第2章 鏡の国の妖精さん

第7話 合わせ鏡に潜む『悪魔の手』

 新緑の深まる皐月さつきの上旬、桜花高校でとある小さな事件が発生した。


 さて、事件のあらましを語る前に一つ、桜花高校の名所を紹介しておこう。

 我が校は伝統を語れるほど古くはなく、さりとて新進気鋭を名乗れるほど新しくもない普通の学校なため、余所様に誇れるような物品や建造物を保有していたりはしないが、それでもちょっとした心霊スポットくらいは存在する。

 今回紹介するスポットはそのうちの一つ、本校舎の階段にある合わせ鏡の踊り場であった。


 踊り場の手前と奥とで向かい合うように配置され、壁に備え付けられた大きな二面の鏡。男子生徒が手を伸ばしてようやく届く程に高い鏡が、ダンススタジオさながらに壁の端から端まで張られている。

 設置された当初はどんな思惑があったのかは知らないが、今では無限に反射する空間を不気味に思われながらも、一部の生徒によって暇つぶしに使われる程度の意味しかない空間と化していた。

 そして、そんな暇つぶしの名所である踊り場が、今回の事件現場であった。


「合わせ鏡の片面が叩き割られた?」


 最初に事件のことを教えてくれたのは、三度の飯よりオカルト大好きでお馴染みの少女――怪原かいはら幽実であった。


「昨日の夜、ちょっとした騒動があったらしくてね。割った生徒達の詳細は明かされてないけど、なんでも七不思議の噂に感化された男女グループが肝試しと称して夜の学校を探索していたそうで。その過程で事故が起こって鏡を割っちゃったらしいわ」

「肝試しで学校徘徊って、思いっきり校則違反じゃねえか」


 自分のやっている所業を棚に上げ、一善良な生徒の振りをして男女グループとやらを非難してみた。

 実際、厄災ちゃんの使う『夜の帳』のおかげで姿は見られないが、深夜徘徊を始める生徒が増えることで警備が厳重になるのは困るしな。


「でねでね、ここからが不思議な話なんだけど……その男女グループが遭遇した事故っていうのが、なんと合わせ鏡の中から黒い手が伸びてきたって話らしいのよ」

「合わせ鏡から黒い手……なんか、どこかで聞いたことがあるような……」

「おっ、もしかして自力で思い出せちゃう?」


 幽実が期待に満ちた眼差しで、俺の目をじっと見つめてくる。

 そんなに注目されるとかえって答えづらいのだが、親愛なる友人を落胆させる理由もないので、記憶の欠片から引っかかった言葉を手繰り寄せてみた。


「七不思議の二番目――『悪魔の手』の噂、だったか?」

「そうそう! 合わせ鏡の最奥さいおうに抱く恐怖心が生み出す『悪魔の手』の噂。いやー、霊斗もすっかりオカルトのとりこになってきたわね」

「幽実がしつこく語るせいで、頭に刷り込まれちまっただけだ」

「またまた、謙遜しなくていいのにー。七不思議の一番目だって、あんなにも楽しそうに原因を解明したって話してたじゃない」

「あれは……たまたま思いついたってだけだ」


 厄災ちゃん絡みの話をなるべく避けようとしただけなのだが、曖昧な反論のせいで逆に興味があるのを隠しているだけだと思われてしまったようで。

 したり顔でうんうんと頷く幽実の姿に、やっぱり忘れたふりをすればよかったかなと後悔しつつ、逸れた話題を昨夜の鏡割り事件に戻す。


「それで、その黒い手が事故とどう関わってるんだ?」

「関わったも何も、起こった事故は七不思議の噂通りだったのよ。合わせ鏡の間に立った生徒を『悪魔の手』が掴み取り、鏡の中へ引きり込もうとしてきたんだって」

「鏡の中に……?」

「そう! 幸いにも、とっさに他の生徒が持っていた懐中電灯を投げつけたことで、鏡が割れてその生徒は助かったそうだけど。一歩間違えれば、魂を持っていかれてもおかしくない状況だったらしいわ」

「ただふざけて夜の学校探索をしてたら鏡を壊しちまって、それを怪談のせいにしてるってだけなんじゃねえの?」

「そんなことないわ! 確かに、先生たちも一種のパニック症状が見せた集団幻覚だろうって判断しているそうだけど、これは間違いなく七不思議が現れたのよ!」

「その根拠は?」

「私の直感がそう囁いているから!」


 それは根拠ではなくただの願望だ。

 ことオカルトに関しての思い込みの激しさはいつものことだが、どうもここ最近は興奮度合いが増している気がする。立て続けに七不思議関連の話が出てくるものだから、彼女のオカルト心に変な火がついてしまったのかもしれない。


「私も許されるなら、深夜の学校を歩き回って七不思議を探してみたいわ」

「やめとけやめとけ! 夜中に出歩くなんて危ないし、時間を無駄にするだけだ」

「じゃあ、霊斗と一緒なら男の子もいるし安全かしら?」

「なっ……!?」


 まさか幽実の口からそんな異性を意識させるような台詞が出てくると思っていなかったばかりに、不意をつかれた俺は思わず息を飲み込みそのままむせ返ってしまった。


「ちょ……大丈夫、霊斗? すごい響く咳をしてたけど」

「大丈夫だ、ちょっとびっくりしただけで……」


 まったく、中学の頃の内気だった彼女なら、まず飛び出してこなかったであろううたい文句だ。高校生になって友達が増えたことで、一緒によくない説得法も覚えてしまったのかもしれない。


「それで、仮に私が一緒に肝試ししよって誘ったら、霊斗は付いてきてくれるかしら?」


 わざとらしい手の仕草とウインクで冗談を装ってはいたが、半分以上は本気で誘っているようにも見える。おそらく、ここで俺が首を縦に振ろうものなら、今夜にでも肝試しを敢行かんこうしそうな勢いだ。

 しかし――


「……学校外でなら付き合ってやるから、学校に居残ることだけは絶対にするな」

「なあに、いつになく否定するのね」


 これまでの俺だったら、いつもの発作だと適当に流していただろう。あるいは、ほのかに照れの混じった彼女のかわいいおどけに篭絡ろうらくされ、一滴ひとしずくの刺激を求めて校則違反の道を突っ走っていたかもしれない。

 だけど、今の俺は夜の学校を知ってしまっている。七不思議が実在することも、異常なる領域の危険性も。

 そして、そのうちの一人と約束を交わしていることも。


「……なんか、わりい。ついむきになって、否定しちまったな」

「ううん、謝らないで。それに、流石の私も校則を破ってまで危ないことはしないわよ。霊斗に余計な気を使わせても嫌だしね」


 オカルト方面では暴走しがちな彼女といえども、学級委員長を任されるくらいには良識も分別もあるのだから、きっと俺の忠告は余計なお世話であっただろう。

 それでも、幽実は俺のお節介に対し「心配してくれてありがとう」と、丁寧にお礼を返してくれた。


 七不思議のことを隠しているのも相まってか、罪悪感と後ろめたさで少し心が痛む。

 俺の謝罪に理由などの追及をしないでくれる幽実の寛容さが、今は本当にありがたかった。


「ところで、この一件とは特に関係ないんだけど、今日の放課後って空いてるかしら?」

「いや……悪い、今日はちょっと用事が……」


 話の流れとしては是非ともお供してやりたいところだったが、あいにく今日は厄災ちゃんに会いに行く先約があったので、泣く泣く断らせてもらう。


「あら、残念。何日か前も用事があるって話してたし、最近忙しそうね」

「ちょっと、野暮用が出来てな」

「野暮っていう割には、幸せそうに見えるけどねー。何か楽しいことでもあったのかしら?」


 七不思議の七番目にお願いされ、七不思議を終わらせる手伝いをする。

 楽しいことと言えるほど気楽に臨めるものではないのかもしれないけど、彼女の言う通り、塗り替えられた今の日常はちょっとだけ幸せなのかもしれなかった。

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