手紙と妹編

第23話 使うしかない

 翌朝。

 伯爵領の屋敷は、いつも通り静かだった。

 朝食を終え、

 騎士団の訓練が始まるよりも前。

 マアヤは、一人で訓練場に立っていた。

 端の方。

 誰の邪魔にもならない場所。

(……やるしかないか)

 原作の知識が、頭の中で整理される。

 この世界の魔法。

 才能や属性の違いはあれど、

 強くなる方法は、ひとつだけ。

(使う)

(ひたすら使う)

 ゲームでも、現実でも、それは変わらない。

 魔法レベルを上げる方法は、

 魔法を使うこと。

 それだけだ。

 マアヤは、深く息を吸い、吐く。

(……虚)

 意識を集中させる。

 火を出すイメージもない。

 水を操る感覚もない。

 “消す”。

 “ずらす”。

 “無くす”。

 その意識だけを、世界に向ける。

 ――一歩。

 視界が、歪んだ。

「……っ」

 次の瞬間、

 マアヤの身体は、

 数歩先に立っていた。

(……できた)

 瞬間移動。

 距離は短い。

 数メートルにも満たない。

 それでも、確かだ。

 息が、少し乱れる。

(……一回で、これか)

 体力の消耗は、想像以上だった。

 だが、止めない。

 次。

 ――もう一度。

 意識を集中し、

 空間を“折る”。

 訓練用の杭の先端に、

 軽く木剣を振る。

 その軌道が、

 途中で――ずれた。

「……っ」

 当たるはずだった場所から、

 数センチ外れる。

(……空間湾曲)

 成功と言えるかは、微妙だ。

 だが、

 攻撃が逸れたのは事実だった。

 マアヤは、すぐに次へ移る。

 瞬間移動。

 歪曲。

 瞬間移動。

 歪曲。

 距離は一定。

 方向も、決めない。

 ただ、繰り返す。

 汗が滲む。

 呼吸が荒くなる。

 それでも、止まらない。

(……当たった理由)

 原作で、

 邪神教団の攻撃が当たった理由。

 体型だとか、

 慢心だとか。

 理由はどうでもいい。

 必要なのは――

(当たらないだけの、反復)

 虚属性は、

 「考えてから使う」魔法じゃない。

 来た瞬間に、

 反射で発動する必要がある。

 だから。

 考える前に、使う。

 身体が覚えるまで。

 ――瞬間移動。

 視界が跳ねる。

 ――歪曲。

 空気が歪む。

 膝が、がくりと落ちた。

「……っ、はぁ……」

 息が、追いつかない。

 魔力も、

 体力も、

 限界に近い。

 それでも、

 立ち上がる。

(……まだだ)

 邪神教団は、

 情けをかけてくれない。

 回避できなければ、死ぬ。

 それだけの話だ。

 訓練場の端で、

 七歳の少年は、

 誰にも見られずに、

 世界を“ずらし続けていた”。

 派手な魔法はない。

 歓声もない。

 あるのは、

 地味で、孤独で、

 だが確実な一歩。

(……今度は)

(絶対に、当たらない)

 マアヤは、歪んだ視界の中で、

 そう誓いながら、

 再び一歩を踏み出した。

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