第14話 選ばないという選択

 封筒は、三つあった。


 白くて、厚みがあって、どれも丁寧に揃えられている。

 差出人は、それぞれ違う。


 香月小百合は、居間のテーブルの前で正座していた。

 向かいには母。少し離れたところに、霧島一郎と朝倉が座っている。


「急がせるつもりはない」


 霧島が、先にそう言った。


「ただ、話はしておいたほうがいいと思ってね」


 一つ目は、研究機関から。

 魔力適応の長期観察プログラム。保護と支援を前提とした提案。


 二つ目は、探索者育成部門。

 特別枠での訓練参加。年齢制限の例外扱い。


 三つ目は、行政からの打診。

 制度設計に関わる“参考ケース”としての協力依頼。


 どれも、丁寧な言葉で書かれている。

 善意で、理屈が通っていて、合理的だった。


「すごいね……」


 母が、思わず呟く。


 それは誇らしさと、不安が混ざった声だった。


「全部、小百合の力をちゃんと評価した結果だ」


 朝倉は、そう補足した。


「どれを選んでも、間違いじゃない」


 小百合は、封筒から視線を上げた。


「……選ばなかったら、どうなりますか」


 霧島が、少しだけ目を細める。


「正直に言うと、困る人はいる」


「でも」


 そう前置きして、続けた。


「それで罰せられることはない」


 小百合は、膝の上で手を握った。


 前世では、選択肢は少なかった。

 力があるなら、前に出る。

 必要とされるなら、応える。


 選ばないという選択肢は、なかった。


「すごい人にならなきゃ、だめですか」


 ぽつりと、問いが落ちる。


 誰も、すぐには答えなかった。


「……なりたくないわけじゃないです」


 小百合は、ゆっくり言葉を探す。


「でも、急ぎたくないです」


 ダンジョンに入るときの、静かな呼吸。

 家で夕飯を食べる時間。

 学校での、どうでもいい会話。


 それらが、全部なくなる気がした。


「私は……」


 小百合は、母の顔を見た。


「今日の自分のままで、少しずつ進みたいです」


 母は、しばらく黙ってから、微笑んだ。


「それが、小百合の答えなら」


 霧島が、静かに頷く。


「“今は選ばない”という選択だね」


「はい」


 朝倉は、少し肩をすくめた。


「大人としては、もったいないって思う」


 そう言ってから、続ける。


「でも、探索者としては……正しい気もする」


 封筒は、机の端にまとめられた。

 破られず、拒絶もされず、ただ置かれる。


 その夜、小百合は日記を開いた。


『きょう、えらばないことを えらびました』


 ひらがなは、少しずつ減ってきている。

 それでも、まだ残している。


『こわかったけど、すこし らくでした』


 ペンを置き、布団に入る。


 窓の外では、遠くで車の音がする。

 世界は、変わらず動いている。


 選ばないという選択は、止まることじゃない。

 自分の速度を、守ることだ。


 ――私は、私のままで、行く。


 そう心の中で繰り返しながら、

 香月小百合は、静かに眠りについた。


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