第35話 知らないふり
翌朝。
屋敷に、いつもとは違う緊張が流れていた。
中庭に集まる騎士たち。
低く交わされる声。
普段よりも速い足取り。
マアヤは、朝の気配でそれを察していた。
(……見つかったな)
間違いない。
森に残した、三つの死体。
ほどなくして、
父が呼びに来た。
「マアヤ、リリー。
少し、話がある」
声は落ち着いている。
だが、隠しきれない重さがあった。
応接室には、父と母、
そして報告を終えたばかりの騎士団員がいた。
「今朝、森の巡回中に発見された」
父が、静かに切り出す。
「ゴブリンが三匹。
いずれも……異様な殺され方をしていた」
母が、言葉を継ぐ。
「二匹は、胸部を貫かれ……
いえ、正確には――
心臓を、握りつぶされていたそうよ」
リリーが、わずかに息を呑む。
だが、すぐに目を見開き、
知らなかったふりをする。
「……え?」
マアヤも、同じように反応した。
「……ゴブリンが?」
声は、平静だった。
父は、続ける。
「残る一匹は、武器の痕跡がない。
打撃による致命傷……
おそらく、素手だ」
騎士団員が、苦い顔で頷いた。
「人の仕業とは思えません。
少なくとも、普通の人間では
素手で魔物の体を貫き心臓を握りつぶすなんて 事はできません。」
室内に、沈黙が落ちる。
マアヤは、無言で聞いていた。
昨夜の感触が、
指先に、まだ残っている気がした。
「……怖いわね」
母が、二人を見て言う。
「森には、しばらく近づかないで」
「……はい」
二人は、同時に答えた。
その様子を見て、
父は小さく息を吐く。
「何か、昨夜おかしなことはなかったか?」
問いかけ。
ここで、
少しでも動揺すれば、
終わりだ。
マアヤは、首を振った。
「……何も」
リリーも、すぐに続ける。
「リリーも、しらない」
二人の声は、
不自然なほど揃っていた。
父は、しばらく二人を見つめ――
やがて、頷いた。
「そうか」
それ以上、
踏み込んではこなかった。
応接室を出た後、
マアヤとリリーは、並んで歩く。
何も言わない。
だが、視線が合う。
――そして。
昨夜のことが、
自然と、胸に蘇った。
月明かりの下。
血の匂いが、まだ残る森の縁。
マアヤは、リリーの前にしゃがみ込み、
目線を合わせていた。
「……リリー」
「……なに?」
「今夜のことは……」
言葉を、慎重に選ぶ。
「誰にも、言わない方がいい」
リリーは、少しだけ考えてから、
こくん、と頷いた。
「……ひみつ?」
「ああ」
「……おにいちゃんと、リリーの?」
「そうだ」
リリーは、
ぎゅっと、マアヤの服の裾を掴んだ。
「……いうと、
おにいちゃん、
いなくなっちゃう?」
その問いに、
胸が締め付けられた。
「……分からない」
正直に、そう答える。
「でも……
言わなければ、
一緒にいられる可能性が高い」
リリーは、少しだけ震えて――
それから、強く頷いた。
「……じゃあ、ひみつ」
「約束だ」
「……うん」
二人は、
小指を絡めた。
子供じみた約束。
だが、何よりも重い誓い。
現在に戻る。
マアヤは、
屋敷の廊下を歩きながら、
隣のリリーを見る。
リリーは、
何事もなかったかのように歩いている。
だが、
その小さな手が、
ほんの少しだけ――
マアヤの袖を掴んでいた。
(……守る)
秘密も。
この日常も。
誰にも知られずに。
屋敷の中では、
ゴブリンの死についての噂が広がり始めていた。
だが、
二人の間には、
昨夜の森と、
交わした約束だけが、
確かに残っていた。
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