第4話 一番目の『ハナコさん』

 一限から五限、日によっては六限までの授業を終えてからの時間を、俺達は放課後と呼んでいる。部活に精を出すもよし、友人と遊びに出るもよし。

 もちろん、勉学や趣味にふけるもよしの自由な時間ではるが、決して際限なしに与えられるものではない。家によっては門限が定められているかもしれないし、そうでなくとも学校で活動をする場合、下校時刻になれば必ず帰らなければならない。


 桜花高校では、午後六時を完全下校時刻としている。それ以降の活動には教員の許可が必要とされており、当然ながら俺はそんな申請など出してはいない。

 つまりは無許可で、校則違反の居残り。

 模範とまではいかずとも比較的校則に準拠じゅんきょしていた身としては、少なからず後ろめたい気持ちになってしまう。だけど同時に、夜の学校を巡回することに心が弾んでいる自分がいるのもまた事実であった。


「さて、そろそろ校舎から人も減ってきたことでしょうし、私達も教室を出るとしましょうか」


 西日が山の向こうへと沈んでからしばらく経ち、時刻は午後七時半。この隔絶された空間の中でも、時の流れを感じることは出来た。

 厄災ちゃんは腰掛けていた机からふわりと身体を浮かび上がらせると、鳴らない足音で綺麗に着地。そのまま扉の方へ向かおうとしたところで、ふと何かを思い出したのか、くるりと振り返ってこちらに手を向けた。


「ああ、そうだ。先輩には、とばりをかけないといけませんね」

「帳をかける?」

「『よるとばり』は見かけ上の存在を怪異に寄せる力を持つ。簡単に説明すれば、人間や機械から認識されなくなる能力です」


 厄災ちゃんがパチンと指を鳴らすと、周囲を見えない幕で覆われたような柔らかい重みが身体に乗るのを感じた。

 下を見ても自分の身体が消えたりはしていなかったが、満足そうに頷く彼女の様子を見るに、どうやら『夜の帳』とやらはうまく発動したようだ。


「認識されないってことは、鏡で見たら透明人間になってたりするのか?」

「いいえ、鏡は例外です。『夜の帳』の有無を問わず、元々怪異は鏡に映ってしまうので」

「へえ、知らなかったな」


 怪異は鏡に映る。また一つ、不要なオカルト知識が増えた。


「これから尋ねる七不思議も、それぞれが厄災ちゃんのような能力を持っているのか?」

「そもそも、七不思議は存在そのものが不条理みたいなものですからね。力の大小は――善悪はあれど、普通とは異なる何かを持ってはいるでしょうね」

「力の大小と――善悪、か」


 結局、俺は厄災ちゃんの真意を――七不思議を終わらせるという言葉の意味を、まだ教えられてはいなかった。

 移動中に説明するとか、実際に見てからの方がいいとか、待ち時間に尋ねてはいたのだが、のらりくらりと答えをはぐらかされてしまっていた。


 だから、今はまだ憶測でしかものを言えないが、彼女の見せたような能力という概念もまた、七不思議を終わらせようとする理由の一つなのかもしれない。

 善悪――善い力と悪い力、その基準はどこにあるのか。


「さてと。では改めまして、出発としましょうか」

「なあ、さっきも確認したが、この教室を出た時にまた気絶するとかはないんだよな?」

「大丈夫ですよ、たぶん。駄目なら私が、先輩を教室に引きり戻して、今度はちゃんと膝枕で看病してあげますから」

「……もしもの時は、膝枕以外をお願いするよ」


 アフターケアの話しか出ないので不安はつのるばかりだが、知らないことに保証を求めても仕方がない。覚悟を決めて扉に手をかけ、今度はゆっくりと横に引き開ける。

 そして次の瞬間、俺の意識は再びホワイトアウト――することはなく、記憶の連続性を保ったまま真っ暗な廊下に放り出されていた。


「あれ? 俺、まだ外には出てなかった気が……」


 意識は無事であったが、今度は世界がおかしな挙動をした。

 扉を開けたと思ったら、既に廊下へ飛び出していた。例えるなら、ゲームでマップを移動する際にロード画面が挟まった時の感覚――いや、逆にわかりづらいか?


 『厄災ちゃんの教室』と『本校舎』がそれぞれ別のマップに存在していて、故にワープしたような不自然さが出るみたいな。

 強引だが、本来ないはずの空間に教室を作る方法としては納得出来る。理論的な説明が不可能な以上、主観的な解釈でわかった気になるしかなかった。


「そうだ、厄災ちゃんはいるか?」

「ちゃんと付いてきてますよ、先輩」


 隣を見ると、厄災ちゃんは変わらぬ笑みを浮かべながら、後ろに手を組んで立っていた。

 いろいろと心配事はあったが、ひとまず二人揃っての脱出には成功したようだ。


「よかった……そういや、今更だが厄災ちゃんはどうして俺を先輩って呼ぶんだ?」

「それは私が、みんなの後輩だからですよ」

「みんなって、さっき久しぶりの話し相手だって言ってただろ。それとも、他に先輩と呼ぶ怪異だか人間だかがいるのか?」

「いいえ、いませんけど? 私が先輩と呼ぶ相手は、後にも先にも先輩だけですよ」

「なんか矛盾しているような……」


 先輩という単語が何度も並ぶせいだろうか、どうも話がうまく入ってこない。


「先輩は、私に先輩と呼ばれるのは嫌ですか?」

「いや、そんなことは……まあ、好きに読んでくれて構わねえよ」


 一度ならず二度までも、真意をはぐらかされてしまった。しかも今回については七不思議を終わらせる理由とは違って、後になっても答えを教えてくれそうにない。

 しかし、話の矛先をそらすのが上手い少女だ。慕われて悪い気はしないと思わされ、追及の手を緩めてしまったのだから、つくづく俺も甘い。


 それに、なんとなくだけど、深い理由を聞くのが躊躇われたのもあった。

 もしもその理由が、彼女の生きていた頃に関わるものだったとしたら、迂闊うかつな発言は彼女を傷つけてしまうかもしれないから。

 幽実と話していた時は不躾にも亡霊少女の生前を勘繰ったものだが、いざ本物を前にすると好奇は自制によって鎮められていた。


「では、参りましょう。目的地まで少し歩きますが、足腰に問題はありませんか?」

「帰宅部を舐めるな、歩くことは誰よりも得意なつもりだ」

「それは上々、いっそ疲れたらおぶってもらいましょうかね」

「怪異も歩くと疲れるのか?」

「移動に体力を使うのは、人も怪異も同じですよ」


 冗談交じりにうそぶいて、厄災ちゃんは音もなく歩き出す。後ろにつくか横に並ぶか悩んで、顔が見えた方が話しやすいだろうと小走りで隣に移動する。

 廊下の空気は教室と異なり、少しひんやりとしていた。晩春の終わり頃とはいえ、まだまだ夜は肌寒い。ふと横を歩く厄災ちゃんに目を向けてみて、彼女のセーラー服が季節外れの半袖タイプであることに気が付いた。


「その恰好って、寒かったりするのか?」

「実は今にも凍え成仏しそうだと言ったらどうします?」


 凍え成仏? 凍え死ぬの亡霊版な言い回しだろうか。


「着られるなら、俺の学ランを貸すが……」


 そもそも、怪異に体温の概念があるのか疑問ではあったが。

 案の定、凍え成仏云々はお決まりのジョークであったようで、厄災ちゃんは口元に手を当ててくすくすと笑いながら「大丈夫ですよ」と俺の申し出を断った。


「優しさはありがたいですが、ご心配には及びません。第一に、お察しの通り私は暑さや寒さを感じませんし――第二に、そもそも私は先輩の学ランを着るはおろか、触れることだって出来ませんので」

「学ランに、触れられない……?」

「より正確には、『人間以外の物体には触れられない』でしょうか。箸より重い物を持たないなんてことわざがありますが、私は箸すら持つことが出来ない虚弱体質なんですよ」

「それは、怪異なら誰でも同じなのか? 今そうやって床を歩いているのは見せかけで、実は三ミリ浮いてたりするのか?」

「例外はありますが、基本的に怪異は物に触れられませんね。ただ、怪異がみんな浮遊しているわけではないですし、現に私は一ミクロンだって浮いてはいませんよ。先輩と同じように、床を踏み歩いています」

「けど、物には触れられないんじゃ……」

「このあたりの説明は難しいのですが……簡潔に言いますと『壁』や『床』といった空間を区切る概念は。たとえ怪異であってもすり抜けることは出来ないんですよ」


 物ではなく概念とは、また解釈に苦しむ言葉選びが出てきてしまった。

 もはや、論理的な理解はとっくに諦めている。頭の悪い俺に出来ることといえば、提示された概念ルール法則ルールとして覚えておくだけ。


 怪異は物に触れられない。ただし、床や壁を抜けられるわけではない。

 そして――


「……怪異は物に触れられないから、物に触れられる人間の手伝いが欲しかったのか?」

「本当に先輩は理解が早くて助かります。先輩のような聡明そうめいな人間が迷い込んできてくれたのは、私にとっての数少ない幸運かもしれませんね」

「世辞ならありがたく受け取っておくよ。ついでに、俺が手伝う内容も教えてくれたらなお嬉しいんだがな」

「そうですね……そろそろ教えましょうか。七不思議を終わらせる理由と、私達が向かっている行き先を」


 機が熟したのか、あるいは単に誤魔化すのが面倒になっただけか。

 ようやく本題を語る気になった厄災ちゃんは、何かを仕切り直すようにパチンと手を叩いてから、横に立つ俺を流し目に見ながら一つ問いかけてきた。


「先輩は七不思議の一番目について、どれほどの知識がありますか?」

「封鎖された女子トイレで泣いている『ハナコさん』、だったか?」


 俺は厄災ちゃんの問いかけに答えながら、つい二時間ほど前に教わった七不思議の知識を思い返した。


『本校舎三階、渡り廊下から繋がっている先にある部室棟。あそこの一階にある女子トイレが、噂の出どころ――『ハナコさん』の住処なの。

『部室棟の一階って、体育系の部活とか行事の物品とかの倉庫代わりになってる教室が多いから、ほとんど生徒が近寄らないでしょ? だからなのか、女子トイレの個室が一つ壊れたままの状態でずっと放置されてるのよ。

『まあ、利用者が少ないから当然なのかもしれないけど――問題なのは、人気のない夜の時間になると、その封鎖されている個室の中から女の子のすすり泣く声が聞こえてくること。『暗いよう……怖いよう……って、そんな悲しそうな泣き声に同情し、扉に手をかけてしまったが最後。

『それじゃあ、あなたの光を私にちょうだい!! って、『ハナコさん』に眼球を奪われちゃうの!

『だから、たとえ『ハナコさん』のすすり泣く声が聞こえてしまっても、決してトイレの中に入ってはいけないのよ』


「なるほど……私が知っているものより少し脚色されている部分もありますが、おおむね正解です。先輩の話していた通り、随分と詳しいお友達がいらっしゃるようですね」


 おおむね正解、か。

 ということは、幽実の語った七不思議の一番目『ハナコさん』もまた実在するのだろう。

 やはり信じ難いものはあるが、目の前の少女が――七不思議の七番目が肯定したのだから飲み込むしかない。


「これから私達は『ハナコさん』の住処である部室棟一階女子トイレに向かいます。そして、先輩にはそこで『ハナコさん』を消滅させる手伝いをしていただきます」


 渡り廊下を通った時点で薄々察してはいたが、予想通り目的地は開かずの女子トイレであった。


「……相手が七不思議の一番目なことはわかった。ただ……何度も聞いて悪いが、どうして消滅させようとしているんだ?」


 相手だって、同じ七不思議の一つであるはずなのに。


「同じ七不思議だからですよ。責任感……とは違うのかもしれませんが、私達は怪異としてあまりに大きくなりすぎてしまったのですよ」

「大きくなりすぎた?」

「私たち七不思議は、ただの噂であればよかったんです。ただ近頃、桜花高校の七不思議は噂では収まらないほどに力が増してきていまして……」

「力を……」

「私が少女の姿を保てているように――娯楽で、与太話で、戯言でしかなかったはずの七不思議は、放っておいたらいずれ生徒達に実害が及んでしまいそうなほど、危うい存在として形を持ち始めている。だからその前に――嘘が嘘であるうちに、私は七不思議を終わらせようと思ったんです」


 力を――形を、持ち始めている。

 てっきり、彼女たちのような七不思議はもっと昔から――それこそ、俺が入学するよりも前から存在しているとばかり思っていたが、話を聞く限りだと、どうやら七不思議が今の姿になったのはつい最近のことであるようだ。

 それも、人に害をもたらしてしまうほどに危険な存在として。


「怪異は……七不思議っていうのは、そんなにまずいモノなのか?」


 同族が――同族で、終わらせなければならないと考えてしまうほどに。


「それは、先輩のその目で判断するのが一番でしょう」


 カツン、と靴音が廊下に響いた。足音が立たないはずの彼女は、わざとかかとを踏み鳴らして身をひるがえらせる。


「着きましたよ。ここが、『ハナコさん』の住処です」


 話の切れ目――はかったようなタイミングで、俺達は部室棟一階の女子トイレに到着したのであった。

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