第2話 効率という正しさ

 会議室の空気は、少し硬かった。


 壁に映し出された資料には、グラフと数値が並んでいる。

 魔力濃度、滞在時間、処理件数。


「低層ダンジョンの平均探索時間は、ここ三か月で約一五%短縮されています」


 若手チームのリーダー格、坂下が説明を続けた。


「これは探索者の増加と、効率化した運用の成果です」


 数人の職員が頷く。

 小百合は、椅子に座ったまま静かに聞いていた。


「ただし」


 坂下は次のページを表示する。


「不安定化の報告件数が、わずかですが増えています」


 画面の隅に、小さな折れ線グラフがあった。

 確かに、右肩上がりだ。


「原因は?」


 霧島が尋ねる。


「踏破人数の増加による魔力の重なりだと考えています。ですが――」


 坂下は一度言葉を切り、小百合の方を見た。


「対処法は確立しています。短時間で一気に処理する方法です」


 小百合は、何も言わない。


 朝倉が代わりに口を開いた。


「それは、負荷をかける方法だろう」


「はい。でも、そのほうが確実です」


 確実。

 効率的。

 正しい選択。


 その言葉たちは、いつも揃っている。


「……小百合さんの方法は、再現性が低い」


 坂下は、できるだけ丁寧な口調を選んだ。


「個人の感覚に依存しすぎています」


 間違ってはいない。

 小百合自身も、それは分かっていた。


「数値化できない手法を、主軸にはできません」


 会議室に、沈黙が落ちる。


 小百合は、ゆっくりと手を挙げた。


「一つ、いいですか」


「どうぞ」


「効率化した結果、戻れなくなる場所はありませんか」


 坂下は、少し考えてから答えた。


「戻れなくなる、とは?」


「ダンジョンが……」


 言葉を選ぶ。


「“使い続ける場所”になっていませんか」


 坂下は、困ったように笑った。


「それは、役割の変化です。危険な場所を管理する。それが進歩でしょう」


 進歩。

 小百合は、それ以上何も言わなかった。


 ――考え方が違う。


 その日の午後、実地確認が行われることになった。

 坂下たち若手チームと、小百合、朝倉。


「短時間で終わらせます」


 坂下はそう宣言し、ダンジョンに入った。


 動きは無駄がない。

 魔法も、強く、迷いがない。


 歪みは、力で押し戻されていく。


 確かに、早い。

 数値も、安定している。


「どうです?」


 坂下が振り返る。


「問題ありません」


 小百合は、そう答えた。


 嘘ではない。

 今は。


 帰還後、報告書がまとめられる。

 「効率的処理、成功」。


 だが、その夜。

 小百合は、眠れなかった。


 胸の奥で、魔力がざらついている。

 嫌な感覚。


 翌朝、支所に連絡が入った。


「昨日の地点で、小規模な歪みが再発」


 坂下は、すぐに現場へ向かうと言った。


「想定内です。すぐ処理します」


 小百合も同行することになった。


 現場の空気は、昨日より重い。

 数値は、まだ許容範囲。


「行けます」


 坂下が魔法を展開する。


 だが、その瞬間、小百合は一歩前に出た。


「待ってください」


「今度は何ですか」


 苛立ちが、声に滲む。


「ここは……」


 小百合は、深く息を吸った。


「急がないでください」


「効率が――」


「効率を優先すると」


 小百合は、はっきりと言った。


「ここは、戻れなくなります」


 坂下は、言葉を失った。


 小百合は、静かにしゃがみ込む。

 魔力を、ほぐす。


 時間はかかる。

 でも、流れは戻っていく。


 歪みは、消えた。


 数値も、ゆっくりと落ち着く。


「……これで、再発しません」


 坂下は、何も言えなかった。


 帰り道、彼はぽつりと呟いた。


「正しいと思っていました」


「はい」


「間違っていた?」


 小百合は、首を振る。


「正しさが、違っただけです」


 効率という正しさ。

 守るという正しさ。


 どちらも、否定できない。


 ただ、同時には選べないことがある。


 小百合は、今日も静かに日常へ戻る。

 その背中を、坂下は黙って見送っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る