第26話 書かれてないこと
封蝋は、思ったよりも簡単に割れた。
指先に、軽い感触。
赤い蝋が、ひび割れる音。
マアヤは、封筒から中身を取り出した。
数枚の便箋。
丁寧に揃えられた文字。
(……さて)
自然と、背筋が伸びる。
皇女からの手紙。
それだけで、十分すぎるほどの重みがある。
マアヤは、静かに一行目を追った。
拝啓
先日は、鑑定の儀の後にお話しできて嬉しく思いました。
突然の提案にも関わらず、文通を受けてくださり、ありがとうございます。
(……まあ、前置きは普通だな)
形式ばった導入。
皇族らしい、丁寧な書き出し。
マアヤは、続きを読む。
帝都は相変わらず慌ただしく、
鑑定の義の後も、毎日があっという間に過ぎていきます。
最近は、朝の時間に庭を歩くのが、少しだけ楽しみになりました。
(……庭?)
一瞬、視線が止まる。
思っていた内容と、違う。
虚属性。
鑑定の義。
前例のない魔法。
そういった話題が来ると、
どこかで覚悟していた。
だが、手紙は続く。
この時期の花は、城の外よりも咲くのが早く、
侍女たちがよく教えてくれます。
ただ、私は名前を覚えるのがあまり得意ではありません。
(……世間話だな)
かなり、普通の。
マアヤは、眉をひそめながら読み進める。
マアヤ様は、伯爵領での生活はいかがでしょうか。
帝都と比べると、静かな場所だと聞いています。
落ち着いて過ごせるのなら、それはとても羨ましいことです。
(……え?)
虚属性の話が、
一行もない。
マアヤは、無意識に次の段落を探す。
行間を追い、紙の下の方まで視線を走らせる。
だが、
そこにも――
なかった。
代わりにあるのは。
最近、少し読書の時間が増えました。
難しい内容はまだ理解しきれませんが、
物語の中の人物が悩み、考える様子を読むのは、嫌いではありません。
(……)
マアヤは、完全に混乱していた。
(虚属性は?)
(興味を持ったのは、そこじゃなかったのか?)
文通のきっかけ。
あの場の空気。
確かに、
虚について質問され、
そこから話が広がったはずだ。
だから当然、
次の手紙では――
(詳しく聞かれると思ってたんだけどな……)
だが、現実は違う。
手紙は、終始穏やかで、
どこか距離の近い、
雑談の連なりだった。
最後の一文に至っては。
お返事は、無理のない範囲で構いません。
あなたの時間を大切にしてください。
敬具
アイリス・アリステア
マアヤは、手紙を読み終え、
しばらく動けなかった。
虚属性についての質問は、
最後まで、ひとつもない。
(……どういうことだ?)
頭の中で、可能性を並べる。
・虚属性は、もう十分に聞いた
・あえて触れない
・皇女として、慎重になっている
・それとも――
(……本当に、ただ話したかっただけ?)
その考えに至った瞬間、
妙な居心地の悪さを覚えた。
メインヒロインであるアイリスがわざわざかませキャラに興味を持つとは考えにくい
期待していたはずの展開が、来ない。
警戒していたはずの詮索が、ない。
それはそれで、
落ち着かない。
マアヤは、手紙をそっと畳んだ。
(……まあ)
(考えても、分からないか)
とりあえず、
返事は書かなくてはならない。
虚の話を書くべきか。
それとも、
この空気に合わせるべきか。
答えは、まだ出ない。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
この文通は、
思っていたものとは、違う形で始まった。
その意味を、
マアヤはまだ理解していなかった。
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