第5話 名づけられない役割
支所の掲示板に、新しい紙が貼られていた。
「運用見直しに関する暫定方針」
太字の見出しの下に、箇条書きが続く。
時間制限、人数制限、魔法使用の段階基準。
どれも、最近の出来事を受けてまとめられたものだった。
香月小百合は、少し離れたところからそれを眺める。
自分の名前は、どこにもない。
それでいい、とも思う。
でも、少しだけ引っかかる。
「香月さん」
霧島が声をかけてきた。
「一つ、相談がある」
面談室に入ると、いつもの机と椅子。
霧島は資料を置かず、手ぶらだった。
「最近、現場から意見が出ている」
「はい」
「君の判断が、全体の流れを止めることがある」
責める口調ではない。
事実の確認だ。
「止めています」
小百合は、そう答えた。
「意図的に?」
「はい」
霧島は、しばらく黙ってから言った。
「それを、役割として整理したい」
役割。
小百合は、その言葉を心の中で繰り返す。
「肩書き、という意味ですか」
「近い。だが、正式なものではない」
霧島は、少し困ったように笑った。
「説明できない役割は、制度にしづらい」
「……はい」
「それでも、現場は必要としている」
霧島の視線は、逃げなかった。
「君自身は、どうしたい?」
小百合は、すぐには答えられなかった。
肩書きがつけば、説明は楽になる。
判断の重さも、責任の所在も、はっきりする。
でも――。
「名前をつけると」
小百合は、ゆっくり言った。
「その通りにしなきゃ、いけなくなります」
霧島は、静かに頷いた。
「枠ができる」
「はい」
「それでも?」
小百合は、少しだけ考えたあと、首を振った。
「今は、いりません」
霧島は、ため息まじりに笑った。
「君らしい答えだ」
その日の現場は、静かだった。
特に異常もなく、探索は予定通り終わる。
帰還途中、坂下が小百合に声をかけた。
「……あのさ」
「はい」
「君の役割って、何て呼べばいい?」
冗談めかした口調。
けれど、少し本気が混じっている。
小百合は、首をかしげた。
「わかりません」
「困るな、それ」
「困りますか」
「困る。でも……」
坂下は、少し考えてから言った。
「助かってる」
それだけだった。
帰り道、夕暮れの空は薄いオレンジ色だった。
特別なことは、何もない。
家に着くと、母が玄関で迎える。
「おかえり」
「ただいま」
「今日はどうだった?」
「……名前を、つけないことにしました」
母は、一瞬きょとんとしてから笑った。
「難しい選択ね」
「はい」
「でも、小百合が決めたなら、それでいい」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。
夜、布団に入って、目を閉じる。
役割は、果たしている。
必要とされている。
それで十分だ。
名づけられない役割。
説明しきれない立場。
それは、弱さではない。
世界がまだ、追いついていないだけだ。
香月小百合は、今日も境界線のこちら側で、
静かに呼吸を整えていた。
「香月小百合、探索者になる」 塩塚 和人 @shiotsuka_kazuto123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。「香月小百合、探索者になる」の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます