第2話

 子どもの頃怖かったものが大人になって平気になった、という経験は誰にでもあるだろう。

 では、逆はどうか。

 子どもの頃は平気だったのに、大人になって怖くなったもの。

 私はたくさんある。


 例えば、虫。これは女性に結構多い。

 田舎育ちなので、幼少期は虫取りで遊んだし、ミミズを切って遊んだりもしていた。今思うとなんて残酷な。

 虫が怖くなった原因は、割とはっきりしている。

 何度も踏んだからだ。

 小学校の体育館で、運動していたらわざわざ足の下に蜂が入ってきた。そこにいたんじゃない、入ってきたんだ。

 白い上履きにこびりついたバラバラの死骸。危険色である黄色と黒なのが更にインパクトを与えた。替えなどないので、泣きながらマットで落としたことを覚えている。

 あと夜道でGも踏んだ。自宅付近は街灯が少なく、あちこちをGが歩いているのだが暗くて見えず、踏んでしまうことがあった。

 家の中でも踏んだ。絶叫した。以来、あちこち電気をつけて歩くようになった。

 ごみ捨て場が目の前なので、育ったやつがよく入ってきてしまうのだ。幼虫は見たことがないし、隠れたやつが出てくる系殺虫剤を使ってもわらわら出てきたことはない。家の中に棲み着いているわけではないが、ボロ屋なので隙間から入ってきてしまう。ガッデム。

 これを何度も繰り返して、ぐしゃぐしゃの死骸を何度も目にし、もう虫という虫がダメになった。蝶だろうがてんとう虫だろうが関係ない。虫は全部無理。滅しろ。


 次に、高所。

 幼少期は高い所が好きだった。バカと煙はなんとやら。ジェットコースターやフリーフォールが大好きで、落下系に乗りまくっていた。

 ところが、気がついたら高所恐怖症になっていた。

 特にシースルーがダメで、大阪に行った時は展望台に登ろうとしたのだが、シースルーのエレベーターで強烈な不安感に襲われ立っていられなくなり、断念した。

 高所からの綺麗な景色が大好きだったはずなのに。これもショックが大きかった。


 何故こうなったのかわからない。とにかく、恐怖が想像できる状況がダメになったようだ。

 想像力が豊かすぎるのも考えものだ。

 いや、或いは、トラウマと呼ばれるものなのかもしれない。


 怖くなったもの、まだある。

 車。

 これは困った。本当に困った。今も困っている。


 母が事故を起こした。人対車、横断歩道のない場所だが、車が100悪い。

 私はその車に同乗していた。注釈しておくと、私は運転免許を持っているもののADHDが判明したため、ほとんど運転しないようにしている。

 カーブだったので徐行はしていた。スピードが緩んだので、私はそのまま止まるとばかり思っていた。

 ところが、目の前に人がいるのに、母は車を真っ直ぐ進めた。

 私は咄嗟に叫んだ。この時叫べた反射神経を褒めてやりたい。

 母は後の事情聴取で「見えなかった」と、「娘の声でブレーキを踏んだ」と言っていた。

 この言葉が更に恐怖に拍車をかけた。

 直前で止まったので、実際には衝突はしておらず、驚いた相手が車に手をついて転んだ。

 しかし、私が声を上げなければ、母はあのまま真っ直ぐ人を轢いていたのだ。

 

 あの場面が忘れられない。


 相手は犬の散歩中で、接触した際に手をリードから放してしまったらしく、轢かれているんじゃないかと車の下を覗いていた。

 我が家も犬を飼っていたので、その心中は察するに余りある。

 結果的に犬は逃げていただけですぐ戻ってきたし無事だったが、犬が犠牲になっていたら一生許されなかっただろう。

 私は恐怖で震えていたが、母は自分では何もできないと言い、救急車の手配も、警察への連絡も、私がやった。


 こういうところが酷いと思うのだが、母は、私には何をしても何を言っても平気だと思っている節がある。

 きょうだいは三人いるものの、母の愚痴を聞くのは、昔から私の役目だった。

 飼っていた犬が死んだ時も、専業主婦である母はずっと側にいて看取ることができたが、私は仕事中で死に目に会えなかった。

 急いで帰宅して亡骸を前に泣いたが、母は、自分は辛くて何もできないから私に葬儀の手続きをしろと言った。

 悲しみの最中、それでも誰かがやらねば送ってやることはできないから、私はペットの葬儀をやっていてすぐに呼べるところを探し、葬儀の手続きをした。

 私はさんざん泣いたが、その後ずっと、母は自分が一番辛いという態度を取り続けた。


 他人の心中はわからない。

 母は本当に誰よりも悲しみの底にあったのかもしれないし、事故の時も、当事者なのだからパニックになっていたのかもしれない。

 けれど、警察相手に言い訳を繰り返す母を見て、果たしてこの人は反省しているのだろうかと思ってしまったことを、どうか責めないでほしい。

 同乗者である私は立場としては被害者になるらしいが、身内であるため、なるべく警察への心証が悪くならないよう、寒空の下震えながら何時間も立って待っていた。

 警察は寒いから車内で待っていて良いと言ってくれたが、知らぬ態度で引っ込んでいたら悪く思われる気がして、現場検証の間中ずっと立ち続けた。


 全てが終わってからも、母は警察への文句を言っていた。

 確かにどうかと思う横柄な警官が対応したが、事故を起こした方が強気に出られるものではない。


 更に驚いたことに、翌日。

 母はけろっとして、また運転をしていた。


 信じられなかった。人身事故を起こしておいて、平然とひとりで運転できる神経が。


 確かに、田舎は車がないと買い物ひとつ行けないので、この先二度と運転をするなとは言えない。

 しかし、私は人身事故なんて、起こした瞬間免停になるくらいに思っていたので、運転ができるということ自体にも驚いた。


 私はせめてもの抵抗として、ドライブレコーダーの装着を強く進言した。

 今回の現場検証で、映像証拠がないため話がこじれた部分もあると感じたからだ。

 しかし、これには父が反対した。車は父の所有物であるため、いじるためには父の許可がいる。

 父は典型的な九州男児で、何事も「金さえ払えばいいんだろ」という思想だった。事故のことも、金は払ったんだから気にすることは何もないと。

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