第2話 日常が壊れる音

最初の爆音は、遠雷のようだった。


次の瞬間、床が跳ねた。

家全体が内側から殴られたように揺れる。


「……え?」


レインは、思わず立ち上がった。


窓の外。

夜空の一角が、赤く染まっている。


炎。

それも、一つではない。


点在する赤。

ゆっくりと、しかし確実に広がっていく。


「外界種……?」


そう思った瞬間、違和感が走った。


警報が鳴っていない。

巡回しているはずのMEKの姿も見えない。


代わりに――


ドン、ドン、ドン


間隔を空けて続く、規則的な爆発音。


端末が震えた。


【MEK緊急放送】

【市民の皆様は、最寄りの避難指定地点へ――】


整いすぎた声。

感情のない案内。


だが、その背後で。


悲鳴。

建物が崩れる音。

獣の咆哮。


放送と現実が、噛み合っていない。


「……おかしい」


レインは鞄を掴んだ。


「お母さん? お父さん?」


キッチンの明かりは点いたまま。

そこのには母の姿。

「お父さんさっき様子を見に外に…」


胸の奥に、冷たい塊が落ちる。


母の言葉に被せて、レインは玄関に向かった。

「私も見てくる!」


外に出ると、近所の人たちが混乱していた。

そこには父もいた。


「避難所に行けって!」

「外界種が出たらしいぞ!」

「MEKが来るんだろ?」


誰もが、疑っていない。


――疑うという選択肢を、持っていない。


父の無事を確認したレインは、人の流れの中で立ち止まった。


「……ユリス」


端末を操作する。

呼び出し。


繋がらない。


もう一度。

それでも、無音。


胸が、嫌な音を立てる。


「……探さなきゃ」


彼女はユリスを探しに、走り出した。



街の中心部では、すでに地獄が始まっていた。


瓦礫。

倒壊した建物。

割れたガラスが、街灯の光を乱反射させる。


外界種が、路地から溢れてくる。


獣型。

異形の四肢。

赤く濁った眼。


「逃げろ!」

「こっち来るな!」


人が転び。

踏まれ。

叫び声が、途中で途切れる。


その中で――


「下がれ! 民間人は後退!」


鋭い声が響いた。


教官だった。


真気を纏い、剣を振るう。

一撃ごとに、外界種が倒れる。


だが、数が減らない。


「……何かに誘導されている?」


外界種の動きが、不自然だった。

無秩序ではない。

どこかへ向かって、押し出されている。


通信を入れる。


「こちら学園区画! 駐在員、応答しろ!」


返事はない。


沈黙。


嫌な予感が止まらない。

本当に外界種のみの侵攻なのだろうか

教官は疑念を感じながらも、目の前の外界種の処理に集中した。



一方、ユリス。

彼は、学園から少し離れた住宅街にいた。


「走れる人から、こっちだ!」


瓦礫の間を縫いながら、住民を誘導する。


真気を巡らせ、外界種を斬る。

ユリスは訓練生ではあるが、その実力は正隊員に引けを取らない。


「ありがとう……!」


感謝の声。

震える手。


胸が、少しだけ温かくなる。


だが、同時に。


(レイン……)


端末を見る。

未着信。


嫌な予感が、頭から離れない。


爆音が、さらに近づいた。


曲がり角の先。


そこにあったのは――


倒れたMEK駐在員たち。


装備はそのまま。

身体は、爆風で吹き飛ばされている。


「……え?」


外界種の仕業じゃない。


爆殺。


そして、その向こう。


炎に照らされて立つ、巨大な影。


背負われた、異様に大きな剣。

圧倒的な威圧感。


――MEKランキング7位。


誰もが知る、人類側の英雄。


(……なんで彼がここに?)


英雄は、死体を見下ろしながら、

何の感情も見せずに立っていた。


そして、ゆっくりと踵を返す。


次の現場へ行くように。


ユリスの喉が、鳴った。


「……違う」


守るために振るわれた力じゃない。


これは――



同時刻。


カイルは、街を横断するように走っていた。


「ユリス……! 出ろよ……!」


端末を耳に当てたまま。

何度も呼び出す。


返事はない。


途中、外界種と遭遇する。


「っ!」


剣を抜く。

真気を巡らせる。


実力は足りない。


それでも、必死に斬る。


倒す。

息が切れる。


次の瞬間、爆風が背中を叩いた。


振り返ると、遠くで炎が上がる。


「あの方角は避難所……?」


頭を振る。


今は、ユリスだ。


彼なら、正しい判断をしているはずだ。


角を曲がる。


街灯の下。


男が一人、立っていた。


だらしない姿勢。

剣を肩に担ぎ、口元が歪んでいる。


首元。


――竜の刺青。


「……あ?」


男が、楽しそうに笑った。


剣が、抜かれる。


「運が悪いな」


カイルの背筋が、凍った。


これは――

外界種じゃない。


人間の悪意だ。



そして、レイン。


彼女は、避難指定地点の広場に辿り着いていた。


人はいない。


代わりに。


焼け焦げた地面。

砕けた結界装置。

倒れ伏すMEK隊員。


「……そんな」


守護者たちが、殺されている。


理解した瞬間、身体が動かなくなる。


背後で、足音。


軍服。

正規ではない、暗い気配。


「住民を発見した」


淡々とした声。


剣が、構えられる。


逃げ場はない。


心臓の音が、うるさい。


その瞬間。


足元に落ちていた剣を、反射的に掴んだ。


重い。

冷たい。


真気が、意思とは関係なく巡る。


相手の踏み込み。

刃の軌道。


――なんとなく、分かる。


だから、突き出した。


ズブッ。


鈍く、湿った音。


骨でも、金属でもない。

柔らかいものが裂ける、生々しい感触。


男の身体が、崩れ落ちる。


次に聞こえたのは、

剣先から血が滴り落ちる音だった。


――ぽたり。


レインは、動けなかった。


剣を握る手が震える。

視界が、にじむ。


胃が、裏返る。


喉の奥から、嗚咽がこみ上げる。


――殺した。


理解した瞬間、

遠くで聞こえていた爆音も、

悲鳴も、

外界種の咆哮も、


すべて、遠のいた。


代わりに、はっきりと残ったのは。


ズブッ。


たった一度の、その音。


それは、

人を殺した音であり。


同時に――


彼女が守られてきた日常が、完全に壊れた音だった。

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