第27話 同じ温度で

 机の上に、白い便箋が一枚置かれている。

 インク壺。

 羽根ペン。

 そして、隣には――

 先ほど読み終えた、アイリスの手紙。

 マアヤは、椅子に腰掛けたまま、

 しばらく何も書けずにいた。

(……どう返す)

 選択肢は、大きく二つ。

 虚属性について触れる。

 あるいは、触れない。

 理屈で考えれば、

 虚属性に触れるのが“正しい”。

 文通のきっかけ。

 皇女が興味を示した理由。

 そう考えれば、

 能力の話を避ける方が不自然だ。

 だが。

(……違うな)

 マアヤは、ゆっくりと息を吐いた。

 あの手紙には、

 虚属性の話が一切なかった。

 代わりにあったのは、

 庭の話。

 読書の話。

 日々の小さなこと。

(……あれは)

(“聞きたい”手紙じゃない)

(“話したい”手紙だと思うんだが、)

 皇女としての立場。

 政治的な意味。

 そういったものを抜きにしても、

 あの文面は、

 純粋に“会話の続き”を求めていた。

(……なら)

 答えは、一つだった。

 マアヤは、ペンを取る。

 深く考えすぎず、

 だが、雑にもならないように。

 文字を書き始める。


 拝啓

 お手紙、ありがとうございました。

帝都での生活の様子を知ることができて、嬉しく思います。


 最初の一文を書き終え、

 ペン先を少しだけ浮かせる。

(……硬すぎるか?)

 少し迷い、

 次の文は、柔らかく続けた。


 伯爵領は、確かに静かな場所です。

 朝は鳥の声で目が覚め、

 夜は物音もほとんどありません。


(……こんなもんでいいか)

 虚属性の話は、

 一文字も書かない。

 代わりに、

 今の自分の生活を、

 そのまま言葉にする。


 最近は、訓練場にいる時間が多くなりました。

体を動かすと、考え事が整理される気がします。


 嘘ではない。

 だが、すべてを語ってもいない。

 それでいい。

 マアヤは、さらに書き進める。


 読書のお話がありましたが、

 私も物語を読むのは嫌いではありません。

 結末を知っていても、

 途中の選択に目が行くことがあります。


(……これも、本音だな)

 前世も、今も。

 結末を知っているからこそ、

 途中の行動に意味がある。

 マアヤは、最後の一文を書いた。


 また、帝都のお話を聞かせてください。

 無理のない範囲で構いません。


敬具

 マアヤ・レオンハルト


 ペンを置く。

 静かな達成感と、

 ほんの少しの不安。

(……これで、いいはずだ)

 虚属性の話をしなかったことに、

 後悔はない。

 同じ温度で、

 同じ距離で。

 今は、それでいい。

 マアヤは、便箋を乾かすために、

 軽く息を吹きかけた。

 その時――

 廊下の向こうから、

 小さな足音が聞こえてくる。

 軽く、

 規則正しい。

(……あ)

 聞き覚えのある音

 ドアの外。

 すぐそこまで、近づいている。

 マアヤは、反射的に手紙を見下ろした。

(……まずいかも)

 その考えが浮かんだ、

 ちょうどその瞬間。

 扉の向こうで、

 足音が止まった。

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