魔滅少女の戦場譚

@Azuki_Yuki

第一話 “魔滅”と呼ばれた少女

 裾が所々ほつれ、千切れたカーテンの隙間から、少女は赤褐色に広がる空を見ている。

 

 (皆、無事に帰ってくるかな……)


 紫のローブを纏う少女は、ベッドの上に座りながら、左手首に巻かれた三本のブレスレットを右手でそっと撫でる。

 

 ドンドンドンッ。

 不意に、建付けの悪い木製の扉を乱暴に叩く音が聞こえる。

 傷みが目立つ木材に囲まれたこの部屋全体が、扉を叩くリズムに合わせてキィキィと悲鳴を上げる。

 

 「アイーシャ様!アイーシャ様!いらっしゃいますか!?」

 「ここにいる。だから、そんなにドア、叩かないで……」

 「失礼いたしました。しかし、なにぶん、緊急事態でして……」

 「何か、あったの?」


 アイーシャと呼ばれた少女は、無意識にブレスレットを掴む。

 

 「魔人が出ました。“戦車”の魔人です。どうか、お力添えを――」


 魔人。

 人知を超えるとさえ言われる上位魔法を使い、

 どこかの国の王都を一晩で消し炭にしたとさえ言われる厄災。

 

 その言葉を聞き、アイーシャの口元は僅かに緩む。


 (あぁ……。また、みんなを助けることができるんだ。私の力、役に立つんだ……)

 

 キュッと鍔広のとんがり帽を被り、アイーシャは迎えの兵士に連れられて戦場へと赴く。

 

 ♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

 

 赤土の荒野から黒煙が昇る。

 まるでそれを投影したかのように、頭上に広がる空は赤褐色に染まり、灰色の雲が帯を作っている。

 

 遥か地平の先から、黒の波が押し寄せてきた。

 それは、何千何万という魔物の群れ。

 

 下卑た薄ら笑いを浮かべ、涎を垂れ流すゴブリン。

 巨大な体躯と棍棒を携えたオーク。

 本能に身を任せ、殺戮に目を赤く濁らせるワーウルフ。

 烏にも似た黒い羽根で上空を突き進むハーピィ。

 

 「皆、臆するな!構えぇぇ!!」

 

 殺伐とした荒野に響く号令は、しかし場違いな華やかさをもっていた。

 号令をかけた純白の鎧を身に纏う少女――第一師団団長・ルミナス=ウルス=カーラーは、自らが持つ白金の杖を魔物の群れへ向ける。


 「“清浄の光よ 悪たる存在を滅せよ”!」

 

 一線では足りない。

 一柱と形容すべき閃光が、ルミナスの杖から放たれる。

 

 それを合図に、彼女の後ろに控える一万の杖からも、一線の光が幾重にも折り重なり、魔物へと向かう。

 

 閃光を浴びた魔物は黒い塵となり、また一筋の黒煙へと変わった。

 ルミナスの目の前で黒い波が二つに割れる。

 

 『右と左は任せたわよ!エヴァン!ルイダ!』

 『てめぇ!俺に指図すんじゃねぇ!』

 『きゃー!ルミナス姉さま凄すぎですぅ~』

 

 思念魔法で飛ばしたメッセージに、種類の異なる騒音が返ってくる。

 鼓膜を介さない会話と分かっていても、ルミナスは無意識に両耳を塞いだ。


 ♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦


 「おっしゃあ!いくぜぇ、おめぇら!死んだら承知しねぇから、死ぬ気で生き残れ!」

 

 ルミナス率いる第一師団の右方。

 第一師団より重厚で無骨な意匠の鎧を纏う第二師団は、剣や槍などの近接武器を携える。

 その先頭には、第二師団団長・エヴァン=レギンズの姿があった。


 上空からハーピィが5体、先陣を切ってエヴァンへ急襲を仕掛ける。

 全力で駆ける勢いをそのままに、風の魔法の力も借りて、彼は上空へと舞い上がった。

 エヴァンを取り囲むようにハーピィは上空で円を作る。

 

 「しゃらくせぇぇぇぇ!」


 円の中心でエヴァンの持つ両手剣が呻る。

 横薙ぎの一閃は、美しく円を描きながら、その軌道上にいた魔物を上下に切り分けた。

 消失の黒煙を振り切りながら、エヴァンは着地する。


 「まだまだ行くぜぇ!ビビんじゃねぇぞ、おめぇらぁ!」

 

 おぉぉぉぉ!という七千の雄たけびと共に、二つの陣営が交錯する。

 同時に、その境界線から黒い煙が爆発的に広がった。


 ♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦


 「むむぅ……。なかなかやりますね、エヴァンのくせにぃ~」


 第一師団を挟んで反対側。

 第二師団の猛攻を目を細めて観察するローブ姿の小柄な少女。

 第三師団団長・ルイダ=デル=パトリエは、ギリギリと奥歯を噛み鳴らす。


 「ル、ルイダ様。我々もいきませんと、魔物が……」

 「ちょっと待ってて!まだルミナス姉さまがこちらを向いていないわ!」

 「そうは言っても……」

 

 後ろで焦ったように懇願する声に、ルイダは深くため息をつく。

 

 「あーもうっ!お姉さまに見てもらわないと意味ないのにぃ!」

 

 ルイダは幾年の年月を感じさせる樫の杖を大地に立てるように持つ。


 「“万象の聖霊よ。我が声を聞け――ノーライム”!」


 トンッ、とルイダが杖の先端で大地を叩くと同時。

 進攻する魔物の眼前に、突如として巨大な土壁が隆起する。

 その壁は大地を滑り、まるで巨大な津波のような挙動で、正面で立ち往生している魔物を磨り潰し、消していく。

 

 「うん!一丁上がり!!さて、お姉さまは――」


 『ルイダーー』


 突然頭に直接、そして限りなく冷たく響いたその声に、ルイダは反射的に背筋を伸ばした。


 ♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

 

 『あ、あはは……。レミっち、ご機嫌斜め~?』

 『ええ。あなたのせいで、ね。部下を危険にさらして……。どういうおつもりですか?』

 『あー。でも、結果的にみんな無傷だし、だから問題ないよね』

 『……………………』

 『無言やめてよ~、レミっちぃ』

 

 はぁ、と力が抜けたようなため息が聞こえた。

 あわわ……、とお説教を覚悟したルイダの耳に届いたのは、しかし予想外の言葉。

 

 『――作戦司令部から全軍へ。悪い知らせです』

 

 いつの間にか個人への通信から全体に切り替わっていたらしい思念魔法に、第一から第三の、新入りを除く全員が戦闘の傍らで耳を傾ける。

 

 『敵軍の指揮についているのは、“戦車”の魔人です――』


 一瞬にして、戦場を緊張が駆け回った。

 ある者は近くの者と顔を見合わせ、己が聞いた事実の真偽を確かめる。

 ある者は衝撃のあまり、熟年の戦士であれども戦いを忘却し、その場で立ち尽くす。

 

 『魔人だって!?――おい、レミリオ!そいつはマジなのかよ』

 『エヴァン。そういうのは全体への回路を切ってからにしろ。士気に影響する』

 『お、おぉ。悪い……。状況の詳細を知りたいので、回路を切り替えたいんだが、魔人との距離はまだあるのか』

 『ああ。すぐに出張ってくる様子ではないらしい。指揮は副団長に任せて5分後に師団長のみで詳細を伝える。以上だ』


 ブンッと、思念魔法の回路が切断される。

 同時に、3師団それぞれから矢継ぎ早に戦闘指示の仔細を伝える声が響いた――。


 ♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦


 『5分経った。師団長各位、問題ないかい?』

 

 回路の向こうの声に3人は頷き、応答する。

 

 『結構。ちゃんと届いたよ。さて、今回の魔人についてだが、さっきも言った通り“戦車”の魔人だ』

 『マジかよ……。あんなやつとまた戦うのか』

 『ルミナス姉さま……。わたし、怖いですぅ~』

 『二人とも――』


 動揺が筒抜けのエヴァンとルイダを、ルミナスは凪ぐような口調で諫める。


 『二人とも。気持ちは分かるわ。以前の“戦車”の魔人には私たち、殺されかけたもの。

 でも、もうあの頃とは違う。私たち、強くなった。それに、レミリオがちゃんと導いてくれるわ』

 『――ご期待に沿えるよう頑張るよ、ルミナス。それに、僕たちには“魔滅”もついてるしね』

 『レミリオ、私たちの間ではあの子をそうは呼ばないって約束でしょ』

 

 思念魔法は言葉と共に、感情も相手に伝える。

 熟達した技術でそれを隠すことができるが、それが可能なのはこの場ではルミナスとレミリオだけだ。

 そのルミナスから――おそらく、わざと――伝わってきた感情は、底知れない怒りと軽蔑。

 魔人に慄いていたエヴァンとルイダは、その恐怖を見事に上書きされた。


 『ご、ごめんよルミナス……。作戦本部にいるとどうも口調が混じっちゃって。

 そう、僕たちには、アイーシャがいる。町一つを簡単に消し去れる魔人に、唯一対抗できる仲間を――』

 『あいつがいねぇと、この戦。相当の犠牲を覚悟しなきゃならねぇ』

 『そんなのダメですぅ。私の友達、誰一人死なせません~』

 『当然よ。だからこそ、アイーシャが来るまで、この戦場を耐えきりましょう』

 

 四者は、偽りのない決意を浮かべ、回路を切る。

 それぞれの戦場へ。

 “魔滅”と呼ばれる少女の到来まで、耐え忍ぶために戦う。

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