第13話 境界線に立つ人たち
支所の会議室は、いつもより広く感じられた。
実際の広さは変わらない。ただ、集まっている人間の顔ぶれが違った。
管理部、研究班、現場対応班。
探索者側からは、ベテラン数名。
香月小百合は、この場にいない。
けれど、議題の中心には、はっきりと彼女の名前があった。
「未成年、しかも六歳。前例がなさすぎる」
管理部の男性が、書類を指で叩く。
「能力があるのは理解している。しかし、それと許可を出すかは別問題だ」
「能力があるからこそ、制限すべきだという意見もある」
別の声が重なる。
霧島一郎は、黙って聞いていた。
腕を組み、視線は卓上の資料に落ちている。
「だが、現場ではすでに助けられている」
そう言ったのは、低層専門の探索者だった。
「先日の住宅街の件。彼女がいなければ、被害は確実に広がっていた」
「結果論だ」
管理部が即座に返す。
「結果論で制度は作れない」
その言葉に、朝倉が小さく息を吐いた。
「でも、現実は結果でできている」
一瞬、空気が張りつめる。
「彼女は、境界線に立っている」
朝倉は、静かに続けた。
「子どもで、探索者で、一般人でもある。そのどれかに押し込もうとするから、歪みが出る」
「では、どうしろと?」
「“例外”として扱うんじゃない」
朝倉は、はっきり言った。
「“途中”として扱うんだ」
霧島が、そこで顔を上げた。
「この世界自体が、途中だ」
低い声だったが、全員の注意を引いた。
「ダンジョンも、制度も、魔力の理解も。完成していない」
霧島は、一人一人を見渡す。
「未完成な世界で、完成した枠を当てはめるのは無理がある」
沈黙が落ちる。
「香月小百合は、境界線に立っている人間だ」
霧島は続ける。
「なら、我々も境界線に立つしかない」
守るか、使うか。
排除するか、特別扱いするか。
その二択ではない。
「観察し、学び、調整する」
霧島の声は、揺れなかった。
「彼女を通して、この世界がどう変わるのかを見る」
反対意見は、まだあった。
責任、倫理、世論。
だが、完全な否定は出なかった。
会議の終盤、一人の年配探索者が口を開いた。
「……俺はな」
少し照れたような声だった。
「正直、最初は怖かった。子どもが現場にいるなんて」
全員が、そちらを見る。
「でも、あの子は違った」
彼は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「自分が前に出るときと、引くときを知ってる。あれは……才能じゃない」
「経験ですか?」
「いや」
彼は首を振った。
「覚悟だ」
その一言で、場の空気が変わった。
会議は、結論を急がずに終わった。
だが、一つだけ共有された認識がある。
――彼女は、もう“いないもの”にはできない。
その頃、小百合は家で宿題をしていた。
鉛筆を握り、算数の問題を解く。
途中で、手が止まる。
――今、何かが動いている。
理由はわからない。
けれど、空気が変わるときの感覚に、覚えがあった。
夕飯のあと、母がテレビを消して言った。
「今日ね、支所から連絡があったよ」
小百合は、顔を上げる。
「すぐに何かが変わるわけじゃないけど……」
母は、少し迷ってから続けた。
「小百合のこと、ちゃんと“考えている人”が増えてるって」
小百合は、少しだけ安心した。
利用されるのでも、閉じ込められるのでもない。
考えられている。
それは、境界線に立つ者にとって、救いだった。
布団に入り、目を閉じる。
私は、子ども。
私は、探索者。
どちらかを捨てる必要はない。
どちらかに逃げる必要もない。
境界線は、線じゃない。
人が立てば、そこは場所になる。
香月小百合は、静かに眠りについた。
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