第17話 皇女様がやって来た

 足音は、迷いがなかった。

 硬すぎず、柔らかすぎない。

 育ちの良さが、そのまま歩き方に出ている。

 マアヤは、その音を聞いた瞬間に悟った。

(……来た)

 振り向く前から、分かってしまう。

「二人とも、こんにちは」

 澄んだ声。

 マアヤが顔を上げると、そこにいたのは――

 第三皇女、アイリス・アリステアだった。

 淡い金髪。

 真っ直ぐな背筋。

 七歳とは思えない落ち着いた佇まい。

(……落ち着け)

(何もするな)

(何も言うな)

 心の中で、必死に自分に言い聞かせる。

 ――だが。

(即プロポーズ)

(即玉砕)

(即粘着)

(――――やめろ)

 最初にアイリスを見たときと同じように

 原作の記憶が、容赦なく蘇る。

 鑑定の儀の場で、

 初対面の皇女に一目惚れし、

 衝動のまま求婚し、

 当然のように断られ、

 それでも引かずに追いすがる。

(……あれは)

(完全に)

(俺のじゃないけど、黒歴史)

 表情筋に、全力で命令する。

 平静を保て。

 マアヤが何か言う前に、

 アイリスはエルドの方へ視線を向けた。

「あなたが、光属性の……」

 一瞬、言葉を探す。

「エルド・トルメリア、だったわね」

 エルドは、少し驚いたように目を見開き、

 すぐに姿勢を正した。

「は、はい」

 無意識に敬語になる。

 皇女相手なら、無理もない。

「突然、声をかけてごめんなさい」

 アイリスは、丁寧に言った。

「少し……話をしてみたいと思って」

 エルドは、一瞬だけ視線を彷徨わせ、

 それから小さく頷いた。

「……分かりました」

 そのやり取りを横で見ながら、

 マアヤは必死に“置物”を演じていた。

(俺は空気)

(俺は背景)

(虚属性だからな)

 ……笑えない冗談だ。

 アイリスは、エルドに向き直る

「光属性が出た時、驚いたわ」

 率直な言葉だった。

「帝国でも、滅多に現れない希少属性よ」

「……はい」

 エルドは、少し困ったように答える。

「正直、まだよく分かってなくて」

「それでいいと思うわ」

 アイリスは、静かに微笑んだ。

「分からないまま、背負わされるのは……重いもの」

 その言葉に、

 マアヤは内心で小さく頷いた。

(……分かってるな、この皇女)

 エルドは少しだけ安心したように息を吐く。

「皇女様は……」

 言いかけて、言葉を選び直す。

「アイリス様は、雷属性なんですよね」

「ええ」

 アイリスは、あっさりと頷いた。

「生まれた時から、そうだと期待されていたわ」

 それは、自慢でも愚痴でもない。

 ただの事実。

 エルドは、その言葉を噛みしめるように黙り込んだ。

「……責任、重そうですね」

 ぽつりと漏れた本音。

 アイリスは、ほんの一瞬だけ目を細め――

 そして、また元の表情に戻る。

「慣れているから、大丈夫」

 その“慣れている”という言葉に、

 マアヤは別の重みを感じ取っていた。

(……やっぱり)

(この二人、相性いいんだよな)

 原作の記憶が、ここでも役に立つ。

 ――そして同時に。

(だからこそ)

(俺は、余計なことをしない)

 黒歴史を作り出すつもりは、毛頭ない。

 マアヤは、会話に割り込まず、

 ただ静かに二人を見ていた。

 アイリスとエルドの言葉が、

 少しずつ噛み合い始めた、その時

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