第3話 七番目の亡霊少女

「…………え? 気絶させた? 君が、俺を?」


 前振りもなにもなく、あっけらかんと告げる彼女の気軽すぎる態度に、思わずオウム返しで尋ねてしまった。


「ごめんなさい、でもわざとではないんです。ただ私も、まさかこの教室に普通の人間が入ってくるとは思ってもいなくて……びっくりして、力の制御に失敗しちゃったんです」

「えっと……まず、君は一体何者なんだ? 制服を見たところ、うちの生徒じゃないようだが」

「この学校の生徒であるかという問いであれば、イエスとも言えるしノーとも言えますね。私は、この学校に住み着いた亡霊の生徒ですから」


 亡霊の生徒。その言葉で、俺はついさっき聞いたばかりの話を――幽実との会話の内容を思い出した。


「……七不思議の七番目」


 ――出会ったものに災厄と不幸をもたらす『かわいい少女の亡霊』の噂。


「あら、ご存じでしたか」


 自分の正体を知られていることに驚いたのか、少女はぱっちりとした目を一際大きく見開かせてみせる。


「お察しの通りです。私は先輩の仰った通り、七不思議の七番目――最悪を呼ぶ厄災ちゃんです」

「厄災ちゃん……それが、君の名前なのか」


 厄災とは、ずいぶん物騒というか、心証が悪い名前を付けられたものだ。

 名は体を表すなんて言うが、彼女の在り方から災いや不幸の要素なんて欠片も感じられない。むしろ現段階では、前評判通りの蠱惑的な魅力を備えた美少女を前に、出会えたことで得をした気分になっているくらいであった。

 まあそれも、彼女が本物の亡霊で――七不思議の七番目であればの話だが。


「にわかに信じ難いが……えっと、君は……」

「君、なんて他人行儀な呼び方じゃなく、気軽に厄災ちゃんって呼んでいいですよ」

「じゃあ、厄災ちゃんで。厄災ちゃんは、自分が人間ではなく妖怪変化の類であると、そう言いたいわけだな?」

「厳密には七不思議であり怪異なのですが、認識としてはそれで合ってますね」

「…………」


 亡霊――いや、厄災ちゃんが言うには怪異か。そういえば、幽実が七不思議の個々を包括ほうかつして表す時は、怪異と呼んでいた気がする。

 そう、そうなんだ。本来、七不思議とは幽実の語るオカルトの一つであり、それはつまり嘘であることを前提とした妄想であり非日常の存在であるはずなんだ。


 世の中には科学で説明出来ないこともあるとは言うが、大抵の場合――少なくとも、俺程度の人間が遭遇する事象であれば、理屈と現実で語り切れる。

 今だって、目の前の少女を怪異と認めるくらいなら、まだ他校の制服を着て俺のことをからかっているだけという可能性の方が高いくらいだ。

 もっとも、こんな美少女が他人でしかない俺なんかを弄ぶ理由は思いつかないが。


「どうにも、私のことを信じてないって感じの顔をしてますね」

「気絶してるところを面倒見てもらった手前、あまり疑いたくはないんだがな」

「では、証拠をお見せいたしましょうか」


 そう言うと、厄災ちゃんは一歩前に身を乗り出し、両手を前に広げて抱擁を待つポーズを取ってみせた。


「私をぎゅっと抱き上げてみてください、先輩」

「いや……流石に、初対面の女子を抱き上げるのは……」


 こちらは女子から提案された側であるはずなのに、本当に触れてよいものなのかと奥手な倫理観と羞恥心が行動を躊躇ためらわせる。

 顔馴染みの幽実とは違う――いや、幽実をハグしたことだってないが――顔見知りですらない女子を抱えるだけの度胸が、俺には備わっていなかった。


「意外と恥ずかしがり屋さんなんですね。でしたら、お姫様抱っこでも大丈夫ですよ」

「あんまり変わらない気もするが……わかった、お姫様抱っこだな」


 触れるという点ではどちらも大差はないが、密着度合いが少ないだけまだ緊張は軽くて済みそうか。

 それに、これ以上妥協させてしまっては、彼女に恥をかかせてしまうことにもなる。己の味噌っかすしかないダンディ精神を奮い立たせて手を伸ばし、俺はえいやと半ば勢い任せに腰と足を抱き上げた。


「…………軽い?」


 軽い。いや、軽すぎる。

 なんだか失礼なことを口走ってしまった気がするが、決して重そうな見た目をしているなんて思っていたわけではない。

 抱え上げたその体躯は、想像していたよりも遥かに――不思議なほどに、不気味なほどに軽かったのだ。


 身体の小ささと細さ、女子であることを差し引いても、人間である以上はあるはずの体重が感じられない。

 まるで、厄災ちゃんという少女なんて、ここにはいないかのように。


 脳が想像する重みと腕が伝える感覚の差異に混乱しながらも、数秒ほど抱え続けたことでようやく合点がいった。

 ――厄災ちゃんの身体には、重さがほとんど存在しないのだ。


「納得していただけましたか?」

「ああ……いや、ならさっきはどうやって俺を立ち上がらせたんだ?」


 この期に及んで物理を語るのはナンセンスかもしれないが、未だ普通の現実を忘れられない頭が疑問をていする。

 通常、持ち上げる人間と持ち上げられる物体の重量があまりにもかけ離れている場合、摩擦力による踏ん張りが利かず動かすことも出来ないはずなのだが。


「人間と怪異とでは、出力の法則が異なるのですよ。その気になれば、私が先輩を抱っこすることも出来ますが、試してみます?」

「……いや、遠慮しておく。厄災ちゃんの話を信じるよ」


 これで俺が一回りも小さい女子に抱き上げられてしまった日には、道徳と一緒に尊厳とか大切なものまで壊されそうだったので丁重にお断りし、そして、厄災ちゃんの言葉を受け入れるしかなかった。

 彼女は、俺の生きていた現実とは異なる存在――怪異であるのだと。


「まさか怪異なんてものが本当にいたとはな……」

「ちなみに、うすうす勘付いてはいると思いますが、この教室も通常とは法則が異なる空間だったりします。おそらく、スマホの電波なんかも入らないんじゃないですかね?」


 やはり、入室前に感じた教室の数が多いのではという違和感は正しかったのか。

 証明が済んだ厄災ちゃんの身体を床に下ろしてから、俺は確認のためポケットからスマートフォンを取り出して画面を点灯される。彼女の言葉通り、右上の電波表示は圏外の二文字を示していた。


「この教室も、厄災ちゃんが作ったのか?」

「それも半分正解ですね。普段からこの教室に住んでいるので私のための空間ではあるのですが、作ったというよりは私と一緒に生まれたというのが正確なところです」

「厄災ちゃんとこの教室がセットで七不思議ってとこか?」

「おお、理解が早い。本当に怪異の初心者ですか?」

「相対するのは初めてだが、知り合いにオカルト好きがいるもんでな」


 もっとも、こんな空想理論を組み立てるだけの力が活かせる場面に出会えるなんて、露程つゆほども思ってはいなかったが。七不思議の内の一つが実在したなんて幽実に伝えたら、驚喜のあまり泡吹いてぶっ倒れちまうかもしれないな。

 常人相手なら戯言たわごととして流されてしまうオカルト体験も、彼女なら本気で信じてくれることだろう。


 ただ、そもそもの話として、厄災ちゃんの存在を第三者に漏らしていいのかはわからないし――人に語れるほど、俺はこの身に起きている超常現象を理解出来てもいなかった。

 存在を信じたからといって、全てを知れたわけではない。


「……理由が知りたいのですか?」

「説明がもらえるのなら、是が非でも聞きたいところだが……」


 はたして、どこから順に教えてもらえば、この現実離れした今に理解が追いついてくれるだろうか。第一に、昨日まで見えなかったはずの教室が、今日になって突如認識出来た理由もわからないし。

 時間帯によるものか――あるいは、俺自身に変革が起こっているのか。


「時間帯、というのもあるでしょうね。私に限らず、怪異というのは時間や場所に縛られがちな存在ですから。ただ……申し訳ないのですが、私も先輩がこの教室を知覚出来た理由はわからないんです」


 理由が知りたいかと、そう尋ねてきた時から物憂ものうげな表情をしていたので勘付いてはいたが、どうやら厄災ちゃんにとっても現状はイレギュラーな事態であるようだ。


「他に、俺のような人間がここを訪れたことはあるのか?」

「いいえ。私が覚えている限りでは、先輩が初めてのお客さんです」


 初めての――前例がない、異例の出来事。


「元々霊感が強かったのか、あるいは本当にただの偶然か。何らかのきっかけで先輩は、この教室と――怪異の世界と波長が合ってしまったようですね」

「何らかのきっかけ、か……」


 心当たりがあるとすれば、七不思議の話を聞いたことくらいか。カラーバス効果という言葉があるが、人は新しく知識を得た直後は、それに関する情報が自然と目に留まりやすくなるらしい。

 仮にもし、俺に霊感が――怪異を認識する素質があったのだとすれば、七不思議の知識を得たことでこの教室が目に留まるようになったというのは、不思議な現象ではあれども不可思議な理屈ではないのかもしれなかった。


「気絶したのは、波長とやらのチューニングが脳への負担になったのか……あれ? そういえば、俺はどれくらいの時間ここで眠ってたんだ?」


 めくるめく非日常の去来でつい忘れかけていたが、事の発端を辿れば、俺がこの教室で眠りこけていたのが事の始まりであったと思い出す。

 先ほど取り出したスマートフォンを再び点灯し、今の時間を確認する。電波は途絶えていても電力が切れない限り、秒単位のズレはあれども時を刻み続けているはず。

 はたして、ロック画面の中央に映し出される数字はいかに。


「……やらかしたか」


 失態の発覚に思わずため息が漏れる。時刻は午後六時過ぎ――完全下校時刻を大きく回っていた。


「ざっと一時間は眠ってたわけか……ちなみに、この教室では鐘の音って聞こえるのか?」

「下校のチャイムでしたら、しっかりと響いていましたよ」


 ということは、あの無駄に響く大音量チャイムの振動をもってしても、俺は目を覚まさなかったのか。

 どれだけ疲れていたんだ、俺は。あるいは、オカルトへの波長合わせとやらがどれだけ脳に負荷をかけていたんだ。


「まあまあ、過ぎたことは仕方ないじゃないですか。それと、怒られることを恐れているのでしたらご安心を。この教室にいる限り、先輩の居残りがバレることはありませんよ」

「教室出たらバレるんじゃ、帰る時に見つかって叱られるだけだろうが」

「なら、いっそここで一晩を過ごしますか? ぎりぎりまで寝ていても遅刻の心配はありませんし、ご要望であれば私が手ずから起こしてあげますよ」

「冗談言うな。この季節に布団なしで雑魚寝出来るほど、俺の神経は図太くねえんだ」


 美少女からのモーニングコールは魅力的な提案であったが、衣食も風呂の用意もない状態で、硬く冷たい地べたに横たわって休めは流石に御免だ。

 下校という概念のない――この教室を住みかとしている厄災ちゃんは、なんとも気楽な調子で愉快そうに笑っている。

 人をからかって遊ぶのが好きな性格なのか。なまじ容姿と人当たりが良いだけに、話していて不快感がないのはなおさらたちが悪かった。


「ところで、先輩は気付いていますか? ここは私の住んでいる教室――つまりは私室のようなものだと。そして、事故とはいえ先輩は、ノックもなしに女の子の部屋を開けた不届き者だっていうことに」

「な、なんだ……? 確かに、勝手に踏み入ったことは申し訳ないと思ってるし、嫌ならすぐにでも出ていくが……」


 もっとも、入れたからといって、無事に出られる保証はどこにもないのだけど。

 去る者は追わず、来る者は拒まず。ならば反対に、来る者を拒む空間は、去る者を逃してくれるのだろうか。


「そちらもご安心を、ちゃんとそこの扉を通れば元の学校に帰れますよ。知覚が出来ないだけで、空間としては地続きに繋がっているのですから」

「そうか……そいつは助かるが……」


 どうやら、心配は杞憂に終わってくれたらしい。

 ただ、出るときにまた気絶する可能性は残されているが、その時はまあ、腹を括って先生に叱られるしかないか。


「それに、嫌だなんてこともないです。私も、久しぶりに話し相手が出来て嬉しかったですから」

「なら……なおさらなんで、急に責め立てるような話を?」

「無論、善良な先輩を責め立てて――申し訳ないと思ってもらうためですよ」


 後になって知ったことだが、厄災ちゃんは足があっても足音は立たないタイプの怪異なようで。

 だからなのか――彼女がその法則の異なる力でこちらに尻餅をつかせ、四つん這いに覗き込むことで強引に目線を合わされたその瞬間まで、俺は彼女の接近に気付くことが出来なかった。


「……厄災ちゃん?」


 鼻先が触れてしまいそうなほどに顔を迫られ、必然的に厄災ちゃんと視線が交わる。

 間近に見る少女の澄んだ瞳は、彼女が怪異であることを――亡霊であることを忘れてしまうほどの、強い意志と狂気が宿っているように見えた。


「ねえ、先輩。もしも今の話を聞いて、ほんの少しでも乙女の領域に踏み入った罪悪感が芽生えたなら……一つ、私のお手伝いをしていただけませんか?」

「……なんの、手伝いを?」


「それはもちろん――――七不思議を終わらせることです」

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