第10話 探索者としての一歩
支所の掲示板の前で、香月小百合は立ち止まった。
貼り出された紙はまだ新しく、端が少し反っている。
「探索継続許可(条件付き)」
その文字を、ゆっくりと追う。
――条件付き。
昨日、霧島一郎から簡潔な連絡があった。
面談の結果、低層階に限り、必ず監督者同伴。単独行動は禁止。
訓練と観察を主目的とすること。
大人たちの慎重さが、行間に詰まっている。
「おめでとう、って言っていいのかな」
背後から、朝倉の声。
「……はい。たぶん」
小百合は、紙から視線を外して振り返った。
「今日が、その“一歩目”だ」
朝倉は、いつもより少し真面目な顔をしている。
装備室。
小百合に渡されたのは、軽量のヘルメットと簡易プロテクター、そして小さな腕輪型の端末だった。
「これは?」
「生体モニター。心拍と魔力反応を測る」
朝倉は、しゃがんで腕輪を調整しながら言う。
「異常があれば、すぐ引き返す。いいね」
「はい」
低層ダンジョンの入口は、以前と変わらない。
ただ、今日は“許可”という言葉が背中に乗っている。
扉が開くと、ひんやりとした空気が流れ出た。
「……落ち着きます」
思わず、声が漏れる。
「そう言う人、たまにいる」
朝倉は苦笑した。
「でも、それに頼りすぎないこと」
足を踏み入れる。
低層特有の、静かな魔力の流れ。壁に埋め込まれた結晶灯が、淡く道を照らす。
「今日は観察がメインだ。戦闘はしない」
「わかっています」
進むにつれ、小百合は気づいた。
魔力の流れが、昨日より整っている。
――人が、関わるから。
昨日のトラブル後、調整が入ったのだろう。
この世界は、手を入れながら形を作っている。
角を曲がった先で、小さな魔物が姿を現した。
低層に多い、小動物のような影。
「止まって」
朝倉が低く言う。
小百合は、息を整えた。
魔力に触れない。ただ、感じる。
魔物は、こちらを警戒しつつも、距離を保っている。
「……攻撃性、低いです」
「どうしてわかる?」
「感情が、薄いです」
朝倉は、少し驚いたように眉を上げた。
「感情で判断するのか」
「はい。前……いえ、経験上」
言い直す。
朝倉は、それ以上聞かなかった。
しばらく観察した後、静かに引き返す。
戦わない探索。それでも、胸は高鳴っていた。
帰還。
支所の記録室で、簡単な報告が行われる。
「異常なし。数値も安定」
職員が端末を見ながら言う。
霧島が、小百合に視線を向けた。
「どうだった?」
「……一歩、踏み出した感じがしました」
霧島は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「それでいい」
書類にサインが入る。
小百合の名前の横に、小さな印。
探索者としての記録が、正式に残った。
支所を出ると、夕方の空が広がっていた。
オレンジ色の光が、街を包む。
「怖かった?」
朝倉が聞く。
「少し。でも……」
「でも?」
「楽しかったです」
その答えに、朝倉は笑った。
「それを忘れなければ、たぶん大丈夫だ」
家に帰ると、母が玄関で迎えた。
「おかえり。どうだった?」
「……はじめの一歩、です」
母は、少しだけ目を潤ませて、頷いた。
「そっか」
その夜、小百合は布団の中で考える。
探索者としての一歩。
それは、特別な力を使うことじゃない。
選び続けること。
怖さと、楽しさを両方抱えて進むこと。
未完成な世界で、未完成なまま。
それでも、歩き出した。
香月小百合は、静かに眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます