第6話 幽霊の正体見たり枯れ尾花
七不思議の一番目の住処となる女子トイレを後にしたところで、厄災ちゃんはすぐに足を止めて話の続きを切り出した。
「それではさっそく説明を……と進めてもいいのですが、少しだけ先輩にも推理をしてもらいましょうか」
「推理っていうと、七不思議を鎮める方法のことか?」
「といっても、それほど深く考えることはないですよ。これまでの私の発言を思い返してもらえれば、自ずと答えは見えてくるはずです」
「……わかった、考えてみよう」
一から十までを受動的に知るよりは少しでも思考してからの方が、厄災ちゃんの説明も頭に入ってきやすいだろう。
そう考えた俺は彼女の提案通り、自分の記憶を振り返ってみることにした。
まずは、『ハナコさん』はどの七不思議の噂から広がったのか?
『まず一番目は、封鎖された女子トイレの個室で夜な夜なすすり泣く『ハナコさん』の噂。泣いている声につられて扉に手をかけると、現世に憧れた『ハナコさん』に眼球を奪われちゃうんだとか』
――そうだ、封鎖された個室からすすり泣く声が聞こえたといって、『ハナコさん』の噂は広がった。
けど、それは最初に聞いた人の勘違いで、すすり泣く声の正体はトイレの自動洗浄時に流れる水の音だった。だから、泣き声の主なんて本当は存在しなかったはずなのに、『ハナコさん』は俺達の前に現れた。
怪異として――七不思議の一番目として。
存在しなかったはずの彼女が七不思議として現れた理由――それは、怪異が生まれる理由に関係がある。
『順序が逆なんですよ。怪異現象が起きて噂が立つのではなく、噂が立つことで初めて怪異現象が発生する。たとえそれが、水洗音を泣き声と誤った勘違いであったとしても、聞き違えた噂はやがて真実となり、水洗音は少女のすすり泣く声となり――そして』
火は煙より生まれ落ちる。
人の意思が集い、噂が七不思議という枠組みに収められたことで、『ハナコさん』は七不思議の一番目として顕現したのであった。
それならば、解決法もまた同じことであろう。すなわち――
「――噂の元となった勘違いを正すことが、怪異を鎮める方法なんだな」
「正解です。ご褒美に頭を撫でてあげましょうか?」
「先輩相手に子ども扱いをするな」
伸ばされた腕が頭へ触れる前に、さっと身を退かせて避ける。
この手のからかいを真に受けても仕方ないので、適当にあしらいながら説明の続きを促した。
「先輩の推理通り、私達七不思議は生徒たちが流す噂の力によって成り立っています。厳密には、七不思議に向ける感情の力と言いますか……それが恐怖であれ親しみであれ、関心が向けられている限り、七不思議は形を保ち続けることが出来るのです。が、逆に言えばそれは、関心が失われてしまえばそれまでということでもあり……」
「……噂の真相が知れ渡れば、自然と興味が失われて存在も消えていくと」
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
疑心暗鬼とまでは言わずとも、悪い方向ばかりに想像を膨らませていた泣き声の正体がトイレの水洗音だとわかれば、流石の恐怖心も薄れてくれることだろう。
そして、
「要するに、俺はその噂を消す手伝いをすればいいんだな?」
「はい。ここからが、本当のお手伝いのお願いになります」
そう言うと、厄災ちゃんはいつになく真剣な眼差しをこちらに向けて、それから深々と頭を下げる。
「お願いします。七不思議の一番目の噂を、その手で消滅させてください」
「……任せておけ」
七不思議の七番目のお願いを、俺は二つ返事で引き受けるのであった。
***
それからしばらくして、七不思議の一番目――『ハナコさん』は件のトイレからいなくなった。どうやら、噂を消滅させた効果が
あの日以来、部室棟一階の女子トイレからすすり泣く声が聞こえることはなく、かといって修理されることもない開かずの個室は、今日も人知れぬところで水を流していることだろう。
俺が取った手段は極めてシンプルなものであった。
厄災ちゃんも提案した、単純かつ明快な噂を消す方法――それは、勘違いを訂正すること。すなわち、部室棟一階の女子トイレには自動洗浄機能が導入されていることの周知であった。
掲示板やトイレの前に簡易的なポスターを貼って、ついでに学校中のトイレにも自動洗浄機能があれば掃除も楽になるのになーと、自然な形で波及してくれるような話題の提供を行う。
ヒントとなる情報が知れ渡れば、『ハナコさん』の噂に怯えていた生徒も自力で勘違いに気付くことが出来る。
そうなれば後は簡単な流れで、知識が未知への恐怖心を鎮め、得心がいった脳はやがて恐れていた現象そのものを忘れてしまうのだ。
ただ、その副作用というわけではないが、少しの間、生徒たちの中でウォシュレット設置運動がブームになったりもしたけど。
それはまた別のお話というか、トイレの話題を広めるのに一役買ってくれた幽実の話術が、桜花高校のトピックをかっさらうほどに上手だったという技量の証明でもあった。
「エアコンすらここ数年で導入されたくらいなんだから、温水便座なんて夢のまた夢な話だろうにな」
「いいじゃないですか。ありもしない悪霊の恐怖に怯えるよりは、夢と希望を語っている方が健全なものでしょう」
「まあ、それもそうか」
時刻は午後五時過ぎ、今日はまだ下校時刻を迎えてはいない。
所々茶々を入れられながらではあったが、厄災ちゃんは俺の語る『ハナコさん』騒動の
そういえば、出会った最初の頃に人と話すのは久しぶりだと言っていたが、決して上手ではない俺の語りにここまで興味を示してくれるのだから、きっと本当の事なのだろう。
今はまだ誰にも見えない、七不思議の七番目。
「はあ……楽しいお話、ありがとうございました。それから、噂を消してくれたことも。先輩のおかげでまた一つ、七不思議を鎮めることが出来ました」
端正な顔の少女に正面からお礼を告げられれば、流石に悪い気はしなかった。幽霊で怪異で七不思議の一つだけど、目に映るその姿がかわいい女の子であることに変わりはないし。
これが怪物や宇宙人のような異形であったら、はたしてお願いを引き受けていただろうか。多分、薄情ではあるけど、交渉なんて選択も浮かばぬまま裸足で逃げ出していたに違いなかった。
「どういたしまして」
「……ふふっ」
結局、俺は厄災ちゃんの七不思議を鎮める手伝いを請け負うことに決めた。理由はいくつかある。
一つは、『ハナコさん』という本物を知ってしまった以上、学校に潜む危険因子――七不思議に見て見ぬふりを出来なくなってしまったから。
一つは、安易で軽率だがお願い主である厄災ちゃんが可愛かったから。これを理由から外せるほど、俺はまだ達観出来ていない。
そして一つは、この非日常を楽しいと思っている自分がいることに気付いてしまったから。
どこまでが嘘でどこまでが真実かわからない異常の領域に、ちょっとだけ魅了されている自分がいたのだ。
「今日は報告のために来たが、別に毎日通うようなことはしなくていいんだよな?」
「ええ、そうですね。手伝いが必要な際は呼ぶこともあるでしょうが、先輩が何か特別意識するようなことはありません。ただ……」
「……ただ?」
「気が向いた時で構いませんので、時折顔を出して、私の話し相手になってくれたら嬉しいです」
「…………」
あまり見ることのない照れた笑みを浮かべた厄災ちゃんに、俺は黙って首を頷かせることしか出来なかった。口を開いたら、上擦った変な声しか漏らせなかっただろうから。
それは、七不思議の七番目の――その蠱惑的な少女の魅力に、心を奪われてしまった瞬間であった。
「……そ、そういえば今更だが、なんで厄災ちゃんは厄災ちゃんって名前なんだ?」
照れ隠しの意もあって、ふと頭の片隅をよぎった疑問を直送で尋ねかける。
俺の問いかけに厄災ちゃんは、表情をいつもの形に戻して当たり前のように答えるのであった。
「なんでって、理由は先輩もよく知っているはずでしょう。私は、最悪の不幸をもたらす災厄の少女だから、厄災ちゃんなんですよ」
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