丸い請負人と四角い監査員

 日が暮れるころ、ベータとクロエは酒場バッカスに戻ってきた。



 ベータは慣れた様子でドリンクを二人分注文すると、定位置と言わんばかりに窓際の角席に吸い込まれていく。


「お疲れ様、クロエ」


「……お疲れ様でした、ベータさん」


 労いを掛け合う二人だが、クロエは納得していないと言いたげな雰囲気を隠そうともしない。その刺々しさは、夕食のために来店したカップルが言葉もなく避けて通るほどである。



「クロエ、空気悪いよ? お腹痛い?」


「違います。……ベータさんこそ、顔色悪いですよ」


「ちょっと貧血気味でね。へーきへーき、すぐ治るから」


 ベータはひらひらと少し冷たくなった手を振って、クロエに続きを促す。



「で、ご機嫌ナナメな理由は?」


「今日の仕事、あれはなんですか」


「それはクロエの方が詳しいんじゃない?」


「そういうことではなく、ブラックサンダーズを廃船解体の人に預けましたよね? どういうことですか?」


 サーブされたオレンジジュースに目もくれず、クロエはまくし立てる。



「彼らは何人も怪我させた悪人です。規則通り、正しく裁くべきです」


「…………人の船を壊すのはいけないこと?」


「どういうことですか?」


「いいから」


「……よくないことです。当たり前じゃないですか」



「じゃあレーヴさんの仕事も悪いことだ」


「それは、レーヴさんが船の解体を仕事にしているわけですから、正しいことです」


 自分がこんなに義憤をたぎらせているのに、目の前の少女の飄々とした態度はなんだ。クロエは切れ長の目元をいっそう吊り上げた。



「じゃあ、ブラックサンダーズは?」


「さっきからなんなんですか」


「ブラックサンダーズが最初に怪我させた相手は、無理に女性を口説こうとした一団だったらしいね。これは悪いこと?」


「それは…………」


 言い淀んだクロエを見て、ベータはニヤリと笑う。


「なんであれ怪我をさせるのはダメ、じゃないんだ?」


「………………」


「二件目はその一団の報復を返り討ちにして、以降もあくまで自衛のための戦闘……ギルドの更生施設送りにしては、ちょっとねぇ……。そんなわけだから、わたしの今回の報酬はナシでいいよ。不良魔術師には会えなかったし、船の解体も先約がいた。報告よろしくね」


「………………失礼します」




◆◆◆




 酒場から寮の自室への帰り道、クロエはずっと俯いていた。


 悔しかったからでも悲しかったからでもない。ただ、ずっと考えに耽っていたのだ。



 監査員は原則直帰である。自室に帰って報告書をまとめ、翌朝以降でも提出することが許されている。監査員の給料は出来高なので、仕事の持ち帰りで残業代が発生したりはしない。



 港街パシフィス、ミドルベルト地区。海岸から少し坂を登った高さにある一帯は、パシフィスの都市機能のほとんどを備えている。ギルドもミドルベルト地区に建物を構えており、ギルド職員の寮もその近辺にあった。



「…………」


 共用の玄関と廊下を通り、一階の角部屋へ。


「ん……」


 郵便受けになにか入っている。


 公共料金の通知書や払込用紙にはまだ早い。チラシなども断っているし、心当たりのない書類だ。


「………………え」


 その場で開いて見てみると、退去勧告であった。それも三通。


 思い返してみれば、あの一件以来まともに郵便受けを見ていなかった。そもそもクロエにとって郵便受けとは、公共料金のやりとりのためだけのものである。


 急ぎ、封を切る。嫌な予感がしたのだ。


「――――」


 紙を持つ手が震える。不随意に揺れる指先で、念のため、念を押して文面を追っていく。



 回らなくなった頭で読み込めたのは、今日の昼で部屋の契約を解除する旨だった。同封されている書類には、この寮がギルドの受付嬢のための施設であること、部屋の荷物は管理組織が一旦預かるが一定期間で処分すること……などが記載されている。



 ここにきてクロエは、特に返してほしい荷物がない、という的外れな見解を示す。


 残り二通は、それぞれ半月前と三日前に同様の旨を伝えるものだった。


 つい手癖で鍵を差し込もうとしたが、当然交換済みで使えない。


 どうすることもできなくなったクロエは、ただ寮に背を向けどこかを目指すしかなかった。

 寮の窓から女性の視線と笑い声が降ってきた気がするが……おそらく幻覚ではないだろう。




◆◆◆




 日もとうに暮れ、クロエは再び酒場バッカスに戻ってきた。



 昼間や夕方とは打って変わって、店先まで男たちの喜ばしい声が聞こえてくる。自然、クロエの視線もやや上を向く。



 窓際の角席……いた。夕方別れたあのときのまま、ベータは定位置らしき席に座っていた。クロエは思わず駆け寄る。


「え、なになにどうしたの? 晩ごはん?」


「いえ、そうではなく……」


 クロエは帰る場所がなくなった件について話した。


 ストローを咥えたまま聞いていたベータは、通りすがりのウェイトレスを挙手で呼び止め、ハンドサインでクロエの分のドリンクを注文する。


 ほどなくして、アップルジュースが二杯届けられた。ちょうどクロエの話し終わりと重なったのは、スタッフの心遣いによるものだ。



「ふぅん」


 一通り聞き終えて、ベータは一言、


「大変だったんだね」


 とだけ返した。


「それだけですか?」


「なんて言ってもらいたい?」


「それは…………」


「わかんないなら慰められないね」


 そう言いつつ、クロエが握っていた退去勧告を手に取るベータ。


「一応、随伴の監査の人だから優しくするけどね。……うわ、高圧的だなぁ」



 ベータの指摘通り、強制退去を報せる文面は、読み手に攻撃的な印象を与えるものだった。気遣いがないというか、半月も連絡を無視したミヤコ落ちの監査員に配慮する気がないのが、インク越しに伝わってくる。



「………………」


「んー……そうだな。クロエはさ、四角く考えすぎなんだよ」


「…………?」


 ベータは紙の端……長方形を指でなぞって続けた。


「世界は四角ばっかりでも、真っ直ぐばかりでもない、ってこと。このグラスみたいに丸いこともあれば、あそこのタペストリーみたいに三角なこともある」


「それは……そうですが……」


「わたしを踏み台に受付に戻るんでしょ? だったらしばらく、バツだったりウネウネした線も見せることになるけど、それも含めて監査してほしいな」


「――わかりました。ですが、間違っていると思ったら、差し出がましいですが口を出させてもらいます。一応、それも監査の仕事なので」



 クロエはここにきてはじめて、ベータの目を真っ直ぐ見て言った。その意思の宿った眼光に、ベータは思わず微笑む。


「あらためてよろしくね、クロエ・ベルディクト。わたしはクロエの、そういう芯の通ったところ、好きだよ」

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2025年12月28日 20:07
2025年12月29日 20:07
2025年12月30日 20:07

最強請負人の随伴監査員 人藤 左 @kleft

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