Epilogue
「国立部長!聞いてた話と違います!」
部長室のドアを開けるなり、杏華は声をあげた。
背中から朝陽に照らされたその表情は、逆光のせいでよく見えない。
そのまま足を進め、まっすぐに国立のデスクへ向かっていく。
「プレイングマネージャーって、なんですか!」
国立はその反応を予想していたかのように、うんうんと頷く。
「その説明は、他のマネージャーたちと併せて午後にするつもりだよ」
「チーフを通り越してマネージャーなんて、どういうことですか?」
「それは、安積のこれまでの仕事ぶりを見て、それがいいと判断したんだ」
そう言われると、一瞬だけ納得しかけてしまう。
けれど——口を開きかけた杏華を、国立が遮った。
「……でも、一番の理由は——」
国立がそこまで言った、その時。
背後でドアが開く音がした。
「あっ」
国立が眉を上げるのにつられて、杏華も振り返る。
その姿を視界に捉えた瞬間、杏華も同じように口を開いた。
けれど、声にはならなかった。
「ちょうどいいところに。……彼が、安積のことをプレイングマネージャーに推薦したんだよ」
その言葉を聞くや否や、杏華は踵を返し、長身の相手へ一歩距離を詰める。
「どうして言ってくれなかったんですか!」
「…君は、この時期になると毎年そうやって吠えるのか?」
あまりにも呆れたような言い方に、杏華は口を噤んで思わず後ずさる。
「……急にマネージャーなんて…」
自分でも驚くほど自然と口をついてしまった弱音にも似た言葉に、杏華は拳を握りしめた。
「俺が課長として、みっちり扱いてやるから大丈夫だ」
「……え、清水さん、課長なんですか…?」
目を瞬かせる杏華に、清水は「ああ」と短く返事する。
つい一年前は、"この男の下に就くなんて"と苦い顔をしていたというのに、今ではどこか安心すらしてしまうのだ。
けれど、そんな気持ちを見透かされてしまったのか、清水は腕を組み、じりりと目を細めて杏華を見下ろした。
「先に言っておくが、恋人だからって手加減はしないからな」
「そっ、そんなのわかってますよ……清水さんが容赦ないことなんて、もう、分かり切ってますし…!」
この声の上擦りから、嘘は失敗しているだろう。
「もう、こうなったら私、課長目指しますから…!」
ひょいと顔を出しかけた安心感を、これ以上は悟られないように、杏華はふんと鼻を鳴らす。
「ふっ。じゃあ次は課長になれるように育ててやってもいいぞ」
「…望むところです…!」
ニヒルに吊り上がる口先に、杏華は睨みを効かせる。
「……デジャブだね」
国立は肩を竦めてそう言うと、二人を追い払うようにシッシと手を振る。
「イチャつくだけなら、仕事に戻ってもらえる?」
°・*:.。.
部長室を追い出された二人は、先程までの言い合いが嘘のように静かに歩き出す。
廊下は朝の静けさに包まれていて、窓から差し込む光は穏やかだ。
杏華は一歩遅れて歩き、清水の背中を見ていた。
「清水さん…」
呼び止めると、彼は足を止めて振り返った。
「ん?」
「これからも、仕事でよろしくお願いします」
ほんの少しだけ改まった声に、清水は片眉を上げる。
「……仕事だけか?」
杏華は肩をすくめると、一歩前に出て隣に並んだ。
「仕事で“も”よろしくお願いします」
そう言いながら見上げると、清水は小さく息を吐き、わずかに口元を緩めた。
「そういう時は、恋人として、と言っておけ」
ぽん、と頭に手が置かれた。
それは一瞬だったけれど、頭に残る感覚がくすぐったくて、杏華は視線を逸らす。
それでも、確かに頷いた。
再び、二人は並んで歩き出す。
それは、仕事の鎧を纏う前の、ほんの少しだけ甘い時間だった。
暴君上司の甘い支配に囚われて 千ノ晴璃 @chinoharuri
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