第30話 おにいちゃんはきてくれる
SIDE リリー
リリーは、走っていた。
どこへ行くのかも、
どうやって戻るのかも、
分からないまま。
ただ、胸が苦しくて、
息が詰まりそうで、
足を止めたら泣いてしまいそうだった。
だから、走った。
気づいた時には、
屋敷の灯りは、もう遠くなっていた。
「……あれ?」
足元が、やわらかい。
石の道じゃない。
芝生でもない。
木の根。
落ち葉。
リリーは、森の中にいた。
「……まよった……?」
胸が、ぎゅっと縮む。
夜の森は、
昼間とは全然ちがった。
木々が、
黒い影になって立っている。
風が吹くたび、
ざわざわと音がする。
「……こわい……」
足が、震えた。
それでも、
リリーは少しだけ進んで――
つまずいた。
「……っ」
転びはしなかったけれど、
もう、立っていられなかった。
その場に、
ぺたんと座り込む。
膝を抱えて、
小さく、息をする。
「……だいじょうぶ……」
自分に言い聞かせる。
「……おにいちゃん……」
声は、かすれていた。
でも。
リリーは、信じていた。
おにいちゃんは、
かならず、きてくれる。
だって、
いままで、私が困ってたとき
来なかったことなんて――
一度も、なかった。
だから、待つ。
泣きたいのを、
ぐっとこらえて。
その時。
――がさり。
近くで、
何かが動いた音がした。
リリーの心臓が、
どくん、と跳ねる。
「……?」
音は、
一つじゃない。
重たい足音。
枝が折れる音。
影が、
ゆっくりと、近づいてくる。
月明かりの下に、
姿が現れた。
小さくて、
醜くて、
緑色の――
「……っ……」
声が、出なかった。
ゴブリン。
教えられていた。
森に出る、
危ない魔物。
逃げなきゃ。
分かっているのに。
足が、動かない。
声も、出ない。
ゴブリンが、
にやりと笑った。
よだれを垂らしながら、
こちらへ、歩いてくる。
(……おにいちゃん……)
涙が、こぼれそうになる。
ゴブリンが、
手を伸ばした。
――その瞬間。
衝撃音。
ごうっ、という風切り音と一緒に、
目の前にいたはずのゴブリンが――
ぶっ飛んだ。
「……え?」
信じられない光景だった。
ゴブリンの身体が、
横へ、後ろへ、
吹き飛ばされ、
木に叩きつけられる。
そして。
「俺の大切な妹に
手ェ出すな、糞ヤロウ」
聞き慣れた声。
怒りで、
低く、
震える声。
「喜べ」
影の中から、
少年が一歩、前に出る。
荒い息。
泥だらけの靴。
でも――
間違えようがない。
「お前が、
初めて俺に殺される魔物だ」
「……おにい……ちゃん……?」
声が、震えた。
マアヤは、
リリーを一瞬だけ振り返る。
その目は、
怒っていた。
でも。
リリーを見るその一瞬だけ、
はっきりと、安心が宿った。
「……遅れて、ごめん」
それだけ言って、
マアヤは、再び前を向いた。
リリーの前に立つ。
ゴブリンと、
リリーの間に。
その背中は、
夜よりも、
ずっと大きく見えた。
リリーの胸に、
溜まっていた恐怖が、
一気に、溢れ出す。
でも、もう――
こわくない。
だって。
おにいちゃんは、
ちゃんと、
来てくれたから。
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