第四話 二つの秘密と未来の最強
謁見の間での狂乱から数時間後――
ゼノは魂の抜け殻となって研究室に戻ってきた。
王宮では、生まれたばかりの「金色のトカゲ」が『ゴールデン・カイザー・グランデ』という大仰な名前を授かり、最高級の和牛を与えられていた。あいつは完全に伝説のゴールドドラゴンに擬態し、「王族のペット」としての地位を確立したのだ。
「……もう、戻れない」
ゼノは重い扉を閉め、その場に崩れ落ちた。
これから一生、あの詐欺師トカゲがボロを出さないよう、影で必死にサポートし続ける人生が確定した。ばれたら即、打ち首獄門だ。
「うぐ……胃が……」
胃薬の瓶を振ると、カランと虚しい音がした。空っぽだ。
「あ、先生お帰りなさぁ~い!」
部屋の奥から、能天気な声が聞こえた。
ミアだ。彼女は箒と塵取りを持って、部屋の隅でしゃがみ込んでいる。
「どうだったんですかぁ? やっぱり私の選んだ卵が正解でしたよねぇ~?」
「……ああ、大正解だ。君の勘は恐ろしいよ。あっちでは今頃、お祝いの宴だ」
「わあ、よかったぁ! 私のボーナスも弾んでくださいね!」
ゼノは力なく笑った。
「ああ、三百年払いならな」
そこでふと、ミアの足元を見る。
「……で、そっちの卵はどうなったんだ?」
ミアの足元には、残された「左側の卵」の殻が割れて転がっていた。そして、彼女の手のひらには、一匹の地味な色をした生物が乗っている。
「ついさっき生まれたんですぅ! 見てください先生、この……なんというかぁ、味わい深い見た目を!」
ゼノは眼鏡を押し上げて覗き込んだ。
そこにいたのは、土塊色の、ゴツゴツとした岩のようなトカゲだった。
色は地味な茶色。肌はガサガサ。愛想のかけらもなく、ただじっと静かな瞳でこちらを見つめている。
「……うん、まさにドラゴンモドキだな。期待通りの泥団子だ」
ゼノは安堵した。
こちらは予定通り、地味で汚いモドキが生まれた。これなら誰にも怪しまれない。勇者アレックスが見たら「なんだその雑種は」と鼻で笑うだろう。
「そうですかぁ? 私、こっちの子の方が好きかも。うふっ…」
ミアは指先で、土色のトカゲの顎の下を撫でた。
トカゲは嫌がる素振りも見せず、しかし媚びることもなく、されるがままになっている。だが、その金色の瞳の奥には、王宮にいる金ピカトカゲにはない、深淵な知性が宿っているように見えた。
「名前、どうしようかな。『ポチ』でいいかな」
「ドラゴンモドキに犬の名前をつけるな。……まあ、好きにしろ。僕はもう寝る。三日分の睡眠を取り戻すんだ……」
ゼノはよろよろと仮眠室へ向かった。
この時、彼は気づいていなかった。いや疲労のあまり思考が停滞していたのだ。
王宮にいるのが「空気を読んで擬態したドラゴンモドキ」であるならば、ここにいる「文献通りの地味な幼体」こそが、正真正銘の本物のゴールドドラゴンであるということに……
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
研究室に一人(と一匹)残されたミア。
彼女は割れたビーカーの破片を片付けようとして、不注意にも指先をスパッと切ってしまった。
「あぅ、痛っ! うわぁ、血が……」
赤い血が滴る。
すると、ミアの肩に乗っていた『ポチ』が、スッと動いた。怪我をした手まで這ってくると、指先に顔を寄せ、ペロリと一舐めした。
「あ、こら、血なんて美味しくないですぅよ?」
ミアは苦笑して指を引っ込める。
しかし、次の瞬間、彼女は目を丸くした。
「……あれれぇ?」
指先の傷が、消えていた。
傷跡どころか、以前からあったささくれまで綺麗に治り、ツルツルの肌になっている。
それは高位の神聖魔法に匹敵する、伝説のドラゴンの唾液による治癒能力だった。
「すごい! ポチ、唾液に消毒作用があるんだねぇ。ふふっ、便利な子ねぇ~」
ポチは「コイツ、わかってないな」とでも言いたげに、フンと小さく鼻を鳴らした。そして、不器用な主人の指に、今度は親愛の証として頬を擦り付けた。
その身体から、一瞬だけ、部屋の照明をも凌駕するほどの神々しい黄金のオーラが立ち上ったが、箒を探して顔を背けていたミアは気づかない。
「よぉーし、掃除を続けるぞぉ!」
箒を手に張り切るミア。その肩にしっかりと乗っかるポチ。
「ふふ、あんた人懐っこいねぇ~。後で美味しいおやつ、あげるからねぇ。先生には、内緒だよぉ」
最強の古龍、ゴールドドラゴン――成長すれば国一つを灰にし、あるいは再生させる力を持つ伝説の存在。
その本物は、今、薄暗い地下研究室で、ドジな助手のペットとしてひっそりと育つことになった。
城では見栄っ張りのニセモノが愛嬌を振りまき、地下では最強の本物が静かに爪を研ぐ……
生物学者ゼノの胃痛の日々は終わらない。
いつか『ポチ』がその真の姿を現し、世界を救う(あるいはゼノの心臓を止める)その日まで――
おしまい
二つの卵と彼の胃痛 ~伝説のドラゴンはどっちだ!~ よし ひろし @dai_dai_kichi
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