ヤケ食いはほどほどに
あれは夏休み明けの課題テストが終わった後だった。
「あー、ホントムカつくんだけど!」
ウィステリアタワー一階のカフェテリア「藤棚」で私はクラスメートの石田萌ちゃんと一緒に昼ご飯を食べていた。超弩級マンモス校らしくメニューも和洋中韓なんでも揃っていて、私はプルコギ丼定食(大盛り)を注文。普段は大盛りを頼まないが、この日は食べなきゃやってられなかったのだ。
「何もあんなにネチネチ言わなくてもねえ」
「でしょ!? あのハゲ頭にリ○ップを大量に塗ったろかと思ったわ」
ハゲ頭こと佐藤という英語教師は人格がとてもとてもアレなことで有名である。さっきの四時間目がこの佐藤の授業だったが、返された課題テストの解説の最中、私は佐藤から指名されてテストで書いた間違った解答を言わされた。何が間違っているのか解説するかと思いきや「こんな簡単なの間違うかー!?」と、厭味ったらしい甲高い声で煽ってきたのだ。その次の言葉が「下雅意って立派な苗字持ってんのに名前負けしとるなー」だと。
「佐藤なんてありきたりの苗字の分際で偉そうにすんなっての!」
プルコギ丼をかきこんでわかめスープで流し込む。これだから私はこの苗字があまり好きじゃない。画数多いし、「雅」の字が入っているからか人から「ご先祖様は貴族なん?」って聞かれることも多々あったからだ。確かにレア姓だけれどごく一般的な家庭だし。ただ一つのメリットは一発で名前を覚えられることぐらいなものだ。
名前は一丁前でも、実態は「モブA」みたいなのが下雅意柚羽という人間なのだ。
昼食が終わった後、萌ちゃんと一緒に隣の校内ストア「バイオレット」に立ち寄った。外部委託業者が「藤棚」と一緒に運営していて、食べ物だけじゃなく日用品、書籍、なんと化粧品や衣料品も取り扱っている。寮生からは校外に出なくてもある程度物が揃えられると評判で、中学高校レベルでこれほどの規模の購買を備えているところはウチ以外にないだろう。
冷凍ケースにはいろんな種類のアイスが入っているが、私はモナカアイスを二個選んで買った。萌ちゃんに奢るためではなく、二つとも自分で食べるためだ。
「ユズ……そんなに食べて大丈夫?」
「だって食べなきゃやってられないし。萌ちゃんもちょっと食べる?」
「いいよ、甘いもの嫌いだから。プルコギ丼大盛りを食べた後にアイス二個は食べ過ぎだと思うわ。どうなっても知らないよ?」
「平気平気!」
私はどういうわけか、基礎代謝量が人以上に高いのか食べすぎても体重に跳ね返ることがほとんどない。一時的に太っても少し食べる量を調整すれば元に戻るのだ。この嬉しい体質は私の自慢できる数少ない点だ。
だけど萌ちゃんが心配していたのは私の体重じゃなかった、とすぐに思い知らされることになる。
*
ゴロゴロゴロゴロ……
「ふおっ、おっ、おおおおんっ……!?」
放課後、外掃除中に猛烈な腹痛に襲われた私は白目剥いて悶絶しかけていた。腹の中でカミナリが鳴り響くために変な声が漏れ出てしまう。
「やっ、やばい……これ以上持たないかも……」
かといって校舎に戻る余裕もなかった。
この巨大な学園には、ウィステリアタワーと中学部・高等部普通科校舎の間に大きな庭園、通称「
私は今週この花影庭園の通路の掃除を担当していたが、菅原道真の像の周りに私の太ももぐらいの長さまで伸びている草むらを見て、もうここでするしかないかなと良からぬことを考えてしまった。だけど菅原道真は祟り神としても恐れられているらしいし、こんなことしたら末代まで祟られそうだから考え直した。
このまま限界を突破したら間違いなく社会的に終わる。下雅意の「
獣道みたいなところがあり、その先に小さな建物が見えた。古い看板が取り付けられていたが、そこには「便所」と。
「救いはあった!」
ホウキを放りだして一目散に駆け込んだ。
「うげっ!?」
戦慄した。お世辞にも清潔とはいえないトイレは便器が一つだけ。しかも今どきボットン便所だ。学校の便所は全て洋式化されているはずなのに、ここだけ時代に取り残されているようだった。
ボットン便所は一度だけ使ったことはある。お婆ちゃん家の菩提寺にある参拝者用トイレがなぜかボットン便所で、法事の折にもよおして使わざるを得なかったことがあったが、大きな穴がブラックホールに見えて仕方なく、落ちないように慎重にまたいで用を足して事なきを得た。
そのときみたいに用を足せば済むのだが、問題なのは便器のフチに誤爆したアレがついていたことだ。よりによってこんな……
ゴロゴロゴロゴロ……
「あががががっ、だっ、だめだ!」
もう限界が近づいていて、選択肢は無かった。幸い、トイレットペーパーはちゃんとある。覚悟を決めて、アレを踏まないよう慎重に便器をまたいだ。
「ほっ……」
長い懲役から帰ってきたかのような開放感に包まれる。プライド消費して、私は地獄から生還を果たすことができた。
「ふぅ~、助かった……」
手を洗っていると、藤色の長方形の物体が床に落ちているのに気がついた。入ってきたときは死にかけていたから見えなかったが。
藤の葉の校章と「藤葉女学園」の文字が入っているそれは、生徒手帳のカバーだった。
ここに落ちているということは、私以外にも高等部の先輩の誰かがトイレを使っていたのだろう。もしかすると誤爆したのも……いや、あまり深く考えるのはよそう。とにかく、落とし物として総務委員に届け出た。
*
翌日のことだった。いつものように登校したら、私の下駄箱の中に封筒
が入れられていた。ご丁寧に「下雅意柚羽様」と宛名がついている。
「え、誰から……?」
私はてっきりラブレターかと思った。トヨジョは女子校だから恋人を作るなら他所の学校の男子をカレシにするんだろうとみんなは思うかもしれないが、ここでは少なからず校内の同性に対して恋愛感情を向ける生徒もいるのだ。
だけど私の交友関係の中で、私に恋愛感情を持っていると考えられる子は一人もいない。一番仲の良い萌ちゃんに至っては、県南西部で有名な公立進学校の高校生の男子とつきあっている。ちなみに萌ちゃんのお兄さんの同級生だという。そもそも宛名の字が萌ちゃんのとは全く違うから端から彼女ではないとわかっていたが。
周りに誰もいないのを確認してから、封筒を開封した。
手紙はラブレターでは無かったが、ラブレターよりもすごいものだった。
放課後、手紙に書かれていた通りウィステリアタワーのエレベーターの前で待っていたら、高等部の先輩が来た。夏服のシャツの胸ポケットについている学年章がローマ数字であれば高等部、アラビア数字だと中学部なので中高の区別はすぐにつく。
「下雅意柚羽さまですね」
「はっ、はい」
後輩の私にさまづけで呼んでくる。どうぞ、とエレベーターに乗せられて、ボタンを押した。完全に私はお客様扱いされている。
招いたのは、中高あわせて約六千三百人の生徒の代表者格といえる人。
三階で降ろされた。ここはごく一部の生徒しか立ち入りできないエリア。校舎と違い、大企業のオフィスビルみたいにおしゃれかつ重厚な廊下が目の前にある。先輩の後を恐る恐るついていくと、先輩は「談話室」のプレートか掲げられた木製のドアの前で止まってノックした。
「下雅意さまをお連れしました」
「お入りなさい」
凛とした声がドアの向こうから聞こえた。先輩が「失礼します」とドアを開ける。
日本人形めいた美少女、
副会長は立ち上がった。
「ごきげんよう、下雅意さん。お待ちしておりましたわ。この度はわたくしの落とし物を届けてくださり、ありがとうございます」
そう、私が拾ったのは河野副会長の生徒手帳だったのだ。
目の前にいる、高貴な雰囲気をまとっている美少女が誤爆の犯人だとは思いたくなかったが……。
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