第4話 守る側に立つ影

 低層ダンジョンの入口前は、以前よりも人が多かった。

 探索者、見学目的の報道関係者、警備員。

 それぞれの目的が、同じ場所に集まっている。


 香月小百合は、少し離れた位置からその様子を見ていた。


「今日は入らないんだよね」


 隣で、朝倉が小さな声で言う。


「はい。今日は……見るだけです」


 “見るだけ”。

 それが、ここ最近の小百合の役割だった。


 異常が起きそうな兆しを探し、

 必要なら声をかけ、

 それでも足りなければ、初めて魔法を使う。


 前に出ることは、ほとんどない。


「香月さん」


 坂下が、少し硬い表情で近づいてきた。


「今回の運用、どう思いますか」


 今日の探索は、時間短縮を重視した編成だった。

 人数を増やし、区画ごとに一気に進む。


「……進めます」


 小百合は、正直に言った。


「でも、戻りにくくなります」


 坂下は、わずかに眉をひそめた。


「また、その言い方ですね」


「はい」


 否定も、反論もしない。

 小百合は、それ以上言わなかった。


 探索は予定通り進んだ。

 低層は安定しており、大きな問題は起きない。


 だが、小百合の胸の奥では、ずっと小さな違和感が続いていた。


 ――人が多すぎる。


 足跡が重なり、

 判断が分散し、

 誰も全体を見ていない。


「一旦、区切りを入れたほうが……」


 小百合がそう言いかけた瞬間だった。


 奥の通路で、短い警告音が鳴る。


「魔力濃度、上昇!」


「想定内だ、続行!」


 坂下の声が響く。


 数値は、確かに許容範囲だった。

 だが、小百合は足を止めた。


「……ここです」


「何が?」


「これ以上進むと、戻れません」


 坂下は、一瞬迷った。

 そのわずかな間に、通路の空気が変わる。


 軽い歪み。

 すぐに対処すれば問題ない程度。


「処理します!」


 別の探索者が魔法を展開する。


 その直前、小百合は一歩前に出た。


「待ってください」


 声は小さいが、はっきりしていた。


「今は、使わないで」


「香月さん、時間が――」


「今、使うと」


 小百合は、床に手をついた。


「この場所は、魔法が来る前提になります」


 誰も動けなくなる。


 数秒。

 長い沈黙。


 坂下が、歯を食いしばるように言った。


「……待つ」


 探索者たちは、足を止めた。


 小百合は、魔力を動かさない。

 ただ、流れを感じる。


 重なった場所が、少しずつほどけていく。

 人が動かないことで、空間が呼吸を取り戻す。


 数分後、警告音は自然に止んだ。


「……下がります」


 坂下は、短く指示を出した。


 全員が無事に帰還したあと、支所は妙な空気に包まれた。


「結果的に、事故はなし」


「でも、進行は中断」


「判断は……正しかったのか?」


 評価は割れた。


 坂下は、報告書をまとめながら、小百合に声をかけた。


「正直に言います」


「はい」


「怖かった。止める判断も、止まる判断も」


 小百合は、うなずいた。


「私もです」


「それでも、どうして前に出たんですか」


 小百合は、少し考えてから答えた。


「誰かが、守る側に立たないと……」


 言葉を選びながら続ける。


「この場所は、使われ続けるだけになります」


 坂下は、深く息を吐いた。


「あなたは、前に出ないのに……」


「影みたいですね」


 小百合は、そう言って、少しだけ笑った。


 その夜。

 家で夕飯を食べながら、母が言った。


「今日は遅かったね」


「少し、待つ時間がありました」


「待つのも、大事よ」


 その言葉が、胸に残る。


 目立たなくてもいい。

 称賛されなくてもいい。


 誰かが前に進めるように、

 戻れる場所を残す。


 香月小百合は、守る側に立つ影として、

 今日も境界線のこちら側に立っていた。


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