第5話 はじめての肩書き
探索者カードは、想像していたより軽かった。
プラスチック製の小さな板。名前と区分、顔写真。それだけ。
――補助探索者。
香月小百合は、カードを指先でそっとなぞった。
文字は冷たいのに、胸の奥は妙に落ち着いている。
「なくさないように、ケースに入れておきましょう」
霧島一郎が差し出した透明なケースに、母が丁寧にカードを収める。
「首から下げる必要はありません。未成年ですから。出入りの際に提示できれば十分です」
「はい……」
母は何度も頷いた。
小百合は、その横顔を静かに見ていた。
支所の一角、装備説明用のスペースに案内される。
壁には、軽装の防具や小さなバッグが整然と並んでいた。
「補助探索者の基本装備です」
霧島は、机の上にいくつかの道具を並べる。
「防刃ベスト。刃物や爪から身を守ります。完全ではありませんが、ないよりはずっといい」
「ヘルメット。頭部保護用」
「緊急信号機。危険を感じたら押すだけで、位置が共有されます」
小百合は、一つひとつを目で追った。
前世の装備と比べると、どれも簡素だ。けれど――。
――守るための道具だ。
その考えが、自然に浮かぶ。
「武器は……」
母が恐る恐る聞く。
「持たせません」
霧島は即答した。
「この年齢での武器使用は認められていません。補助探索者は、基本的に後方支援か観察が役割です」
小百合は、内心で少しだけ息を吐いた。
剣も杖も、今は必要ない。
「魔法についても、制限があります」
霧島は小百合を見る。
「強い出力は禁止。光や温度調整など、環境に影響しない範囲のみ」
それは、妥当な判断だった。
この世界で、制御を誤る危険は大きい。
「分かりました」
小百合は素直に答えた。
霧島は、わずかに眉を上げる。
「……理解が早いですね」
「はい」
それ以上、説明は不要だった。
手続きを終え、支所を出ると、昼前の光が眩しかった。
母は深く息を吸い、吐く。
「……本当に、始まっちゃったね」
「うん」
始まった、というより。
思い出したことに、名前がついただけだ。
家に戻ると、父が珍しく早く帰ってきていた。
食卓に、探索者カードが置かれる。
「……これが」
父はカードを見つめ、言葉を失った。
「補助探索者です」
小百合が答える。
沈黙が落ちる。
時計の秒針の音が、やけに大きい。
「……危ないんだろう」
「うん」
小百合は、否定しなかった。
「でも、行かないほうが……」
父の声が、途中で止まる。
小百合は、まっすぐ父を見る。
「行かないと、たぶん……わたし、ずっと、変になる」
変、という言葉は正確ではない。
けれど、今はそれしか言えなかった。
父は、しばらく黙り込み、やがて小さく笑った。
「……難しい顔をするようになったな」
その笑顔は、少しだけ寂しそうだった。
「約束しろ」
「なにを?」
「無茶をしないこと。……それと、ちゃんと帰ってくること」
「うん」
その約束は、重かった。
だから、小百合はきちんと受け取った。
翌週。
初めての正式な探索日。
低層・短時間・同行あり。
条件は厳しいが、小百合にとっては十分だった。
ダンジョン入口前。
装備を整え、同行者と挨拶を交わす。
「よろしくね、小百合ちゃん」
柔らかい声の女性探索者。補助役専門のベテランだ。
「はい。よろしくお願いします」
小百合は、きちんと頭を下げた。
扉の前に立つと、空気が変わる。
胸の奥が、静かに応える。
――肩書きが、重なる。
六歳の少女。
香月家の娘。
そして、補助探索者。
どれも本当で、どれも嘘じゃない。
一歩、足を踏み出す。
ダンジョンの空気が、ゆっくりと包み込んだ。
戦うためではない。
証明するためでもない。
ただ、自分の足で立つために。
小百合は、はじめての肩書きを胸に、静かに前へ進んだ。
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