第7話 揺れる光と影

◇ 目覚めと違和感


香月小百合は、朝の光に包まれた自室で目を覚ました。


窓の外には、まだ冬の名残を感じさせる冷たい空気が漂う。


昨晩、探索者ギルドから呼び出しを受けた夢を見たせいか、

心のどこかで重い違和感を覚えていた。


「……今日も、ダンジョンに行くのね」


六歳とは思えない落ち着いた声が、自分の口から出た。


小百合の眼差しは、机の上に置かれた魔法用の道具に吸い寄せられる。


現代では魔法は存在しないはずなのに、彼女にとっては日常の一部だった。


魔力を帯びた物質が、微かに光を放つ。触れると、ほんのり温かい。


心地よい感覚が全身を包み込む。


――昨日の低層階探索で、感じた違和感。あの“影”は一体何だったのか。


◇ ダンジョンへの準備


思考を巡らせながら、彼女はダンジョンへ向かう準備を始めた。


冒険者登録証の書類を揃え、簡単な魔法の道具を手に取る。


外の世界と異なるのは、ここでは魔法が現実に使えること。


しかし、それが周囲の人々には理解されないため、慎重にならざるを得ない。


◇ 街の探索者たち


街を歩くと、ダンジョン周辺の雑踏が目に入った。


探索者たちは思い思いの装備を整え、今日の任務に向けて気を引き締めている。


小百合もその群れに紛れ、静かに歩いた。


背はまだ低く、通り過ぎる人々に目立たない。


しかし、その瞳の奥には、異世界で培った経験と知識が宿っている。


「小百合さん……」


振り返ると、ギルドのベテラン探索者、柳瀬リオが手を振っていた。


中層階を担当する彼は、冷静で分析力に優れた人物だ。


小百合は少し緊張しながらも、手を挙げて応じる。



◇ 談話室での相談


「リオさん、昨日の低層階のこと、相談があります」


二人は人目を避けるようにして、ギルドの一角にある談話室へ入った。


薄暗い照明の下、木製のテーブルが二人を隔てる。


「昨日の探索で、少し……普通じゃないものを見たんです」


小百合は慎重に言葉を選びながら説明を始める。


影のような存在――人の意志を持っているかのように動く黒い靄。


彼女はその動きを視覚化し、紙に描き起こした。


リオは黙って見つめ、頷いた。


「なるほど……これは、ただの魔物じゃないかもしれないな。


ダンジョン自体も、年々変化している。


君が見た影は、その異変の兆しかもしれない」


小百合は眉をひそめた。


「兆し……ですか? じゃあ、対処できるんですか?」


「君の魔力なら、十分に可能だ。

ただ、慎重に行動することだ。

無理をすれば、魔法の制御も乱れる。

感情に左右されやすい君だからこそね」


◇ 魔法と感情の関係


その言葉に、彼女の心は少し落ち着いた。


感情と魔法が密接に結びついていることは、自覚している。


喜びや恐怖が、呪文の精度や威力に影響を与える。


それが、異世界時代からの経験として体に染みついている。


――なら、冷静でいれば大丈夫。


小百合は拳を握り、決意を固めた。


今日の探索で、自分が何をすべきか、何を見極めるべきかを、はっきり理解している。


だが、心の片隅に微かに漂う不安も消えなかった。


影の正体を知ることが、彼女の日常を変えるかもしれない――。



◇ ダンジョンへの一歩


ギルドを出て、ダンジョンの入り口に立つ。


低層階と違い、中層階は光と影が交錯する場所だ。


壁の苔が生きているかのように揺れ、空気は冷たくも湿っている。


足音が反響し、静けさが重くのしかかる。


「いくよ……」


小百合は小さな声で呟き、手のひらに魔力を集中させる。


光の粒子が集まり、小さな炎となる。


温かく、確かな存在感が指先から広がる。


その瞬間、周囲の影が微かに揺れた。


「……見ているのは、君だけじゃないかもしれない」


背後から、リオの声が静かに響く。


小百合はその言葉の意味を、まだ完全には理解していなかった。


しかし、胸の奥で何かがざわめき、心臓が早鐘のように打つ。



◇ 光と影の境界


影の中に潜む存在――その正体を知る日が、ついに近づいていることを、


彼女は直感で感じ取った。


深呼吸をひとつ。


小百合は足を踏み出す。


光と影の境界線を越え、未知の世界へと歩みを進めるその背中には、


勇気と決意が確かに宿っていた。


――今日、私は探索者として、もう一歩踏み出す。


そして、ダンジョンの奥深くで、光と影が微かに揺れる――。


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「名前を持たない魔法」 塩塚 和人 @shiotsuka_kazuto123

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