第四話
「ハルケ、学校にはたくさんの理不尽なことがある。だから今日だけ舐められないために必要なことを兄さんが直々に叩き込んでやる!」
いつも通りのトモルにハルケはホッとした。
(昨日の兄さんはなんか怖かったからな……安心した)
するとトモルは大きなたらいの中に入っていた水をハルケにぶつけた。
いきなりのことに身体中がびちゃびちゃとした不快感に見舞われトモルのことをハルケは睨んだ。
「まずはお前のその体からだな! 俺の家族にはみんな綺麗でいて欲しいんだ!」
それからは家族全員で大浴場へと連れて行かれ、身体中の泥が洗い流されていた。
綺麗になるたびにハルケの体からは自身の兄と同じような健康的な肌が出てきたため喜んだ。
髪もお風呂に入ったことで清潔感を取り戻したのか乾いた頃には艶のある美しい黒髪へと変化を遂げた。トモルはそんなハルケを見て大変嬉しそうだった。
(兄さん、嬉しそう)
しかし、トモルとハルケには決定的に違うものがあった。
体に肉付き具合だ。
トモルはまさに健康的だというのにハルケに関しては骨と皮がくっついている、ただそれだけのように見えた。
(俺、気持ち悪いな)
「さぁ! 次は服を買いに行こう! 上質な着物さえ着ていればいいところのやつだってことぐらい印象付けられるさ!」
現在新しい服を手に入れたハルケは残念ながら服は買ってもらえなかったが弟たちが楽しそうに着物の色や柄を見たり選んだりしている様子を見るのは何かと新鮮で兄もそれに喜んでいる様子を見せるとハルケは昔に戻ったみたいだとこの時間を楽しんだのだった。
「号外ー号外ー」
店の外でハルケが待っていると一人の青年が大量の号外の紙を手に持っているのを見つけた。何かと思いハルケは人の波に流されるようにしてその青年に近づき紙を受け取った。
(しまった、文字が読めない)
ハルケは文字は読めるものの難しい言い回しや他国の言語は全くと言っていいほど読めなかった。見出しを飾っている文字はこの国の文字ではなく、どちらかというと他国の言語に見受けられた。
目を細めて読むのを諦めようとしていると見出し以外はそこまで難しい言い回しでもないことに気づいた。
今まで食糧探しに出掛けていたことが多かったためこのような形で町と関わったこともなければ何かを読むことなど少しもなかった。文字が多少読めるのは四年前に終えてしまった教育の名残だ。自分から何かを読むことなどなかった。
ハルケは胸を抑えながら文字という文字を目で追った。
(せ、戦争?)
一枚の紙にまとめられていたのは近隣の海を挟んだ先にある向こうの国と国同士の戦争についてだった。どうやら近隣の国でもあることに加えて世界的に見ても大きな戦争だということでここの国にまで情報が入ってきたそうだ。おそらく侵入者が吐いた情報も含まれているそうだ。実際紙には肉の最後の言葉というちょっとした枠内に書かれている。
(世界ってなんだろう)
ハルケの知る世界はこの国しか知らない。
(この国以外にも国があることは薄々感じ取っていたけど、戦争ってなんだろう)
食べ物の取り合いが国規模であるということなのだろうか。
(うわぁすごいことになりそう)
想像してみればハルケの脳内は血まみれの調理師達が野菜をかけて戦うものしか出てこなかった。
ハルケ達国民が暴走すればきっとこの町でさえ次の日には焼け野原となっていることだろう。
(いや、それよりもこの国が他の国と戦争が起こったら君主様が天罰を下すんだろうな)
___あの肉を黒焦げにした時のように。
(君主様はこの国の神様だから負けるなんてことはないだろうけど、君主様は争いを好まないお方だからな……。そもそも戦争なんていう食糧の取り合いに発展することはまずまずないな、うん)
「ハルケ、何持ってんの?」
トモルが背後からハルケの手に持つ紙を覗き込んだ。
「へぇ、戦争ねぇ。物騒だね」
「に、兄さん」
「これ、どこでもらったの?」
ハルケは青年がいる方へ指差す。
「そろそろ開国かなぁ……」
「兄さん」
「ん? どうした?」
「これ、なんて書いてあるの?」
ハルケは見出しの見たことのない文字、推測するに他国の言語で書かれている箇所を指差した。
「うーん。この国の言葉では発音し難い言葉だから読めても言えないなぁ。ごめん」
「やっぱり他の国の言葉?」
「そうだね。この紙に書いてある内容は理解できたの?」
「うん」
トモルは何かを考えるように顎を手で押さえた。
そして疑問に対して答えが出たかのように、またはハッとしたように紙をまじまじと見つめたあとハルケに紙を返した。
「さぁ、そろそろお腹が減っただろう? ご飯の時間にしよう」
トモルは紙のことを忘れることにしたのかハルケの腕を引き、食事処へ向かった。そこにはすでに弟達が座っており、海鮮物を食べていたところだった。
「兄さん、今日は奮発しすぎじゃない? 海鮮物なんてどうやって手に入れたのさ」
「調理師ですって言えば簡単さ」
「こういうときだけ肩書きを使うのは良くないと思うよ」
「お、ハルケにしてはまともなことを言うんだな」
トモルは愉快そうに笑う。
ハルケに目の前にも海産物の料理が出てくる。まだピチピチと動いている海老と蛸の丼ものだ。
「おーいきがいいな」
トモルはニコニコと自身の目の前に出されたマグロの丼を箸を割って食べ始める。ハルケも海老と蛸をつつくようにして食べ始める。
口の中で海老と蛸が踊っているようだ。
(美味しい)
昨日食べた料理を思い出すがどれも血の味しかしなかった。きっと肉を見過ぎたせいでその料理の味がその味しかしなかったのだ。
(兄さんは調理師をしていたときどんな風にあの肉を見た後にご飯を食べていたんだろう)
「なぁ、ハルケ。学校の寮に行かせるの少し早めてもいいか?」
「えっ、あー、え?」
まさかの学校の話に切り替わるなんて想像をしていなくてハルケは焦りを見せた。
「突然だね、どうして?」
「この町から早く逃げ出したほうがいいかなって。さっきあの紙に近隣の国が戦争をしてるって書かれてただろ?もしかしたらここは港町だから近隣の国の奴らがまた襲って来るんじゃないかって思って早めに出て行ったほうがいい気がするんだ」
(戦争って他の国にも迷惑がかかるものなの……?)
「兄さん、戦争って何?」
兄は豆鉄砲を食らったかのように目を見開くと柔らかいものを飲み込んだ時のような顔をした。
「戦争って言うのは互いに譲れないものを守るために人を使って戦うことだよ」
ハルケの口から蛸のあしが出ているのに気付きハルケはとっさに口を抑える。
「そ、それって食べ物を奪うやつから食べ物を守るってこと?」
トモルはぶっと吹き出した。
「あぁ、そうだとも言えるね。きっとハルケが俺と同い年になる頃にはちゃんと理解できるようになるよ」
そっか。
ハルケはそれ以上『戦争』と言う言葉について考えるのをやめた。それよりも目の前にある料理を今度こそ味を噛み締めて食べる事に重点を当てなければ。
そこからは黙食が始まった。
弟も、トモルも、ハルケも互いに食べる音のみを出し続けた。
からん。
食べ終わった食器の穴の空いたような音がしたら満腹の合図だ。
ハルケ達が席を立つ。
後は家に帰るのみ。
弟達が食事処から出ようとしたとき、ハルケの世界がゆっくりと遅れた動きをした。
なぜかハルケの体が重い。体は普通、なのに重い。不思議な感覚だった。
弟達の嬉しそうだった笑顔が照らされる。
扉から漏れた光が赤く散る。
「敵襲__敵襲__。近隣海域にて大砲の使用を確認。被害は五つの港町にて。損害、被害者はまだ確認できておらず。繰り返す、敵襲__。敵襲__」
一瞬にしてハルケのいた建物含む建物がただの瓦礫の山と化していた。ハルケも瓦礫に挟まってしまったらしく、うまく手が使えない。なんとか震える手を地面につけ、力を入れて起きあがろうとする。
べちょり。
水たまりに手を入れてしまい、不快な音がした。
手が赤く染まる。
___汚い。
「に、兄さん!」
助けを呼ぼうとトモルを呼ぶも返答はない。
(まさか)
ハルケは血の気が引いていくのを感じた。
ハルケは周りの住民も被害に遭っていることに気づくと近くにある瓦礫の山を小さな手を使って動かしていく。
「あ、あ、あ__」
あ、と言う一文字しか喋れないなんておかしい。
ハルケの中には今きっともっと複雑で思うことが色々あるのに、いざ口から声を出そうとすると心の声は一つの音で一つの雑音しかなさない。
あたりにはぐちゃぐちゃにされた死骸、死骸、死骸。
「ハルケ!」
トモルの声がした。
兄は生きている。
それだけの事実が嬉しい。
唯一の家族が生き残っている。駆け寄ってくれる。
(あれ____?)
なのに、どうして、兄は自分を殺そうとしているのだろう?
兄が自分に向けて、透明の刃を向けてくる。
兄が自分に向けて、涙を流している。
兄が自分に向けて、冷たい目を向ける。
「にい、さん?」
「俺はこの国を裏切った」
よく見ればトモルの背後には調理師達が大勢いた。トモルは周囲の家族達の成れの果てを見て「綺麗な体になったじゃないか」と呟いた。
(____国を裏切るってどういうことだ?)
ハルケは混乱した。昨日まで普通だった兄がいきなり人が変わったように、家族に刃を向けるのだから。
「今の君主様はやや感情的になりすぎだ。俺は守るべきものを守るためにこの国から去る」
意味がわからない。
突然人が変わった思えば君主様に歯向かうだの国を出るだの。
「兄さん……」
「弟達を殺したのはうしろにいる新しい時代を作るための仲間達だ。俺じゃない」
守るべきものって、家族じゃなかったのか?
「家族を殺されて、なんとも思わないのか?」
「ハルケ……」
「本当にどうしたんだよ! 人が変わったかのようになって!」
(新しい時代って、何がしたいんだ____?)
「ハルケ、俺は、兄さんは、お前が心配なんだ」
そういうと近くに見たことのない形をした船が近づいてきた。
その船は人を襲うために作られているようで、まるでトモルを歓迎するかのように次々に大砲で他の町にも被害を出し続けた。
その船に兄達調理師は向かった。
トモルがハルケに背を向けた。
「一炊家に未来なんてなかったんだ、わかってくれ」
トモルはそう言ってハルケに振り返り、笑顔で
「じゃあな」
というと腰から刀と入れ替えるように火薬と見られる匂いのするものをハルケに投げた。
爆弾だ。
目の前で花火が散る。
相変わらずトモルの顔は美しかった。
周囲の人たちも花となって散った。そして椿が落ちる。
そして相変わらずハルケは落ちた椿達に対して思うのだ。
なんて気持ち悪いんだ、と。
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