第8話 子どもという枠

 探索者支所の受付前は、朝から少し騒がしかった。

 端末の操作音、職員の呼び声、装備を運ぶ金属音が混ざり合い、低くざわめいている。


 香月小百合は、その一角で椅子に座っていた。

 足が床につかない。ぶらぶらと揺れるつま先を、無意識に止める。


「……待ち時間、長いですね」


「まあ、午前中はこんなもんだ」


 隣に立つ朝倉は、いつも通り穏やかな表情だ。


 今日の目的は、低層探索の継続申請と簡易面談。

 形式上は、ただの手続きだった。


 ――形式上は。


「次、香月小百合さん」


 名前を呼ばれ、立ち上がる。

 小さな体が目立つのか、周囲の視線が一瞬集まった。


 個室の面談室。

 テーブル越しに座るのは、見慣れない男性職員だった。年齢は四十代くらいだろうか。


「えー……香月さん、ですね」


 書類をめくりながら、職員はちらりと小百合を見る。


「……六歳?」


「はい」


 間が空いた。

 その沈黙に、悪意はない。ただ、困惑があった。


「率直に聞きますが……本当に、探索を続けるつもりですか?」


 小百合は、少し考えた。


「はい」


「危険ですよ。低層とはいえ、ダンジョンはダンジョンです」


「知っています」


 即答だった。


 職員は眉をひそめる。


「ご家族は、納得しているんですか」


「……全部では、ないです」


 それも、嘘ではない。


「子どもには、子どもの生活があります。学校、友達、遊び……」


 小百合は、机の上の木目を見つめた。


 前世では、子どもという時期は短かった。

 魔法を学び、結果を求められ、役割を与えられる。


 今世では、守られる存在としての時間が与えられている。


 ――それが、重い。


「私は、探索がしたいです」


 静かに言う。


「理由は?」


「……息が、できるから」


 職員は、言葉を失ったようだった。


「ダンジョンの中にいると、落ち着きます」


 異界の空気。

 魔力の流れ。


 そこでは、自分が自分でいられる。


「でも、それは……」


「危険だってことも、わかっています」


 小百合は、顔を上げた。


「だから、ちゃんと学びます。無理はしません」


 職員は、深く息を吐いた。


「……正直に言います」


 彼は、少し声を落とした。


「問題は、能力じゃない。年齢です」


 その言葉に、小百合の胸が、きゅっと縮む。


「もし何かあったら、責任問題になる」


 それが、この世界の現実だった。


 能力よりも、立場。

 結果よりも、前提。


「霧島管理官とも、相談します」


「……はい」


 面談は、それで終わった。


 廊下に出ると、朝倉が待っていた。


「どうだった?」


「……だめかもしれません」


 朝倉は、少し考えてから言った。


「“子ども”っていう枠は、強いからね」


 小百合は、唇を噛んだ。


「私、間違ってますか」


「いいや」


 即答だった。


「ただ、この世界は、君を守ることを優先する」


 それが、優しさであり、壁でもある。


 帰り道。

 小百合は、ランドセルを背負って歩いていた。


 すれ違う同年代の子どもたちは、ダンジョンの話なんてしていない。

 ゲームやアニメ、明日の給食。


 ――私は、どこにいるんだろう。


 家に着くと、母が出迎えた。


「おかえり。どうだった?」


「……少し、難しいです」


 母は、それ以上聞かなかった。

 小百合の頭を、そっと撫でる。


「無理しなくていいからね」


 その夜、小百合は日記を開いた。

 ひらがなで、ゆっくりと書く。


『きょう、わたしは こども だと いわれた』


 ペンが止まる。


 子どもであることは、否定ではない。

 でも、選択肢を狭める。


『でも、わたしは わたし です』


 それだけを書いて、ノートを閉じた。


 布団に入り、天井を見る。

 世界は、小百合を枠に入れようとする。


 それでも――。


 枠の中で、どう生きるか。

 それを決めるのは、自分だ。


 小百合は、静かに目を閉じた。


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