第3話 崩れ落ちる街

夜の街は、もう街じゃなかった。


炎。

悲鳴。

瓦礫。


空気が、熱と血の匂いを孕んでいる。


「……くそっ」


ユリスは、崩れた建物の影から顔を出した。


遠くで、何かが爆ぜる音がする。

外界種の咆哮と、人の叫びが、区別なく混じっていた。


「これ……本当に外界種だけか?」


嫌な予感が、ずっと胸に張り付いている。


通信端末を確認する。

画面は、沈黙したままだ。


「……繋がらない」


電波障害。

偶然にしては、出来すぎている。


「避難警報も、途中からおかしかった……」


集まれ、と言われた場所。

そこが、一番被害が大きい。


「……罠、なのか?」


自分が何者でもないことは、分かっている。

正式なMEK隊員じゃない。

一介の訓練生だ。


それでも――


「……レイン」


名前を呼んで、唇を噛む。


あの子は、普通の一般人だ。

こんな地獄に、耐えられるはずがない。


その時。


「ユリス!」


瓦礫の向こうから、声がした。


「教官……!」


煤にまみれた男が、剣を片手に駆け寄ってくる。


肩口から血を流している。

息も荒い。


「生きてたか……!」


「はい! ですが、街が――」


「分かってる」


教官は短く頷く。


「外界種だけじゃない。

 人間が混じってる」


ユリスの背筋が冷えた。


「……やっぱり」


「しかも、統率されてる」


剣を強く握る。


「これは殲滅だ。救助じゃない」


その言葉が、現実として重く落ちる。


「ユリス」


教官は、真っ直ぐこちらを見た。


「お前は、逃げろ」


「……何言って」


「命令だ」


 低い声。


「お前は才能がある。

 ここで死なせるわけにはいかない」


ユリスは、一瞬だけ迷って――


その時だった。


2人は、圧倒的な何かの接近を感知した。


空気が、歪む。

そして全身の真気が反応する。


遠くから、一人の男が歩いてくる。


大剣を、肩に担いで。


ーーMEKランキング7位

人類の英雄、ガロア・ロッソ。


周囲の外界種が、避けている。

人間の兵士たちも、距離を取っている。


「……っ」


ユリスは、喉が鳴るのを感じた。


(なんだ……あれ……)


分かる。

強い、という次元じゃない。


別格だ。初めて目にするMEKトップランカーはあまりにも圧倒的なオーラを放っていた。


「……来たか」


教官が、歯を食いしばる。


「ユリス。

 下がれ」


「でも――」


「行け!!」


怒号。


その瞬間。


ガロア・ロッソが、剣を振った。


――ただ、それだけ。


ズン、という鈍い音。


空気が、割れるような衝撃。


「……え?」


視界の端で、教官の身体がずれた。


ずるり、と上下に分かれて、血が遅れて噴き出す。


「……教、官……?」


言葉にならない。


あまりにも、あっさりしていた。


男は、足を止めない。

まるで、道端の障害物を斬っただけのように。


視線が、ユリスを捉える。


興味もなさそうに。


「……若いな」


低い声。


「訓練生か」


ユリスは、反射で剣を抜いていた。


震えている。

腕が、言うことをきかない。

しかしあの男から逃げることは不可能だという事は、容易く理解できる。


「……行かせない……!」


意味のない抵抗だと、分かっていながら。


踏み込む。


最大限の真気を載せて、剣を振るう。


――当たった。


そう、思った瞬間、剣が宙を舞う。


「……あ」


腹部に熱。


そして世界が横にずれた。


地面が近い。


痛みはなかった。


ただ。


(……レイン……)


最後に浮かんだのは、それだけだった。


大剣を持つ男は、振り返りもしない。


その背中を炎が照らしていた。


夜はまだ終わらない。


——————


ーー同時刻。


剣を弾かれた瞬間、手首に走った衝撃で、カイルは悟った。


ーー勝てない。


力も、技も、経験も。

全部、違いすぎる。


「おっと」


軽い声。


次の瞬間、腹に衝撃。


息が、全部抜けた。


「……っ、ぐ……!」


地面を転がる。

剣が、手から離れた。


踏みつけられる。


胸骨が、嫌な音を立てた。


「はい、終わり」


見下ろしてくる男は、笑っていた。


楽しそうに。


心の底から。


「三流の境地、年齢的にMEKの訓練生ってとこか?」


首を振りながら、男は舌打ちする。


「いやぁ、最悪だわ。

 威勢よくかかってくるもんだから、もっと歯応えあるの期待してたのに。才能ねえな」


カイルは歯を食いしばった。


「……お前……」


「ん?」


「……彼女に……何をした……」


すぐ側には、カイルが愛した人、そしてその家族がぐったり横たわっていた。


男は、一瞬だけ考える素振りを見せてから、

思い出したように、ぱっと表情を明るくした。


「ああ!」


指を鳴らす。


「この女か」


カイルの呼吸が、止まった。


「誰かの名前呼んで泣いてたっけ」


男は、にやにやと笑う。


「最高だったぞ。

 こういうのがあるから、この仕事はやめられねえ」


「……っ!」


体を起こそうとして、また踏みつけられる。


「動くなって。

 今いいとこなんだから」


男はしゃがみ込み、

カイルの顔を覗き込む。


「なあなあ」


声が、やけに優しい。


「もしかしてさ」


首を傾げる。


「あれ、お前の女だったんか?」


視界が、赤く染まった。


「……殺す……!」


「ははははは!」


腹を抱えて笑う。


「無理無理無理!

 その顔でそれ言うの、反則だろ」


剣が、ゆっくり持ち上げられる。


「いやぁ、でも感謝してるぜ?」


「……?」


「お前がいたおかげで、

 あいつ、家族殺されても最後まで希望捨てなかったからさ」


ぐっと、刃が押し当てられる。


「絶望の味、濃くなった」


刺す。


躊躇は、ない。


悲鳴すら、許さない。


「……っ、あ……」


男は立ち上がり、川を見下ろした。


「じゃあな、雑魚」


軽く、蹴る。


「スイミングは得意か?」


身体が、宙に浮く。


夜風。


落下。

 

最後に見えたのは――

首元に刻まれた、竜の刺青。


そして。


男の、心底楽しそうな笑顔だった。


意識が、暗く塗り潰されていく。


それでも。


それでも――


憎しみだけは、消えなかった。


真冬の冷たい川底へ沈みながら、

薄れゆく意識の中、

カイルの胸に残ったのは、ただ一つ。


 ――必ず、殺す。


理屈も、未来も、正義もない。

それだけだった。


——————


レインは、街を歩いていた。


走っていない。

逃げてもいない。


ただ、歩いていた。


足元が、ぬるりと滑る。

何かを踏んだ感触がして、視線を落とす。


――人の腕だった。


白い制服。

見覚えがある。


「……」


声が、出ない。


顔を上げる。


街灯が倒れ、

家が半壊し、

道の両脇に、人が折り重なっている。


死体の山。


知っている服。

知っている顔。


昨日まで、挨拶していた人たち。


「……うそ……」


頭が、理解を拒否している。


夢だ。

何度もそう思おうとした。


その度に、

焦げた匂い。

血の匂い。


それがレインに非常な現実を突きつけた。



「……ユリス……」


声に出して、名前を呼ぶ。


返事はない。


代わりに、遠くで悲鳴が上がる。

すぐに、途切れる。


レインは、死体の間を縫うように歩く。


一人。

また一人。


同級生の顔を、見つける。


「……あ……」


体育の授業で笑っていた子。

テスト前に一緒に愚痴を言った子。

学校帰りに一緒に寄り道した子。


胸に、剣傷。

開いたままの目。


しゃがみ込み、肩に触れる。


冷たい。


「……起きてよ……」


当然、動かない。


心臓が、変な音を立てる。


悲しいのか。

怖いのか。


分からない。


ただ、現実が遠ざかっていく感覚だけがあった。



家が、見えた。


玄関が壊れている。


嫌な予感が、確信に変わる。


「……お父さん……?」

「…お母さん……?」

呼びかけながら、中へ入る。


リビング。


倒れた椅子。

割れた食器。


そして――


床に、両親が倒れていた。


血が、広がっている。


「……ぁ……」


膝が、崩れる。


近づく。


顔を見る。


父の目は、開いたまま。

母の手は、何かを掴もうとした形のまま。


触れる。


――冷たい。


「……やだ……」


言葉が、やっと出た。


「……やだよ……」


涙は、出なかった。


頭の中が、真っ白だった。


ただ一つ、はっきり分かる。


もう、何も戻らない。



外に出る。


何かを探している。


理由は、分からない。


ただ、歩く。


死体の山を越える。


そこで――

見つけてしまう。


制服。

見覚えのある色。


――ユリス。


「……」


声が、出ない。


駆け寄ろうとして、止まる。


肩から腰にかけて、異様なほど綺麗に切断されていた。

一切の迷いがない斬り口。


それを見た瞬間、

胸の奥で、何かが音を立てて壊れた。


「……そっか……」


不思議と、納得してしまった。


これだけの地獄で、

ユリスだけ無事なはずがない。


頭では、分かっていた。


でも――


それを、認めたくなかった。


「……ごめん……」


誰に向けた言葉か、分からない。


そのとき。


足音。


背後。


「――生存者を発見」


低い声。


振り向く。


剣を構えた兵士。


表情は、無機質。


もうレインに躊躇はなかった。


兵士が剣を振り上げると同時に、

踏み込み、突き刺す。


なぜか、分かる。


考えるより先に、

身体が動いた。


兵士は崩れ落ち、血が、足元に広がる。


レインは、それを見下ろした。


震えは、あった。


でも、吐き気はなかった。


涙も、出なかった。


「……ああ……」


静かに、理解する。


――私、生きてる。


生きるためにまた人を殺した。


それが、

当たり前の選択になっている自分に気づく。


怖い。


でも――

それしか道は無かった。



時間と共に次々と、敵は集まって来た。


剣。

怒号。


レインは、斬る。


また斬る。


死体の山が、増えていく。


屍の山を歩きながら、徐々に感情が、削れていく。


レインは一度も振り返らなかった。


振り返れば、きっと歩けなくなる。

足が止まり、膝が折れ、その場に座り込んでしまう。


だから前だけを見る。


燃え上がる建物。

倒れた街灯。

道を覆う瓦礫と、踏み荒らされた血痕。


夜空は赤く染まり、煙が低く垂れ込めている。

悲鳴は、もうほとんど聞こえない。


――生きている人が、減ったからだ。


レインは剣を握ったまま、歩いていた。

鞘はない。

誰かから奪った剣だ。


手のひらにこびりついた血は、もう乾き始めている。


さっきまで、震えていた。

最初に人を殺した直後は、指先の感覚がなかった。冬の寒さのせいではない。


でも今は違う。


怖くないわけじゃない。

ただ、それ以上に――止まれなかった。



街の外を目指して進むレイン。

遭遇したのは明確な「殺意」だった。


(……来てる……)


足を止めた、その瞬間。


「――いたぞ」


低い声が、闇の奥から落ちてくる。


次いで、別の方向。


「間違いない。剣を持ってる」


数がいる。


しかも、気配を消すのが上手い。


(……人間……)


それだけで、

背筋が冷えた。


無表情で迫ってきた兵士たち。

彼らは真気が使える連中だ。


同じ人間なのに、

まるで別の生き物みたいだった。


「仲間をやられてる。油断するな」


淡々とした声。


怒りも、恐怖もない。


レインは、剣を構え直した。


息が荒い。

視界が、揺れる。


(……まだ……終わってない……)


影が、動く。


同時に左右から踏み込まれる。


反射的に後退するレイン。


剣を振る。


金属がぶつかる音が夜に響いた。


「……っ!」


重い。


今までの相手とは明らかに違う。


一撃一撃が、確実に“殺すため”のものだった。


「やはりこの女、素人じゃないな」


「だが……もう限界だ。一気に押し込め」


別方向からさらに気配が迫ってくる。


レインは歯を食いしばり、

瓦礫の多い方へ駆け出す。


崩れかけた建物。

ひび割れた地面。


(……ここ……まずい……)


理解した瞬間。


衝撃。


背後で、

何かが弾けた。


空気が、潰れる。


身体が前に投げ出され、

地面に叩きつけられる。


嫌な音がした。


ミシ、と。

ギギ、と。


足元が、沈む。


「……チッ」


「地盤が――」


言葉が、途中で途切れた。


次の瞬間、

地面が割れた。


建物の残骸と土砂が、

一気に崩れ落ちる。


レインの足が、宙を踏む。


(……落ち……)


一瞬だけ、追ってきた男と目が合った。


感情のない目。


けれど、

ほんの一瞬だけ想定外を見た顔。


次の瞬間。


崩落。


瓦礫と闇が、すべてを呑み込んだ。



しばらくして。


崩れた地面の上に、

数人の影が立っていた。


土煙が、

ゆっくりと晴れていく。


「……ここからでは確認できないな」


「この状況だ。どうせ死んでいる」


短い沈黙。


「……処理完了でいい」


誰も、下を覗き込まない。


「引き上げるぞ」


影は、闇に溶けていった。



――どれくらい、時間が経ったのか。


冷たい感覚で、レインはゆっくりと目を開けた。


「……?」


暗い。


瓦礫の隙間から差し込むわずかな光を頼りにレインを見渡す。


「……ここ……どこ……?」


声を出す。


音は返ってくる。自分の声だ。

それだけで、少しだけ安心した。


身体を動かす。


指が動く。

腕が上がる。

足も、ある。


痛みはある。

だが、生きている。


(……落ちたはず……)


瓦礫。

暗闇。

押し潰される感覚。


そこまでは、確かに覚えている。


目の前には、瓦礫とただの空洞が広がっていた。

崩れた街の名残すらない。


足元を見る。


地面は、ある。


だが、どこまで続いているのか分からない。

端も、境目も見えない。


「……夢?」


小さく呟く。


そう思いたかった。


けれど。


痛みは、現実だった。

体に残る血の匂いも、現実だった。


目を閉じてもう一度、目を開く。

景色は、変わらない。


胸の奥に、じわりと不安が広がる。


助かったのか。閉じ込められたのか。


それすら、分からない。


ただ一つ分かるのは――


ここには、誰もいない。


敵も。

味方も。

死体すらない。


完全な、孤独。


「……」


レインは、その場に立ち尽くした。


逃げる場所も。

追われる気配もない。


なのに心は少しも休まらなかった。


ここが安全なのか、

それとも――


もっと悪い何かなのか。

 

しかし、レインは進むしかなかった。

この暗闇の先を。

復讐という灯火と共に。

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故郷を滅ぼしたのは人類の守護者だった――復讐を誓った私の選択 @polypsuki

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