こした車も中古車で、ドアが壊れていてうまく開閉しない。


 加害者になるにしても、被害者になるにしても、証拠として映像は有力だ。

 しかし父は「事故ぐらい起こせばいい、保険屋が金を払うだけなのだから」と怒鳴り散らす。

 この人は、命が金で買えないということがわからない。昔から、子どもが死んでも構わないという態度だった。

 アル中で酒がなければ家族に当たり散らし、海外で酒屋が見つからなかった時には、絶対に諦めず酒を探し求めて、子連れのファミリーなのに明らかに治安の悪い場所にまで足を踏み入れていた。

 事故で家族が死んでも、慰謝料が入ればそれでいいのだろう。実際に今は、祖父母が死んで手に入った遺産で毎日飲み歩いている。母は遺産の額も知らない。

 しかし、その慰謝料とて、こちらに落ち度がないことが証明できなければ払われない可能性がある。

 ドライブレコーダーがあれば事故が防げるというわけではないが、仮にこちらが衝突された時、泣き寝入りすることになるとは思わないのだろうか。

 どうせその時になって、いつものようにさんざんゴネてクレームをつけるのだろうと思った。


 すっかり元通り(少なくとも私が見る限りでは)の母と違って、私は完全にトラウマになった。

 車に乗るだけで動悸がする。誰が運転しているかは関係ない。

 けれどそれでは私も生活ができないので、周囲の様子をガン見して、私自身が危険を予測し、常に気を張っている状態でのみ乗れるようになった。タクシーの運転手には嫌な客で申し訳ない。

 しかしこの状態だと、長距離の移動はできない。

 一家で帰省するタイミングでは、座っていることすらできなくなり、大変に困難だった。


 事故の件に関しては、可能な限り「考えない」しか対策がない。

 それでもふとした瞬間にあの場面が蘇り、私はずっと、車が怖い。


 この流れで飛行機も怖くなってしまうのではないかというのが、最近の心配事だ。

 空の上、逃げ場のない状況、自分でコントロールできない危険。

 映画館と車の悪いところが合わさったような状況だ。


 私は旅行が好きなので、飛行機には何度も乗っている。

 日帰りで大阪や沖縄にも行ったし、北海道も飛行機で巡った。

 しかし、この事故以降、飛行機には乗っていない。

 何に対して不安症状が起こるのか、私自身、起こってみるまでわからないのだ。

 万が一乗ってしまってからパニックになったら。

 それが怖くて、旅行の計画を立てられずにいる。


 不安感。こんなものに振り回されるのは、人間だけなのだろう。

 夜間に突然全身が震えて、血圧が下がって、動機が激しくなり、目が回って、呼吸が苦しくなる。

 何が起きたわけでもないのに、突然死ぬんじゃないか、なんて。

 こんな状態が普通だなんて、治療ができないなんて、何かの間違いだろう。

 精神科ってなんなのか。

 どうして私は、こんな風になってしまったのだろう。

 どうしてこんなに、怖いものばかりになってしまったのだろう。


 トラウマ治療だったら投薬よりおそらくカウンセリングの方が良いのだろうが、何度も繰り返すように金がない。

 早くカウンセリングが保険適応になってほしい。

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