第2話 とにかく好みを知りたい

窓際の特等席。そこには、ガラス細工のように硬直した制服姿の男女がいた。

陽葵は両膝を揃え、行儀よく手を置いて座っている。対する俺も、精一杯の「大人の余裕」を演出するため、頼みもしないブラックコーヒーを注文し、その漆黒の液体と睨めっこを続けていた。


(……いや、何を話せばいいんだ!?)


チラリと視線を向ければ、陽葵もまた、顔を赤らめては逸らすという動作を小刻みに繰り返している。


冷静に分析してみれば、彼女は学年どころか校内でも指折りの美少女だ。スタイルも抜群、性格は「天使」と名高い。そんな彼女を前にして、俺は一体どんな前世の徳を積めばこの席に座れるというのか。もはやこれは、何らかの罪ではないだろうか。


だが、ここでビビっては「彼女を作る」という野望は潰える。

俺は意を決して、ブラックコーヒーを一気に啜り(苦い!)、机の上で拳を握った。


「鹿島さん。今日は、来てくれてありがとう」


精一杯のイケメンスマイルを貼り付ける。


「……う、うん。こちらこそ、ありがとう……っ」


陽葵は視線を彷徨わせながら、小動物のようにピコリと一礼した。


「それで、さ――」


本題に入ろうとした、その時だった。

背後に、どろりとした不純な視線を感じた。

視界の端。少し離れた席で、ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべ、スマホを構えている親友の姿がそこにあった。


(……なんであいつがここに居るんだよぉぉぉ!!)


思考が真っ白に染まる。笑顔を維持したまま、俺は逃げるようにコーヒーを口に運んだ。


「……?」


急に言葉を止めた俺に、陽葵が不思議そうに首を傾げる。

焦った俺の口から飛び出したのは、自分でも意味不明な言葉だった。


「……鹿島さんのコーヒー、期間限定のやつだね」


「…………」


場が凍りついた。

陽葵は左手で口元を覆い、バッと顔を背けてしまう。


(やらかした! 親友のせいで話す内容を忘れた挙句、出てきたセリフがこれか!? 飲み物の確認って、俺はカフェの店員かよ!)


精神を統一するため、俺は右手を胸に当てて深く息を吐いた。親友の存在を脳内からデリートする。


「…………かな」


「え?」


「……ダメだった、かな?」


陽葵がゆっくりとこちらを向いた。その顔はリンゴのように真っ赤に染まっている。

潤んだ瞳が、俺の視線を真っ向から捉える。その愛らしさは、まさに心臓への直撃弾だった。


「……っ! ぜ、全然大丈夫だよ! 鹿島さんとは普段あまり話さないから、その……君の好みが気になっただけなんだ!」


心臓のバクバクを隠し、必死に言葉を繋ぐ。

すると陽葵は、そこに花が咲いたかのような、最高の笑顔を浮かべた。


「……嫌われたんじゃなくて、よかった」


ドクン、と心臓が跳ねた。本能が「これ以上はやばい」と警鐘を鳴らす。

俺は右手を口に当てて、思わず顔を背けた。


(なんだ、この破壊力は……?)


しかし、陽葵の攻勢は止まらなかった。

彼女は期間限定の『アジサイ・モカ』を一口啜ると、少し身を乗り出し、真っ赤な顔のまま俺を見つめてきた。


「ねえ、平野くん。私も……君の好みが、知りたいな」


「…………」


その言葉に、今度は俺の顔が限界まで加熱した。

左手で顔を覆う。もはや、声が出ない。


(……それは、反則だろ)


背中に刺さる親友のゲスな視線。だが、今はそれどころではない。

俺は震える左手を机に置き、覚悟を決めた。


「……いいよ。今日は、その話をしようか」


「うん!」


陽葵は嬉しそうに頷き、二人の会話はようやく「1%」の空白を埋め始めた。


///


気づけば、街路樹の隙間から差し込む光は濃いオレンジ色に染まり、長い影がアスファルトに伸びていた。

カフェを出て、陽葵と別れたところで今日は終了……のはずなのだが。

なぜ、この男は当然のように俺の後ろを歩いているのか。


「なあなあ風真ぁ。どうだったんだよ、学校の『生ける天使』こと鹿島さんは?」


「おい、人を勝手に希少生物みたいに評価するな。それに、彼女だって好んで天使になったわけじゃないだろ。本人の前で絶対言うなよ?」


「えぇー、いいじゃん別に」


心底嫌そうな顔をするこの男は、雨宮あめみや太陽たいよう

小学生の頃からの腐れ縁で、俺が高校デビューのために必死で「地盤」を固めた背景も、その裏にある中学時代の黒歴史もすべて知っている数少ない男だ。


「鹿島さんは天使。これでいいだろ。シンプル・イズ・ベスト」


「だから、その安直なラベリングをやめろって言ってるんだ! 語彙力死んでるぞ!」


太陽はさらに気怠そうな視線を俺に向けた。

こいつは顔だけ見れば超絶イケメンなのだが、この「やる気のなさ」が全身から滲み出ているせいで、いまだに彼女がいない。

おかげで俺は、毎年のクリスマスを野郎二人で過ごすという地獄を回避できているわけだが。


(スペックは高いのにもったいねえな……まあ、そのおかげで俺の精神が保たれてるんだけど)


ふと、太陽が歩みを止めて背筋を伸ばした。沈みかけた夕日に目を細め、空を見上げる。


「……で、本当のところ、鹿島さんはどうだった?」


「またそれかよ。しつこいぞ」


「違う。俺が聞いてんのは、彼女が『お前の目標達成のためのパーツ』だったのか、それとも『本当に隣にいたい相手』だったのかってことだ」


茶化すような響きが消え、静かなトーンになった太陽の問いに、俺は言葉を詰まらせた。


(鹿島さんは……)


勢いだけでカフェに誘い、想定外のカウンター攻撃(あの笑顔)を食らった。

彼女のすべてを理解したわけじゃない。俺の緻密な計算なんて、あの「あじさい・モカ」の甘い香りに溶かされて霧散してしまった。

けれど――不思議と、嫌な気分じゃなかった。

明日、また教室で彼女に会うのが、これまでの「義務的な社交」とは違う、純粋な楽しみになっている。

西日に照らされた俺を、太陽が横目でじっと見つめていた。


「……ふーん。まあ、その顔してるんなら、俺が言うことは何もないな」


「は? なんだよ急に。特にないってどういう意味だよ」


「今の顔、『作り物』じゃないぜ。風真」


「……はぁ!?」


意味深な言葉を捨てて、太陽はまた気怠げな足取りで歩き出した。

俺は赤く染まった自分の頬が、夕日のせいだけではないことを自覚し、慌てて奴の後を追った。

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