第4話 登録という名前の壁
探索者協会の支所は、思っていたよりも静かだった。
病院の待合室に似た空気。人の出入りはあるのに、声は抑えられている。
香月小百合は、母の隣で椅子に腰かけ、足を揃えて前を向いていた。床に貼られた案内表示が、やけに几帳面に見える。
「……本当に、検査だけなんですよね」
母が、何度目か分からない確認をする。
「はい。本日は魔力の再測定と、登録に関する説明だけです」
霧島一郎は穏やかに答えた。
あの日から数日。小百合は再び、この場所に呼ばれていた。
小さな検査室に通される。
白い壁、机、椅子。機械が二つ。前回より少しだけ、本格的だ。
「じゃあ、香月さん。楽にして」
霧島の言葉に、小百合は椅子に座り、両手を膝に置いた。
深呼吸。魔力が、自然に整う。
測定器が起動する。
数値が流れ、ランプが点灯する。
霧島は、画面を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……やはり、変わりませんね」
母が身を乗り出す。
「何か、問題が?」
「いえ。危険ではありません。ただ……」
霧島は言葉を選び、ゆっくり続けた。
「香月さんの魔力は、量が非常に少ない。ですが、揺らぎがほとんどない」
小百合は理解した。
これは、前世では「完成に近い状態」だった。
「普通は、感情や体調で数値がぶれます。特にダンジョンに入ったばかりの人は」
霧島は小百合を見る。
「ですが、香月さんは違う。まるで……ずっと前から、使い慣れているようだ」
室内の空気が、少しだけ張りつめた。
「それって……」
母の声が小さくなる。
「才能、という言い方もできます。ただ、問題は年齢です」
霧島は画面を消し、姿勢を正した。
「探索者として正式に登録するには、原則として十五歳以上。未成年の場合は、例外扱いになります」
小百合は、静かに聞いていた。
分かっている。壁は、力ではなく制度だ。
「登録されれば、ダンジョンへの立ち入りが可能になります。ただし――」
霧島は、はっきりと言った。
「行動制限、監督義務、緊急時の強制退避。すべてが大人以上に厳しい」
母は、きゅっと唇を噛んだ。
「……危ないんですよね」
「ええ。正直に言えば、おすすめはできません」
霧島は、小百合にも視線を向ける。
「香月さん。君は、どうしたい?」
小百合は、少しだけ考えた。
すぐに答えは出ている。それでも、言葉にする必要があった。
「行きたいです」
声は、小さい。でも、揺れなかった。
「ダンジョンに?」
「はい」
母が、驚いたように小百合を見る。
「さゆり……」
「こわいのは、分かってます。でも――」
小百合は、言葉を探した。
前世の記憶を、そのまま話すわけにはいかない。
「行かないほうが、もっと……いやです」
それは、嘘ではなかった。
霧島は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「分かりました。では、条件付きです」
机の引き出しから、書類を取り出す。
「区分は『補助探索者』。戦闘を主目的としない立場です。同行必須、低層限定、滞在時間も短く設定します」
母は、書類を受け取り、目を通す。
「……本当に、これで安全なんですか」
「完全な安全はありません。ただ、最善は尽くします」
母は、書類を握りしめたまま、うつむいた。
小百合は、その横顔を見つめる。
守ろうとしてくれている。それは、分かっている。
「……ママ」
小百合は、小さく呼びかけた。
「わたし、ちゃんとします。むりもしません」
約束、という言葉は使わなかった。
それは、軽すぎる。
母は、目を閉じてから、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。でも、絶対に一人で決めないで」
「うん」
その返事に、霧島は少しだけ表情を緩めた。
「では、登録手続きを進めます」
プリンターが動き、カードが一枚、机の上に置かれる。
名前:香月小百合
区分:補助探索者
小百合は、その文字を見つめた。
肩書きが、増えただけだ。
それなのに、世界との距離が、少し変わった気がした。
支所を出ると、夕方の空が広がっていた。
雲がゆっくり流れている。
「さゆり」
母が言う。
「これで、もう普通じゃなくなるかもしれない」
小百合は、首を振った。
「ううん。たぶん……ずっと普通だよ」
ただ、知ってしまっただけ。
扉の向こう側を。
登録という名前の壁は、越えたわけではない。
触れただけだ。
それでも、小百合の足は、確かに前へ向いていた。
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