第9話 迎えに来る理由

訓練場に、夕方の風が吹き抜けていた。

剣を収めた騎士たちが、三々五々に散っていく。

 土の匂いと、汗の匂いが混じった空気。

 マアヤは、木剣を地面に立てかけ、深く息を吐いた。

「……はぁ……」

 腕が重い。

 脚も、正直言って限界だ。

 それでも、昨日までとは違う感覚があった。

 剣を「振り回している」だけではない。

 少しずつだが、身体の中心で剣を支えられている気がする。

(……カムロスの言った通りだな)

 守る剣。

 その意味が、ほんのわずか分かり始めていた。

「おにいちゃーん!」

 その声が聞こえた瞬間、

 マアヤの思考は、すべて吹き飛んだ。

 反射的に顔を上げる。

 訓練場の入口から、小さな影が駆けてくる。

 淡い色のワンピース。

 短い足で、必死に走っている。

 リリーだった。

 両手には、

 水の入った小さな瓶と、

 白いタオル。

「……リリー?」

 マアヤが名前を呼ぶより早く、

 リリーは彼の前まで来ていた。

「はいっ」

 差し出されるタオル。

「つかれたでしょ」

 次に、水。

「のんで」

 少し息を切らしながら、

 それでも誇らしげに胸を張っている。

(……なんでここに)

 疑問は浮かんだ。

 だが、それ以上に――

(……来てくれたのか)

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

「……ありがとう」

 マアヤはタオルを受け取り、汗を拭いた。

 水も、少しずつ口に含む。

 冷たい。

 それだけで、生き返る気がした。

「がんばった?」

 リリーが、上目遣いで聞いてくる。

「……うん」

 短く答える。

 それだけで、リリーの顔がぱっと明るくなった。

「えらい!」

 ぎゅっと、マアヤの服の裾を掴む。

「おにいちゃん、つよくなるの?」

 その問いに、マアヤは一瞬だけ言葉を探した。

 強くなる理由。

 本当の理由。

 だが、答えは最初から決まっている。

「……なるよ」

 しゃがみ込み、目線を合わせる。

「リリーを、まもるから」

 リリーは、きょとんとした後、

 ゆっくりと笑った。

「じゃあ……」

 小さな手が、マアヤの手を握る。

「リリーも、いっしょにいる」

 胸が、きゅっと締め付けられる。

(……ずるいだろ)

 こんなの。

 こんな顔で、

 こんな言葉を向けられて。

(守らない理由なんて、あるわけない)

 少し離れた場所で、

 その光景を見ていた騎士たちが、小さく声を潜めていた。

「……迎えに来たのか?」

「兄貴思いだな」

「いや……あれは、もう……」

 誰も、続きを言わなかった。

 マアヤは立ち上がり、

 リリーの頭に、そっと手を置く。

「帰ろう」

「うん!」

 夕暮れの訓練場を背に、

 二人は並んで歩き出す。

 剣を握る理由は、

 今日も、すぐ隣にあった。

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