4.ある天使長

 我は天使の長だ。

 名前はない。

 この世界を創造した神は我に名前を与えなかった。


 ――純白。


 ただ、そう呼ばれた。

 

 世界の創造が終わると、神は去っていた。

 新しい世界を作るのだという。


 不満はなかった。

 神は紡ぎたもう存在ゆえ。


 我ら天使は地上に残った。

 この世界を見守るために……。


 ……長い時を生きてきた。


 良いものもたくさんあった。

 しかし同じくらい、醜いものもあった。


 竜族の争いを見た。

 炎と波によって世界は焼かれた。


 人族の戦争を見た。

 魔術によって世界は傷ついた。


 そのどれにも我らは距離を置いた。


 争いは嫌だ。

 ただ、美味しいものを食べて眠る。

 それでは駄目なのか。

 愛しあうだけでは不足なのか。


 我らは時に肉体を捧げ、世界を癒した。

 それでも世界の傷をすべて消し去ることはできなかったが。


 どれほどの時が経っただろうか。


 久し振りの冬眠から我は覚醒した。

 世界はまた変わったようだ。


 いや、それどころではなかった。

 神の気配を感じた。

 この世界を創造した神とは異なる神だ。


 新しい神がこの世界を見つめている。

 何かが起ころうとしていた。


 しかし、我は弱っていた。

 冬眠から覚めた当初はいつもそうだが……。


 とてつもない空腹であった。

 魔力も失っていた。


 まずは体力を取り戻さなければならぬ。

 我が今回、肉体を得たのは聖域。


 なんという幸運か。

 神が創造した原初の島。

 数多くの種族が求め、そして夢破れた島だ。


 ここは魔力が豊富で、身体を安めるにはぴったりである。


 さて、何を食べようか。

 魚か。木の実か。

 

 そうして砂浜を歩いていると、人間の気配を察知した。

 何やら叫んでおる。


「とったどー!」


 おお、なんと人族だ。

 しかも男だ。


 悪しき戦争、人族は愚かな呪いを生み出した。

 生まれてくる兵を根絶するため、男だけを殺す呪いを生み出したのだ。

 ゆえにこの世界には人族の男が少ない。


 しかもこの男は健康で活力に満ちている。

 考えられないほどの奇跡の存在だ。


 我はその人間に接触することにした。


 ……。


 驚いたのは彼の全身に、神の加護が行き渡っていることだ。

 太古の時代に失われた寵愛が彼を満たしていた。

 明確に神の力を保有している。


 うーむ……。

 なんという人族だろうか。


 見た目は普通の人族の男なのに。

 そして獲ったばかりのタイを持っていた。


 …………。


 食べるのであろうか。

 うまそうだ。

 うまそうな魚だ。


 きゅるるる……。

 お腹が鳴ってしまった。


 駄目だ。空腹で死ぬ。

 死んでしまう。


 さようなら。

 奇跡の男に幸あれ。

 最期に良いものを見た……。


 すると彼はタイを指差して、言った。


「この魚、食べたいのかい?」


 くれるのか。

 なんという優しさ。

 この世界もまだ捨てたものではない。


 ガツガツと刺身を食べる。

 ……うまい。


 泣いた。

 魂の中で我は泣いた。


 濃密な魚肉と凝縮された魔力が肉体を潤す。

 生の喜びだ。


 それから――彼と一緒に漁をした。

 どうやら彼は様々な道具を生み出したり消したりできるらしい。

 しかも魔術なしで溺れもしない。


 まさに神の業。

 世捨て竜の我も興味をそそられる。


 さらに、我に魚もくれるしな。


 この聖域でこれほど簡単に食事を得られるとは思ってなかった。

 出会いに感謝だ。


 満腹になれば眠気が来る。

 砂浜でうとうとしていると、彼がおずおずと聞いてきた。


「君、俺と一緒に暮らさないか?」


 我でいいのか?


 今の我は転生したばかりでほとんど役に立たない。

 そんな我でいいのか。


 ……いや、違うな。


 彼は孤独なのだ。

 我もそうだ。


 この人族がどこから来たのかは知らぬ。

 しかし聖域に今、人はいない。


 今は……。


 我もこの人族を気に入った。

 ふたりでなら、うまくやっていけそうだ。


 こくこくと頷く。


「よし、君の名前はシロちゃんだ。どうかな?」


 なんと、彼は我の異名を正確に言い当てた。

 知性も相当なものだ。

 ますます興味深い。


 にしても、我が名前を持つとは。

 何千年ぶりだろうか。


 ここはひとつ、喜びを全身で示そう。

 それが相方への礼儀だ。


「ふにゃーー♪」


 我の名前は決まった。

 シロちゃん。

 白猫のシロちゃんである。

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