第2話 一つ多い教室の秘密

 それから俺はしばらくの間、時に熱の入り過ぎたトークを片手間で聞き流し、時に空想の議題に見解を述べながら、幽実の語る七不思議の詳細を十分に楽しんで拝聴はいちょうした。


 もちろんのこと、本業である役員希望の集計も忘れてはいない。

 いや、厳密には本業であるはずの彼女は仕事など忘れて喋りに熱中していたから、お手伝いさんである俺が忘れずに取り組んでいたのだけど。


 なにがともあれ、口と手を互いに分担して動かしていた甲斐もあってか、幽実のオカルト語りと学級委員長の仕事が終わるのはほぼ同時――どちらもなんとか下校のチャイムが鳴る前までに収められたのであった。


「ごめん! 後半の方、霊斗に仕事任せちゃったよね?」

「いや、そうでもなかったぞ。大半は話の始まる前に集計が終わってたし、俺が担当したのだって大した量じゃなかったからよ」


 希望用紙の上に集計結果の紙を乗せ、トントンと机の上で紙束の小口を整えてファイリングし、ほいと幽実に手渡す。


「優しい嘘を言ってくれちゃって。ありがと、今度なにか奢るわ」

「気にするな、ジュースの一本でもくれればそれでいいさ」


 幽実は受け取ったファイルを他の筆記用具と一緒に鞄へとしまうと、ちらりと時計を見上げて席を立つ。

 ぐーっと息を吸い込みながら大きく伸びをした彼女は、それから少し急いだ様子で鞄を手に取り上げた。


「よーし、おわったおわったー! あとは先生に提出するだけだから、霊斗は先に帰ってて大丈夫よ」

「なんだ、職員室に寄るくらいの時間なら待ってるぞ」

「ごめんね。今日はこの後、友達と約束があるから」

「おう、そうか」


 乗る電車の方角が真逆だから学校近くの駅までではあるものの、久しぶりに一緒に帰れると思っていたのだが、どうやら先約があったようだ。

 幽実が人望と友人に恵まれているのもまた、中学の頃から同じである。俺はそこまで顔が広くない人間なので、彼女の社交性の高さは見習っていきたい。


「それじゃ、また明日!」


 片手を大袈裟に振り回しながら慌ただしく去っていく幽実の背中を見送り、俺も手伝いに使った道具を片付けて立ち上がる。

 おそらくは俺が教室を出る最後の一人になるので、せわしない学級委員長さんに代わって窓の戸締りをきちんと確認してから、我らが二年三組の教室を後にした。


「この時間までなると、本校舎には誰も残ってないんだな」


 桜花高校の本校舎は、航空写真で見たら綺麗な長方形に写っているのであろう一直線の構造をしているため、教室から顔を覗かせれば廊下の端から端までを一気に見渡すことが出来る。

 日中の――特に昼休みであれば多くの生徒達であふれかえっている廊下だが、まばゆい西日が差し込み夕暮れの迫る頃合いでは、人っ子一人の影も見当たらない。扉を閉めて一歩二歩、白と橙の中間色で染め上げられた無人の空間に靴音を響かせるのがなんだか心地よくて、少しだけ遠回りをして校内を巡りたい気分になった。


 グラウンドから飛んでくる運動部のかけ声が、窓ガラスを通して俺の耳まで届く。完全下校時刻までまだ数十分程度は残っているし、ぎりぎりまで部活動に時間を割こうとしているのだろう。

 せっかく余裕があるのだから、俺もぎりぎりまで校内探索に時間を割いてもいいかもしれない。ただ、この勢いで沈む夕焼けを見に屋上まで出たいと思うのは、やや感傷に浸りすぎであろうか。


「あるいは、幽実とオカルト話をした影響かね?」


 ――非日常的な噂ってなんかロマンがあると思わない?

 非日常に憧れる気持ちは、少なからず理解出来た。いや、多少なんてものじゃない――それなりに大きな感情として心に抱え込んでいる。

 怪談話に都市伝説。普通ではない世界――いつも通りとは似て非なる、日常を外れた特別な世界の話。


 高校生になってから一年が経ち、進級してから二週間が経つ。それなりに仲の良い友人もいて、成績もなんとか平均を保てていて、自己評価ではあるがそれなりに順調な人生を歩めていると思っている。

 今の生活に不満があるわけじゃない。だけど、それと同時に、心のどこかでこの普通に退屈している自分がいるのも事実だった。


 別になにも、漫画やゲームのような奇想天外で摩訶不思議な刺激的体験を求めているわけではない。

 ただ、ほんのわずかでも日常を揺らがしてくれるような、ちょっとした事件が転がっていないかなって、そんな受動的な変化を望む程度の心待ちで。

 それこそ、幽実の語るようなオカルト話とか。


「かわいい少女の亡霊ね……会えるものなら会ってみたいもんだ」


 もしも遭遇が叶ったなら、明日の話題くらいにはなることだろう。きっと幽実なら、目と鼻息を輝かせて話に乗ってくれるに違いない。

 なんて、この時の俺は七不思議なんぞ欠片も信じてはいなかったし、七番目の亡霊がどれほどの美少女なら骨抜きになっちゃうのかなどと、色気のないオカルト話に俗物な感想を浮かべていたくらいだった。


 そう、この時までは――


「――――ん? あれ?」


 違和感に気が付いたのは、階段を二つほど上り下りし、そろそろ校舎内の巡回を終えて帰ろうかと考えながら、二年教室が並ぶ廊下を端まで歩き切った時のことだった。


「……なんか、教室一つ多くないか?」


 桜花高校の本校舎は四階建てであり、そのうち二階から四階までは学年ごとに階で分けられた、各クラスの教室が並んでいる。

 故に、俺がこの三階へと足を運ぶようになったのは新学期の始まった二週間前からなのだが、その短い期間に歩いた程度の記憶であっても感じ取れるほどに、その存在しないはずの教室は強烈な異質さを漂わせていた。


 一瞬、廊下を逆走して教室の数を数え直してみようかと考えたが、すぐに動きかけた足を抑え止めた。

 理屈はないが、一度離れたら二度と見えなくなってしまうような気がして、感情が離れることを拒んだのだ。


「……入って、みるか」


 芝居がかった台詞と口にした自分のうぬぼれに気付き、自然と口元に引きつった笑みが浮かんだ。どうにも、まだ幽実と話していた時から頭が切り替わっていないらしい。

 でも、やってみる価値はある。開いてみたいと思う自分がいる。


 違和感なんてものは、単なる勘違いかもしれない。普段は意識してなかっただけで、初めから廊下の最後には無人の教室があったのかもしれない。

 けど、それならそれでよかった。彼女のオカルト話にあてられた脳が生み出した妄想であったと、恥じらいの思い出として墓場まで持っていけばいい。


 ただ、もしも、万が一の可能性があるなら――この体験は俺に、ちょっとした非日常を与えてくれるかもしれない。

 そんな一縷いちるの望みと、多大なる好奇心を胸に抱きながら、俺は軽々しい気持ちで重い扉に手をかけ、勢い任せに横へ引き開けた。


 そして次の瞬間――俺の意識は視界と共に、真っ暗に吹き飛んだのであった。


***


「……い……も、し」


 初めに脳が受け取ったのは、単語とも言い切れないくらいに寸断された途切れ途切れな音の欠片であった。

 くぐもっていて確信が持てないが、人の声のように聞こえる。それも、鈴を転がしたような、澄んだ高い女の子のもの。


「……おーい、もしもーし」


 再び声をかけられる。今度はしっかりと、言語として認識出来た。

 綺麗な声音で呼びかけられたからか、反射的に受け答えようと口が勝手に開く。

 しかし、いまだ朦朧とする意識の中ではうまく舌が動かせず、漏れ出したのはしゃがれた呻き声だけだった。


「ううっ……」

「おっ、目を覚ましたようですね」

「……なん、だ?」

「あれ? またちょっとだけ寝ぼけている状態でしょうか? この教室に記憶を消すような効果はないはずですし、放っておけば思い出してはくれそうですけど……」


 ぶつくさと小声で呟く言葉の中身までは聞き取れなかったが、寝ぼけていたというのは確かみたいで、時間経過とともに頭の中で滞留していた霞が晴れていくのを感じた。

 どうやら俺は知らぬ間に、床へ仰向けに倒れてしまっていたようだ。


 重たい瞼を軽く擦って、眉間に力を込めながら瞳を開く。

 光で満ちた世界に慣れてきた両目が開眼一番に捉えたのは、どこも作りは同じ見知った教室の天井と、床にしゃがんでこちらを見下ろす知らない少女の顔立ちであった。


「おはようございます、先輩」

「……おは、よう」


 美少女――それが、彼女の容姿を見て最初に抱いた印象だった。


 あまりに率直で語彙に欠けた子供の感想だが、元より自分が語彙力の足りていない人間であるとはいえ、眼前の少女を表現するのにこれほど適した言葉はないだろう。

 切れ長で大きな瞳に、流麗りゅうれいな曲線を描く鼻筋と輪郭。大人びた美しい雰囲気を纏いながら、それでいて少女らしさを残したあどけない容姿を併せ持つその風貌を一言で表すなら、やっぱり美少女以外の言葉は見つからなかった。


「大丈夫ですか、先輩。さっきまでぐっすりだったようですけど」


 真っ白な手のひらをゆらゆらと振り、少女は意識の有無を確認してくる。

 先輩って呼ばれたということは、四月に入学してきた一年生だろうか? しかし、少女が身に着けている黒を基調としたデザインのセーラー服であり、桜花高校の真っ白な制服とは色が正反対だ。


 ならば、他校の生徒? だとしたら、どうしてうちの学校の教室にいるのだろうか。そして俺が彼女の先輩であると、どこを見て判断したのだろうか。

 覗き込む目と仰ぎ見る目で視線が交わると、少女はどこか安堵したように顔を綻ばせた。それから、片方の手を膝に乗せながらもう片方の手をそっとこちらに差し出す。


「立てますか、先輩?」

「ああ、悪い。ありがとう」


 厚意に甘えて掴んだその手は華奢ですらりとした見た目に反し、なかなかに力強い勢いで俺の体を起き上がらせる。

 寝起きで体温が高まっていたせいもあってか、彼女の手は少しひんやりとしていた。


「どうやら、君に迷惑をかけてしまったみたいだな。教室で急にぶっ倒れるほど、疲れを溜め込んでいた覚えはないんだが……」

「いえ、疲れなどではありませんよ。だって、先輩を気絶させたのは私ですから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る