第5話 それでも世界は回る
朝のニュースは、淡々とした口調だった。
「本日未明、湾岸部に発生した小規模ダンジョンは、
大きな被害を出すことなく自然収束しました」
画面には、規制線と、片付けをする作業員の姿。
“探索者の介入は最小限”という字幕が流れる。
小百合は、食卓でその映像を見ていた。
トーストを一口かじり、牛乳を飲む。
「自然収束、だって」
母が言う。
「……そうですね」
それ以上、言葉は続かなかった。
支所に着くと、いつもより人が少ない。
緊急対応が終わった直後の、静けさ。
「香月さん」
若い探索者が、少し緊張した顔で声をかけてくる。
「昨日の件……ありがとうございました」
「私、何もしていません」
そう答えると、相手は困ったように笑った。
「それでも、です」
現場では、香月小百合の名前が、
“何もしないことで助ける人”として広まり始めていた。
会議室では、簡単な報告が行われる。
「今回の湾岸ダンジョンは、
過剰な封鎖と調整が重なった結果、
内部循環が滞っていました」
研究員が説明する。
「人が入らなければ、戻るタイプだった」
霧島が頷く。
「入らない判断ができたのは?」
「……香月さんの助言です」
全員の視線が集まる。
小百合は、背筋を伸ばした。
「助言ではありません」
言葉は、はっきりしていた。
「私は、見ていただけです」
その後、特に議論はなかった。
結論は簡単だった。
「必要なときだけ、呼ぶ」
それが、今の最適解。
帰り道、小百合は公園に立ち寄る。
ブランコに乗る子どもたち。
ベンチで話す大人たち。
魔法のない世界と、
魔法がある世界。
その境目は、もうはっきりしない。
ふと、胸の奥が静かに温かくなる。
前世で、大魔導士と呼ばれていたころ。
力は、振るうものだった。
世界を変えるためのものだった。
でも、今は違う。
世界は、回る。
自分が何もしなくても。
それを知っていることが、
今の自分の役割だ。
夜、ノートを開く。
相変わらず、白紙のまま。
けれど、以前ほど不安はなかった。
書かなくても、
残さなくても、
今日も誰かが無事に帰っている。
それでいい。
翌日、支所に新しい掲示が出る。
「探索対応指針:
“介入しない”という選択肢を含めること」
小百合の名前は、どこにもない。
それでも、その一文の裏には、
確かに彼女の在り方があった。
香月小百合は、窓際に立ち、
街を見下ろす。
車は走り、人は歩き、
ダンジョンは、静かに眠っている。
それでも世界は回る。
その事実を、
初めて魔法として受け入れた日だった。
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