第8話 メイド少女と妖精の噂
それから、いくつかの授業と時間を過ごし、今日もまた放課後がやってきた。先に下校する幽実と別れを告げ、俺は昇降口とは反対方向に足を進める。
目的地は特に決まっていない。最終的には厄災ちゃんの住まう例の教室に向かう予定だが、あそこは第三者の目がある状態だと入り口の扉が認識出来ないため、生徒の数が少なくなるまで暇をつぶす必要があった。
とはいえ、雨の日でもなければ大抵の生徒はすぐに部室棟かグラウンドへと走るか、あるいは帰路につくかをするため、ものの数十分もあれば人目を避けて入れるようになるだろう。
それくらいの短時間なら、図書室で本でも読んで待っていようかと、さしあたっての行き先だけを決めて渡り廊下に向かおうとした俺の前を――
――メイドが、横切っていった。
「…………え?」
一瞬、何かを見間違えたのかと思い、両目を軽くこすってからメイドに見えたものの進行方向に目を向ける。
……いる。やはり、メイドが廊下を歩いている。
掲示板か柱かの見間違いではなかった。しかし、そのメイドが幻覚である可能性はまだ
なぜなら、俺以外のすれ違った生徒は、誰一人として少女の姿に反応を示していなかったから。
普通の高校にメイド服の金髪少女なんて、とてもじゃないがノーリアクションでは通せない違和感があるはずなのに、驚きの声が一つも上がっていないのは流石におかしい。
非日常に反応がないという非日常。この状況に、俺は一つの仮説が脳裏をよぎった。
「まさか……あれも、七不思議なのか?」
不可解な現象をなんでも七不思議と決めつけるのは、いささか早計というか思考停止な判断なのかもしれないが、自分にしか見えていないとなると疑わざるを得ない。
それに、これまで見てきた七不思議――厄災ちゃんと『ハナコさん』は、どちらも少女の姿を模していた。ならば、他に少女らしい七不思議がいても不思議ではない。
「……後をつけてみるか」
目的地を図書室からメイドの追跡に変更。
たとえ七不思議でなかったとしても、学校にいる不可視のメイドなんて異質な存在であることに変わりはないのだから、行き先を辿ることで動向を探ってみることにした。
階段を一つ、二つと上り、渡り廊下を通って部室棟へ。
それから更に階段を上って、最上階――文化系の部室が並ぶ階まで来たところで、メイドは一度ぴたりと足を止めた。
「……か……ば、め」
小さな声で何か話しているが、詳細までは聞き取れない。メイドは数秒ほど立ち止まっていたが、何か納得したのか小さく頷いて、再び廊下へと歩き出す。
そして、部室を四つほど通り過ぎたあたりかで急に九十度の方向転換をしたメイドは、そのまま迷いのない足取りで、とある部室の扉をすり抜けていったのであった。
「ここは、新聞部か?」
ぶら下がっている看板に目を向け、新聞部と書かれているのを確認する。部屋の中から物音は聞こえなかった。今日は部活動が休みなのかもしれない。
しかし、メイドの少女が――七不思議の怪異が、新聞部になんの用事だ?
扉をすり抜けたことで、メイドが怪異であることはほぼ確定した。ならば、これから生じてくるのは別の問題で。
幸い、ここまでの尾行がバレることはなかったが、これ以上彼女を追うとなると新聞部の扉を開ける必要がある。
そうなれば、まず間違いなく俺はメイドの少女に見つかることだろう。そして、それが『ハナコさん』のような危険な怪異であった場合、自分の身は自分で守るしかない。
厄災ちゃんに相談すべきか。
一巡ほど思考を回した後、相談するにしてもメイドが室内で何をしているかだけでも確かめておきたいと思った俺は、細心の注意を払いながらそっと扉を横に開いた。
――メイドの少女は、箒を片手に部室の床掃除をしていた。
「…………なんで?」
メイドが掃除をする。
言葉だけ見れば何もおかしなところなどない行動だが、一般的な高校の一般的な部室で、散らかった机の間を縫うようにメイドが床を掃いている光景は、明らかに不釣り合いで違和感満載な状況であった。
「…………?」
「あっ……」
慎重を期そうと心得ていたのに、驚きの声をあげてしまったせいで、メイドの少女とばっちり目が合ってしまった。
緊張でこちらの動きが止まり、同様にメイドの動きも止まる。
「…………」
「…………」
「……見えてるのです?」
「えっと……ああ、見えてる」
「…………」
凝視する視線は結ばれたまま、メイドの少女は黙りこくってしまった。
この部室内だけ時間が止まったようで、湿度の高い緊張感に包まれる。
秘密を知られて消される? 瞬きをした刹那に、手に持っている箒でぶん殴られてたりする?
吸い込まれてしまいそうな彼女の瞳からは感情を読み解くことが出来ず、物騒な単語ばかりが次々と思い浮かぶ。
しかし、見つめあうこと一分ほど、メイドの少女は表情を微動だに変えぬまま視線を外し、何事もなかったかのように掃除を再開したのであった。
「……許された、のか?」
危険はないと判断されたのか、あるいは単純に無視されたのか。困惑は残ったままだが、ひとまず目先の窮地からは逃れられたようだ。
ほっと一息をついたことで緊張の糸が切れたのか、気がつけば俺は近くの壁にもたれかかったまま、呆然とメイドの少女が掃除をする姿を追いかけていた。
箒での床掃除を終え、次は机上に転がっている物の整頓。
ペンやらプリントやらを手際よく整理していく彼女だったが、ファイルを手に本棚の前に立ったところで、
「…………」
いくつかのファイルを抱えながら見上げていたのは、本棚の最上段にある空白のスペース。もしかしたら、ファイルをしまう場所が思ったよりも高い所にあって、手が届かずに困っているのだろうか?
怪異なら宙に浮かんだりは出来ないのかと思ったが、小柄な体を目一杯に伸ばして届かせようとしているあたり、浮遊能力を使えるわけではないらしい。
そういえば、厄災ちゃんも話していたな。怪異がみんな浮けるわけではないと。
ただ同時にもう一つ、こうも話していた。怪異は物に触れることが出来ないとも。
物に触れられるということは、彼女は怪異ではない?
「……どちらにしても、か」
彼女が怪異か否かについては、一旦棚に上げておこう。
言葉の綾ついでではないが、女の子が棚に物を上げられず困っているなら、助けの手を貸さないわけにはいかなかった。
「そのファイルの束、本棚の上に置けばいいのか?」
スペース部分を示しながら声をかけると、メイドの少女は少し驚いたように身を振り返らせる。
いや、反応は変わらず無表情で無言なのだが、ファイルをこちらに差し出して首を縦に振ったので手伝いを認めてくれたと判断して物を受け取り、背表紙を揃えて棚の上に詰め込ませた。
「よし、と。これで問題ないか?」
言葉は発さないが、代わりにこくこくと頷き返してくれた。
このまま質問でも出来たらと思ったが、言葉を交わすのはまだ難しいか。
「なあ……えっと、メイドさん。なんでメイドさんは、新聞部の掃除なんかしてるんだ?」
まあ、無視されたならそれはそれでいいかと、反応があればラッキーくらいの駄目元で尋ねてみた俺だったが、問いの答えは思わぬ方向から返ってきた。
「その子は妖精ちゃんで、私が作り出した七不思議の三番目だからですよ」
声をかけられて振り返ると、そこには見覚えのある黒いセーラー服の少女――厄災ちゃんが立っていた。
「厄災ちゃん……どうしてここに?」
「先輩が来るまでの暇つぶしに妖精ちゃんの仕事っぷりでも見に行こうと思っていたのですが、まさか先回りされていたとは」
「妖精ちゃん……ってのが、この子の名前なのか?」
それに、厄災ちゃんはこうも言っていたな。
妖精ちゃんは私が作り出した、七不思議の三番目だと。
「先輩は、七不思議の三番目についてご存じですか?」
「えっと……確か、幽実が話していたのは……」
散らかった部屋をいつの間にか綺麗にしてくれる『小さな妖精さん』の噂。
忙しさで片づけにまで手が回らなかった部室が、いつの間にか綺麗にされていたという話だったか。
「おお、ちゃんと新しい七不思議に更新されていますね。どうやら、私の仕込みもうまく作用してくれたようです」
「新しい七不思議? ってことは、妖精ちゃんの前にも別の七不思議があったのか?」
「ええ、その通りです。といっても、以前の三番目は先輩が私を見つけるよりも前に解決済みでして。彼女はその空いた席を埋めるついでにお手伝い役として私が作ったのです」
「作ったって……そんなお手頃感覚で、怪異って作れるものなのか?」
「いいえ、簡単なことではないですよ。ただ、作ること自体は可能です。七不思議限定のやり方ではありますが、先ほども話した通り、三番目の代わりとなる怪異譚を流してあげればいいんですから」
怪異は、人の噂から生まれ落ちる。
ならば逆に、たとえ事実無根であったとしても噂さえ広まってしまえば、その感情の力から怪異を作ることも出来るというわけか。
「もっとも、普通の人間が流す噂くらいじゃ、怪異が生まれることはないですけどね。彼女は、七不思議の七番目としてのちょっとしたズルと細工が施された末、たまたま作ることに成功した――いわば、偶然の産物なんですよ」
「メイド服を着ていて、物を持つことが出来るのも、偶然の一種なのか?」
「それは、半分偶然半分必然ってところでしょうか。彼女を形作る噂の元――『小さな妖精さん』は掃除を存在定義の
「なるほど……難しい制約なんだな」
良くも悪くも、噂に存在を左右されるが故に生じる副産物というわけか。
ちらりと妖精ちゃんに目を向けてみると、目的である掃除が終わったからか、彼女はぼーっと呆けた無表情で窓の外を眺めていた。
「一応確認しておくが、言葉は通じるんだよな?」
「はい、ちゃんと通じますよ。妖精ちゃん、ちょっと来てもらえますか?」
厄災ちゃんが呼びかけると、休止していた妖精ちゃんのスイッチがオンに切り替わり、掃除をしていた時と同じ機敏な動きで彼女の隣に立つ。
「……お呼びですか、お嬢様?」
「お、お嬢様? なんだ、やっぱり作った側と作られた側とで主従関係とかがあるのか?」
「便宜上のものですが。とはいえ、この子がこの呼び方を気に入っているみたいなので、私も謹んでお嬢様と呼んでもらっているんです」
謹んでという割には、お嬢様と呼ばれて嬉しそうに見えたが。
「妖精ちゃん。こちら、私達の新しいご主人様となった、
「待て、そんな大層な存在になった覚えはないぞ」
それに、私達と包括されたら、まるで厄災ちゃんまでが従者になったようではないか。
「嫌ですか、ご主人様?」
「…………今まで通り、先輩と呼んでくれ」
心にグッとくるものがあったのは、内緒にしておこう。
勘付かれるには十分過ぎるほどの間を空けてしまったが、是非の二文字を飲み込んだだけ自分を褒めてやりたかった。
「ああ、そうだ。厄災ちゃんに一つ、話しておきたいことがあるんだった」
これ以上恥をさらす前に、俺は強引に話題を切り替える。
妖精ちゃんという新しい怪異の登場で順番が前後してしまったが、本来は最初にこの話を持ちかけたかったのだ。
七不思議の二番目――『悪魔の手』の噂についてを。
「厄災ちゃんは、昨夜踊り場で起きた事件の話を知ってるか?」
「昨夜現れた、『悪魔の手』についての話ですか?」
「なんだ、厄災ちゃんの耳にも届いてたんだな」
「というよりも、その場に居合わせていたという方が正しいでしょうか。もっとも、私が目撃したのは黒い手が消えた後――襲われた生徒さん方が踊り場から逃げ出していくところからですが」
「それじゃあ、その『悪魔の手』が実際に出てきたところは見てないのか」
「残念ながら……ですが、『悪魔の手』の存在自体は真実です。そしておそらく、七不思議の二番目は、一番目以上に活発化している。あれはもう、人への悪意を――明確な意思をもって、害を及ぼせる存在となってしまっています」
活発化――『ハナコさん』の時とは違い、『悪魔の手』は能動的に人を襲えるくらいまで怪異として完成している。
昨夜の被害者はたまたま鏡を割ることで避けることが出来たが、もしも次があったなら――次に誰かが襲われたりしたら、助けることは出来ないかもしれない。
だから、取り返しがつかなくなるその前に、対応する必要がある。
「先輩。今日の夜って、お時間空いてますか?」
その問いかけから、俺は厄災ちゃんの意図を――七不思議の二番目を今日中に終わらせるという、確固たる決意を感じ取ったような気がした。
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七不思議の七番目 幸色の厄災ちゃん @absence0433
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