第三話
「君主様に会いたい……? 生半可な気持ちでそんなこと言うと後悔するぞ、坊主」
ハルケの背後に一人の解体師が嘲笑うかのように言った。
「坊主、お前は君主様にどうして会いたいんだ?」
ハルケはゆらゆらと揺れる前髪の隙間から解体師の瞳の奥を見つめる。まるで獲物を狩る最中のヒトのようだ。
瞳の中心にある黒い点が小さい。
解体師の彼の服には肉の破片だったものや肉から出た新鮮な赤い泥がついている。
「坊主の兄を救った君主様に会いたくなる気持ちがあるがお前にあのお方に忠誠心を見せつけない限り君主様が認めたとしても俺ら解体師と調理師がお前を殺しにくるぞ」
そしてグッとハルケの髪を掴む。
「解体師と調理師は忠誠心が強い分、頭のネジが外れてる奴がほとんどだ。お前は忠誠心もねぇし、頭のネジが一つもかけてねぇ。そんなんだと坊主、お前の兄みたいに____」
「ハルケ」
トモルがハルケの首元を引っ張る。ハルケからトモルの表情は伺えない。ただ、解体師がニヤニヤと何かを笑いたげに口角を上げている顔は見える。
「すいません、弟が変なことを言ってしまって。俺たちはこれで失礼します____」
眉を下げるトモルは拳をギュッと握った。
その場が居心地悪かったのだろう。彼の震える拳からはハルケもが伝わるものがあった。
「一炊家もずいぶん弱くなったものだな。お前のあのネジのぶっ飛んでる姿、弟が知ったら____」
「『第十一条君主ニシタガウ者、口ハ食スルトキ、業務時以外使用シテハナラズ』」
解体師の方がピクリと反応する、
「それでは失礼する」
トモルはそう言ってハルケの手を繋いで家へ帰って行った。ハルケはそんな兄に従うほかなかった。
家へ帰れば家族に出迎えられ、ご馳走が用意されていた。下の子達から聞くと侵入者がこの街から完全にさり、しばらくの間は平穏に暮らせるからたくさん近所から分けてもらったとのことだ。
「こんな豪華な料理、どんなにいい食材だからと言ってもお前たちは料理できないだろ? 誰に料理してもらったんだ?」
下の子達は家の外を指さす。
誰もいないところを指差す弟たちをみてハルケは戸惑うが兄はあぁと納得すると手を合わせていただきますというと料理を口に運んだ。
「うん、美味しいよ。ありがとね」
外から歓声が上がる。
(あーそいういうこと)
ハルケは納得してしまった。
あんなに町のために戦ってくれたのだ。しかも家族の中でも顔立ちはかなり整っていると理解されている人間だ。歓声が上がるような要素はいくつもあがる。
「ハルケ、お前にいい知らせがある」
「いい知らせ?」
トモルはニコリと優しく笑う。
「なんと調理師としてもう一度働けることになったんだ」
「それはよかったね」
「そこでだ、給料が入る生活に戻るからハルケに好きなことをさせたいんだけど、何がしたい?」
ハルケは目を見開いたが手元の漆が剥がれた茶碗を見つめて首を振った。
「俺よりも弟たちと兄さんのために給料を使ってよ」
「弟たちは良家の養子になってもらうことにしたんだ。そこでは幸せな未来が約束されてる」
ハルケは弟たちの方に目をやると状況が理解できていない純粋なる笑顔を向けられ下を向いてしまった。
「どうして突然良家の方へ話が行ったんだ?」
「『一炊家』だからかな」
「……そういうことね」
「だからお前にもどこかの家の養子にしてもらおうかと」
「嫌だ」
ハルケは良家についてはよくして知っている。
毎朝同じ時間に起きて朝早くから役立つ人間になるために肩身の狭い生活を強いられる生活を。
身近にたった一人だけそんな人間がいたことを思い出すと兄をお玉杓子をお粥につけて食べるものが目の前にいた時と同じ反応を見せた。
「ハルケ、兄さんはお前が心配なんだ。俺と一緒にいたらさっきみたいなネジがぶっ飛んでる奴らに囲まれる。それに……」
「それに? はっきり言ってほしいよ、兄さん」
「やっぱり兄さんはお前が心配なんだ」
「だからはっきり言ってよ」
「そうだ、学校に行ったらどうだ? ハルケここずっと友達いなかっただろう?」
「そんなの俺は望んでなんかない」
「学校の手続きはしといたから」
「さっきからなんなんだよ!?」
硬直した兄は下を俯き口には糸で縫い付けられたかのように動かない。
「ご馳走様。兄さん、俺もう寝るね」
そそくさにハルケは食器を片付けるために立ち上がる。
そして布団を人数分しこうと棚から布団を取り出す。
ハルケはふと気づいた、棚に一匹の猫がいることに。
猫は肉がついてると言えば肉が付いていて毛並みは決して良いとはいえない見た目をしていた。
(食えるかな)
にゃぁお、と可愛らしくなく猫を見るハルケの口から一滴の雫が垂れる。
「ハルケ、お前はどうして君主様に会いたいんだ?」
口元を裾で拭ってハルケは左上を呆然と見つめる。
「解体師の言う通り、お前には覚悟が足りない。少なくとも俺はそんな気持ちだけで調理師になってはいない」
ハルケは布団を乱暴に床に投げつけた。
(どうしてそこまで言われなければならないんだ)
ハルケは次々に布団を投げる。
誤魔化すように乱暴に布団を床に投げ終わるとハルケはゆっくりと胸を撫で下ろした。
すると今度はハルケの方に黒い何かが投げられた。
「ハルケ、お前はもっと学ぶべきだ、人として」
ハルケが投げられたものを拾うと袴とシャツ、下駄があった。どれも新品そうだ。
「俺が書生時代のものに買ったけど使わなかったものだ、ハルケにやるよ」
ハルケは綺麗に服をたたみ始める。
「ハルケ、お前が立派になった時にお前の気持ちをもう一度聞こう。それで俺が納得したらその時は俺ができる範囲のことをすると約束しよう」
ハルケはギュッと畳んだ服を抱えた。
ハルケは兄の顔をしっかりと見つめた。少し伸びたか髪に細い手足と首、白い肌から見える血管達。目元は涼しげな印象を与え、丸い目玉がよく映える。
(またみてる)
トモルは冷や汗をうかばせながらハルケが自身を獲物のように観察する姿から拳を握る。
(ハルケは少し変だ)
トモルは幼き頃のハルケの姿を脳内で浮かびあげた。綺麗な着物に綺麗な靴。綺麗な肌。
そして、ゾッとするほどの美しい顔。
ハルケの顔は今は泥まみれでどんなに汚くされていてもトモルがどんなに女から言い寄られるほどの美貌を持っていたとしても、ハルケに対してなんらかの恐ろしさが込み上げる、そんな顔をしている。トモルはそんな風に思ってしまう自分に嫌悪感を感じていた。
(最低だ。どうして、ハルケに、こんな)
トモルは今朝の出来事をもう一度振り返る。ハルケが生き物の死骸をみてこれを食べれるか、と聞いてきたあの時を。
トモルは時々実の弟に対して本当に自分の弟なのかと疑問を持つようになっていた。理由は不明。ただ、彼もお年頃といってもいい年齢である為、成長する過程ではそう不思議ではない気持ちなのかもしれない。
再びトモルの脳裏に昔のハルケが映し出される。まだ、笑っていた頃のハルケだ。
今のハルケは笑っている表情をあまり見せてくれなくなっていた。
(やっぱり……あの出来事が……)
「兄さん」
しまった、考えすぎた。
トモルはパッと顔を上げる。そこには汚れた顔をしたハルケが血まみれの猫の尻尾を見ていた。
「これ、食べる?」
ハルケの口の周りには何かの液体のあと。
トモルはゾッとする。
(俺、なんか育て方間違えたかな?)
今日の出来事だけではない、昨日も一昨日も、両親が亡くなってからの四年間もの期間、トモルの悩みの種は全てハルケのことだけだった。
トモルがここまでハルケについて考えるのはきっとここ最近の国の侵入者を元調理師として町を守ろうとして戦ったがために出てきた疲労、つまりはストレスによるものだろう。彼自身も疲れが溜まってきていると捉えているためきっとそうなのだ。
「兄さん、元気ないよ」
心配をするハルケ。
子供ながら純粋なる彼に対し、兄であるトモルは何を思うのか。
「ハルケ、やっぱり俺は心配だ」
トモルを悩ましていた種。それはハルケがなんの生物の死骸でも食おうとすること。たとえ骨だけでも肉だけでも赤に染まっていようと。なんでも、彼はなんでも。
「俺たち家族は本当はバラバラになる運命だったんだ」
(そうだ、ハルケだけが悪いわけじゃない。弟たちもだ)
まだ母乳を必要とする弟だっている、わがままばかりの奴もいる。
それを全てみていたのはトモルとハルケのみ。しかし、ハルケとトモルはかなりと言ってもいいほど歳が離れているため実質トモルのみが家族の世話をほとんど担っていた。
きっと疲れが出たのだろう。
「俺も少し、一人になりたいな」
ハルケはトモルの少し乾いた唇を見ると一つ頷いた。
(疲れてるんだろうな)
ハルケが現在考えられるのはそのくらい。
兄弟分の食器を片付け、布団を人数分床に敷くと弟たちはすぐに布団に入って夢の世界へと入って行った。
「ハルケは一週間後から学校の寮生活になるから今日ぐらいはぐっすりと眠っておけ」
明日はハルケの必要なものを買いに行くそうだ。
この一週間がハルケにとって、そしてトモルにとって最後の家族と一緒にいられる時間。
トモルは寝息を安らかに立てるハルケの顔を見るとホッとしたように自身も眠りについたのだった。
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