第28話 とられちゃう

 扉が、静かに開いた。

「……おにいちゃん?」

 聞き慣れた声。

 マアヤは、びくりと肩を跳ねさせた。

「リリー……」

 振り向いた視線の先で、

リリーは部屋の中をきょろきょろと見回していた。

 机の上。

 インク壺。

 乾かしかけの便箋。

 そして――

 畳まれた一通の手紙。

 リリーの視線が、

 それに吸い寄せられる。

「……それ、なに?」

 声は、まだ普通だった。

 だが、

 胸の奥がざわつく。

(……気づいたか)

 マアヤは、立ち上がり、

 できるだけ穏やかに答えた。

「手紙だよ」

「だれから?」

 一歩、近づく。

 リリーの目は逃がさない。

マアヤは、正直に言った。

「……アイリス殿下から」

 一瞬。

 リリーの動きが、止まった。

「……だれ?」

 小さく、首を傾げる。

 マアヤは、言葉を選ぶ。

「帝都で会った、皇女様だ」

「……おんなのひと?」

 声が、少しだけ震える。

「……うん」

 リリーは、黙り込んだ。

 しばらくして、

 ぽつりと呟く。

「……おてがみ?」

「ああ。文通することになって」

 マアヤは、慌てて続けた。

「変な意味じゃない。

 世間話みたいなもので――」

「……でも」

 リリーの声が、

 かすれる。

「おにいちゃん、

 しらないところで……」

 拳が、ぎゅっと握られる。

「……しらないひとと、

 おはなししてた」

 その言葉に、

 マアヤは胸を締め付けられた。

「違う。

 リリーを置いていくつもりなんて、ない」

「……ほんと?」

 見上げてくる目は、

 不安でいっぱいだった。

 マアヤは、すぐに頷く。

「当たり前だ」

「……でも」

 リリーの声が、

 急に震え始める。

「おにいちゃん、

 えらいひとと……」

 言葉が、続かない。

 次の瞬間。

「……とられちゃう……」

 ぽろりと、涙が落ちた。

 大粒の涙。

「おにいちゃん、

 リリーのじゃなくなる……」

「リリー…」

 手を伸ばす。

 だが。

 リリーは、一歩下がった。

「いや……」

 首を振る。

「いや……いや……」

 涙を拭うこともせず、

 踵を返す。

「リリー!」

 マアヤが呼ぶより早く、

 リリーは扉に手をかけた。

「……ごめんね」

 それだけ言い残し、

 扉を開ける。

「リリー、待て!」

 だが、

 小さな背中は振り返らない。

 扉が、

 勢いよく閉まる。

 足音が、

 廊下の奥へと遠ざかっていく。

 部屋に残ったのは、

 一通の手紙。

 マアヤは、息を呑んだ。

(……まずい)

 思考より先に、

 身体が動く。

 マアヤは、扉へと駆け出した。

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