敗戦国の幽霊王女ですが、隣国の気まぐれ王太子殿下に気に入られてしまいました

天音ジーノ

短編です、1話完結です。

 



 私は、バストリオン王国第三王女、サーリャ・ド・バストリオンである。


 第三王女という微妙な立場であり、社交の場でもあまり目立たない存在だった。


 銀の瞳と髪をしているからなのか、気味が悪いと言われているからなのか、私のことを皆はこう呼んでいた。

 

 『幽霊王女』と__

 

 


◇◇◇




「いやぁっ!私はまだ死にたくありませんわ!!」


「なんでこんなことに……!!」


「誰か、助けてくれ!!」


「あは、可愛らしい叫び声だね。」


 宮殿の玉座の間にて、私は自分のどこが幽霊に見えるのか考えながら、目の前の光景をぼーっと見つめていた。


 玉座に座るのは、私のお父様__ではなく、隣国であるマシェアスの王太子、ライオネル・ドゥ・マシェアス。


 とても気まぐれであり、同時に加虐的な性格であることも有名だ。


 そして、彼の目の前でぺたりと座り込んでいるのは、第一、第二王女であるお姉様たちと、第三王子であるお兄様。


 お姉様とお兄様の近くには、お父様とお母様、第一第二王子のお兄様たちが赤に染まって倒れている。


 この国の頂点であるお父様が地に顔をつけている時点で、バストリオンは敗戦国になったということだろう。


「うーん。女の子にはあんまり興味ないけど、怖がってるのが一番素敵な瞬間だねぇ。」


「ひぃっ!!」


 ライオネルは、サーモンピンクの髪を揺らし、不気味な笑みを浮かべながらまるで玩具を手に入れた子供のように楽しそうにしている。


 お姉様たちはガタガタと震えていて、今にも失神しそうなほどであった。


「だから先に……名前忘れたけど、お前からだね。」


「ギャア!!!!」


 第三王子のお兄様は、とうとう血塗れの剣で胸元を深く切り裂かれてしまった。


「うわ、汚い。」


 頬に付着したお兄様の血液を拭いながら、ライオネルは心底嫌そうに倒れたお兄様のことを蹴飛ばした。


「あー、なんか飽きたかも。そこの女の子二人は地下牢ね。」


「承知しました。」


 部下の男たちが、お姉様たちを荒々しく掴んで、引きずるようにどこかへ連れて行く。


「いやあ!!私はバストリオンの王女ですのよ!!」


「何をするのです!無礼者っ、無礼者!!」


 金切り声をあげて必死に抵抗していたお姉様たちだったが、男に女が勝てるわけがなく、あっけなく連れて行かれてしまった。


 この場に残ったのは、ライオネルと私だけ。


「最後は君だね、確か……幽霊王女だっけ?」


「……はい、私が幽霊王女です。」


(ああ__このままでは本当に幽霊になってしまう。)


 この場で首を刎ねられるか、捕虜として連行されて酷い目にあって終わるかの二択になるだろう。


 目を閉じて、私という存在の記憶を一つ一つ辿っていく。


『いつも辛気臭い顔をして……全く、少しは笑ってみたらどうなのかしら?』


 お姉様たちに、何回も笑えと言われた。


 自分なりに頑張って笑ってみたら、お姉様たちは気味が悪いと私を嘲笑った。


 だから、いつも無表情でいることを心がけた。


『自室にこもってばかりだな、少しはバストリオンに貢献したらどうだ?』


 能無しだから何もできない、卑屈で可哀想なサーリャ。


 私はお兄様たちに常に見下されていた。


『王族は金色の髪をしているのに、幽霊王女だけは銀髪だ。』

『きっと、不幸をもたらすのよ。』

『妾の子なんだよ、そうじゃないとあんなの生まれない。』


 貴族はおろか、平民にまで馬鹿にされて、それが嫌で自室にこもった。


 幻聴に悩まされて、シーツで全身を包んで隠れていたのが、今では少し懐かしく感じる。


 いっそ、このまま幽霊になって、天国で自由に暮らす方がいいのかもしれない。


 神様なら、きっと私を救ってくれる。


「面白いね、王族なのに銀髪だなんて。」


 ライオネルの言葉で、ハッと我に返る。


 甘く垂れた目尻がゆがめられている、私を嘲笑うように。


 やっぱり、誰も変わらない。


 私は、そもそも生まれてこない方がよかったのかもしれないとさえ思う。


 お願いだから早く、早く私を解放して。


 私は今まで出したことがないような、大きな声でこう言った。


「このまま私を殺めてください……!」


「え、何で?」


 しかし、帰ってきたのはライオネルの疑問だった。


「何で殺さないといけないの?せっかく面白いものを見つけたのに。」


「面白い、もの……?」


 私のことを面白いと言ったライオネルは、不思議そうに首をかしげていた。


「だって、王族じゃなくても銀髪の人間なんて中々いないし。欲しくなっちゃった。」


 欲しくなった、という言葉に冷や汗を流す。


 この人は、私のことをそう簡単には殺してくれない。


 顔を上げると、薄い青緑色の瞳と目が合った。 


「君は、僕の専属メイドにしてあげる。」


「専属、メイド……」


 目の前が真っ暗になっていき、頭を鈍器で殴られたような痛みが私を襲い、無意識に下を向いた。


 絶望、この言葉が今の私に一番似合う言葉だろう。


 震える手を抑えながら、私は必死に考えを巡らせる。


 彼の提案を断って、尊厳を破壊するような乱暴なことはされたくない。


 かといって、全力で懇願しても殺してはくれないだろう。


 同情を誘っても、きっとライオネルの感情は微動だにしない。


「あ、絶望してるね、殺してほしかった?残念。」


 ライオネルは私の方へと近づいて、この場に似合わないくらいの笑顔を見せた。


「でも安心して?僕が飽きたら殺してあげるからさ。」


 今の私は、蛇に誘われて禁断の果実を口にしたアダムとイヴのよう。


 甘い声で囁かれたら、もう戻ることはできなかった。


「……ご主人様、今日からよろしくお願いいたします。」


「うん、よろしくね。じゃあ帰ろっか。」


 こうして、敗戦国の元幽霊王女は、気まぐれな王太子殿下の専属メイドとなった。




 ◇◇◇




「はい、ここが君の部屋。」


 馬車に揺られて数時間ほど経っただろうか。


 隣国であるマシェアスの宮殿に到着して、早速部屋へと案内された。


 こじんまりとした、一人用のベッドと小さな机しか置いていない部屋。


 ベッドの上には制服が綺麗に畳まれていた。


「着替えたら外に出てきて、待ってるから。」


「は、はい。」


 畳まれていた服を広げてみてから、着ていた服を脱いでいく。


 王女なので勿論ドレスを着ていたが、メイドは手伝ってくれなかった。


 そのため、私のコルセットは紐が前側になっている。


(でも、それも今日でおしまい。)


 制服に袖を通して、エプロンを付け、最後に髪をまとめた。


「ご主人様、着替えが終わりました。」


「うんうん、思ったより似合ってる。それじゃあ他の専属メイドに会いに行こうか。」


「その必要はございません。」


 殿下ライオネルの後ろからメイドが一人出てきて、私と殿下の間に立った。


「コーネ。さすが、もう嗅ぎつけたの?」


「はい、よそ者の気配を感じましたので。」


 コーネ、と呼ばれたメイドは、そう言うと私のことを鋭く睨んだ。


「よそ者じゃないよ、今日から君の妹分になるの。」


 殿下は私に目配せをして、挨拶をしろと合図をした。


 深く頭を下げながら、コーネに挨拶をする。


「あ……えっと、サーリャと申します。」


「……サーリャですね、私はコーネです。」


 少しの沈黙のあと、殿下は満足そうに歩き始めた。


「よし、じゃあ後は任せるから。またね。」


 残された私は、仕事の内容を教えてもらおうとして、口を開きかけた。


 しかし、先に話を始めたのはコーネの方だった。


「……貴女、幽霊王女でしょう?」


「えっ、あの……」


 いきなり幽霊王女と言われて、戸惑うことしかできなかった。


 人とあまり接したことがないので、どう返せばよいのかもわからない。


「……言っておくけど、幽霊王女なんかにやらせる仕事はないから。さっさとどこかに行ってくれる?」


「そ、そんな……でも、ご主人様が……」


 殿下の名前を出すと、コーネは動揺するどころかふんぞり返って勝ち誇ったような笑みを見せた。


「あのね、ライオネル様の一番のお気に入りは私なの。貴女みたいな虫が近づける隙はない。幽霊王女なんだから、墓場でも彷徨ったらいいわ。」


 吐き捨てるようにそう言ったコーネは、振り返りもせずにどこかへ行ってしまった。


(どうしよう……)


 仕事をしようにも、内容がわからないと何もできない。


 困り果てて硬直していると、向こうから見覚えのあるサーモンピンクの髪の毛が。


「おーい。」


「ご主人様……」


 まるで悪魔だと思っていた相手が、今はこんなに神々しく見えるなんて。 


 知っている人に会えて(危険人物だけど)一安心した私の様子を見た殿下は、首をかしげつつもこう聞いてきた。

 

「さっきは忘れてたんだけどさ、欲しいものはない?」


「欲しいもの、ですか?」


「うん、新しい専属メイドには、欲しいものを一つあげてる。」


 話を聞いてみると、欲しいものをプレゼントして願いを叶えてやることで、自分を裏切れないようにしているそうだ。


 殿下のお気に入りだけが、専属メイドを語れるらしい。


(……出会ってすぐにお気に入りにされたのね、私。)


 嬉しいような嬉しくないような……そんな複雑な気持ちになったが、今後裏切る予定もないのでおとなしく欲しいものを言うことにした。


「……私は、絵が描きたいです。」


「ふーん、幽霊王女でもいい趣味を持ってるんだ。」


 まるで『幽霊王女には、珍しい銀髪とバストリオンの王族だけしか取り柄がないと思っていた』と言っているように聞こえてきた。


 趣味である絵は、部屋にこもって時間を忘れ、ひたすらに描いていた。


 あの幽霊王女が趣味を持っている、なんて噂は立たなかったのだろう。


「じゃあ、特別に画材一式を用意してあげるよ。」


「え、でも欲しいものは一つだと……」


 殿下は朗らかに笑いながら近づいてきて、私の耳元でこう言った。


「僕は絵画鑑賞が好きだから、今度描いているところを見せてよ。ただし、僕が満足しなかったら……

 給金から画材の代金を差し引く。」


「……私、お給金がもらえるんですか?」


「え、当たり前でしょ。」


「てっきり、もらえないのかと思っていました……」


 私は敗戦国の奴隷に近い立場である上、専属メイドとは『コレクション』という意味だと捉えていたから、しっかりお給金が出るとは思っていなかった。


「っふ、あはは!」


「な、何故笑うのですか?」


「僕は脅したつもりなのに、君は全く気にしてないから。あー面白い。」


 脅しとは、満足しなかったらお給金から差し引く、と言っていた部分だろうか。


 確かに、お給金が暫くの間差し引かれ続けていたら、自力で画材を買えなくなってしまう。


(脅されていたのに全く気づかなかった……不覚!)


「よし、一週間後の慣れてきたころくらいには渡せると思うよ。」


「本当ですか!ありがとうございます!!」


「あは、元気になった。じゃあまたね。」


 殿下は私に手を振って、歩いて行ってしまった。


 暫くの間、絵が描けるという事実に胸を躍らせていたのだが、とあることを思い出してしまった。


(……あ!!メイドの業務について聞いてないわ!!)


「ご、ご主人様……!」


 慌てて後を追いかけるも、姿はどこにも見えなかった。


 色々な場所を探して、迷子になって……


 第二宮殿への外廊下でようやく見つけることができて、なんとかメイドの業務を開始することができた。


◇◇◇



「んー、朝……」


 昨日たくさん働いたからなのか、まだ眠気が残っている。


 掃除、洗濯物の取り込み作業、それからお茶を用意して、ティーカップに注ぐ。


 お茶を注ぐのは王女時代もやっていたから簡単だった。


 けれど、掃除や洗濯はやったことがなかったので、とても新鮮で面白かった。


 仕事をこなしていると、一週間とは早いもので、今日が画材をもらえる日である。


 昨日もらったパンを口に放り込み、鼻歌を歌いながらゆっくりと制服に着替える。


 制服を着終わったところで、トントンと部屋の扉がノックされた。


 待たせるのも悪いので、髪の毛を整えずに扉を開ける。


「おはよう……っふ。」


 殿下の目線は私の頭にあって、何かおかしなものがついているのかと心配になった。


 だが、私が頭を確認するよりも先に、殿下が声を震わせながらこう言った。


「寝癖、すごいね……」 


 そう言われてすぐ、私は勢いよく髪の毛を押さえた。


「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか……」


「だって、すごくぴょこぴょこ毛が……はは……!!」


(は、恥ずかしい……いつもはあまり寝癖がつかないのに、何故今日に限って……!!)


「あの……もしかして……!」


「ああ、画材を渡そうと思って。」


 殿下は一歩横に移動した。


 先ほどまで殿下の背に隠されていたのは、真っ白のキャンバスに、絵の具と筆、鉛筆の一式だった。


「わぁ……」


「というわけで、早速描いていいよ。

今日の君の業務は、絵を描くことね。」


「ありがとうございます、大切に使います!」


 殿下は私の顔を見て、何故か目を見開いていた。


「……君って、笑えたんだね。」


「へ……笑っていましたか?」


「うん、笑ってたよ。」


「……も、申し訳ございません。」


 きっと気味の悪い笑顔を見せてしまった、私は笑顔が下手だから。


 怒られてしまう、気味が悪いとまた"あの目私を蔑む目"で見られてしまう。


「何で謝るの?」


 殿下は不思議そうにしながらそう聞いた。


 私は顔を見せたくなくて、俯きながら返事をした。


「私の笑顔は誰かを嫌な気持ちにさせてしまうから……」


「へえ、でも僕は好きだよ?君の笑顔。」


 その言葉に、私は顔をあげる。


 殿下は目尻を下げてほほ笑んでいた。


(誰かに、笑顔を好きだと言われる日がくるなんて。)


 目元がやけに熱く感じて、胸のあたりがじわじわと痛む。


「ねえ、早く絵を描いてほしいんだけど。」


「あっ……はい、申し訳ございません。」


 殿下は気まぐれだ、今の言葉はやはり本心ではなかったのだろう。


 気を取り直して画材たちを部屋へと運び、キャンバスをイーゼルにセットして、パレットを机代わりの椅子に置いた。


「ね、なんの絵を描くの?やっぱり人?」


「いいえ、私が普段描くのは花です。」


「花かぁ、いいね。」


「はい、今日は……アイリスの花を描こうと思います。」


 私は鉛筆を持ち、さらさらと薄くキャンバスへ下描きをする。


「何でアイリスの花を?」


「花言葉がとても素敵だからです。」


「花言葉?」


 私は殿下に、アイリスの花言葉について語る。


「アイリスの花言葉は『希望』です。

 山の中でも綺麗に花を咲かせるので、虹のように希望を与える花なんです。」


「へえ、それで選んだんだ。」


 殿下は納得したように頷いて、私の手元に集中した。


 下描きも終わったので、紫色の絵の具をパレットに出して、筆に色をのせてキャンバスへ塗っていく。


 筆でキャンバスをなぞる音だけが部屋に響いて、殿下はそれをずっと見つめている。


(なんだか、気まずくなってきてしまった……)


 沈黙を破ろうと、私は話題を必死に探す。


 しかし、社会経験も乏しく、人と話すことも苦手な私には、自分のことを語ることしかできなかった。


「……私が、幽霊王女と呼ばれていたことは知っていますよね?」


「うん、こんなに幽霊みたいだとは思わなかったけど。表情もあまり変わらないし。」


「私、変わりたいんです。アイリスの花のように、この世を生きる人たちの中で、誰かに希望を与えられる存在になりたい。その希望が小さくてもいいから、誰かに笑顔になってほしいんです。」


「……そうなんだ。」


「はい、いつもこの気持ちを込めて絵を描いています。」


 殿下は皮肉を言うと思った。


『君にはできない』だとか、『それができていたら幽霊なんて呼ばれてない』と言われると覚悟していたのだ。


 しかし、殿下は無言で私の絵を見ている。


(な、なんだかさらに気まずくなってない……?)


 気まずさを紛らわすために、手を忙しなく動かしていると、突然殿下が口を開いた。


「君、名前なんだっけ。」


「えっ……サーリャです。」


「サーリャ……素敵な絵だね、気に入った。」


 一瞬、なんて言ったのか理解できなかった。


 しかし、咀嚼するように何度も言葉を頭で唱えると、だんだんと理解が追いついてきた。


「気に入ってくださったのですか……?」


「うん、これからも精進してね。」


「は、はい!」


 殿下はそっけなく顔をそらして、踵を返して部屋から去っていった。     


 残された私は、胸の高鳴りに困惑していた。


(初めて、私の絵を誰かに認められた……!)


 目頭が熱くなって、スカートにポツポツとシミができていく。


 泣いているのだと気づくのに時間がかかったが、何故か嫌ではなかった。


 今までは悲しくて、苦しくて、何度泣いたのか覚えていないが、この涙は違う。


 嬉しくて、あたたかくて、とても素敵な涙だと私は思う。


 そしてすぐに、またキャンバスへ筆を走らせる。


 誰かを素敵な気持ちにするために、私はこれからも描き続けようと、神様と……私の絵を気に入ってくれた殿下に誓った。



◆◆◆


 

 サーリャの部屋から出て、僕は無我夢中で走る。 

 

 僕は、他人なんて気にしないで生きてきた。


 王太子という地位に媚びる貴族、皇族になりたくてすり寄ってくる令嬢、僕を世話するメイドに、僕の顔はたまにしか見ることのできないような平民。 


 貴族には無茶な命令を出し、困り果てて慌てる様子を見て楽しんだ。


 すり寄ってくる令嬢を、慰み者にしたことだってあった。


 だが、何も感じない、とにかく全てが面白くない。


 だから、誰が何をしようと関係ない。


 たとえ命の灯火が消えようと、僕には全て関係のないことなのだ。

 

 いつしか僕は『気まぐれで残酷な王太子』と呼ばれるようになり、より一層人が近寄らなくなった。


 退屈で仕方がなくて、少しでも面白いと思った人を部下や使用人にして、飽きたら捨てる。


 そんな日々を過ごしていた僕は、バストリオンを侵略した。


 理由は簡単、あちらから攻撃を仕掛けてきて、街を一つ滅ぼしたから反撃した。


 そこで見つけたのが、サーリャだった。


 以前から噂は聞いていた、愛想が悪く社交の場にもあまり出ない、幽霊のような王女がいると。


 サーリャは家族が殺されても、どこか上の空だった。


 長い銀色の髪の毛を垂らして、廃人のようにうなだれていた。


 顔をみた時、まるでこの世の何もかもに色がついていないような、鳥籠の中に閉じ込められた小鳥のような、そんな雰囲気を感じてしまった。


 サーリャは無表情で、全てを諦めたような表情だった。


 それが、酷く綺麗に見えてしまったのだ。


 僕と同じ、この世界で生きていても何も感じていないような、何も映さないような瞳に、僕は希望を持った。


 同じ思いをしている人間なら、僕を楽しませてくれるのではないか。


 そう思って、珍しい髪の毛を褒めたつもりだったが、サーリャは傷ついた顔をした気がした。


 僕は、人の褒め方がわからない。


 教えてもらったこともないし、褒めることを求められたこともなかった。


 殺してほしいと言われた時も、客観的にしか見ることができなかったし、専属メイドにすることしかサーリャを観察する方法がないと思った。


 サーリャを連れて帰ることには成功したが、やはり無表情のまま。


 サーリャを動かすものは何もないと思っていたが、彼女は絵を描くことが好きだと言った。


 僕も絵を見るのは好きだ、その人の特徴が出るから、見ていて面白い。


 サーリャを手に入れて機嫌がよかったので、画材一式を与えてやった。


 すると、彼女はやっと笑ったのだ。


 特定の条件でしか感情を見せない、彼女はまるで月下美人だ。


 そして、絵で誰かを笑顔にさせたいという夢を持つ。


 その美しさは、他の者に希望を与えるだろう。


 色々考えている内に、いつの間にか庭園までたどり着いていた。


 小さい頃によく乗ったブランコに座り、こんなに動揺しているのは何故なのか考える。


 これは、この感情は、憧れなのではないか。


 日々面白いことを探して彷徨っていた僕よりも、サーリャの方が辛い思いをしたのではないか。


 そんな経験があるにも関わらず、他人を笑顔にしたいと願える芯の強さ。


 そして、好きなことがあって、それに全力で感情を出せること。


 それに、どうしようもなく羨望してしまっている。


 そう考えると、なんだか腑に落ちた気がした。


(僕の本当に好きなことって、なんだろう。)


 人をいたぶること?絵を鑑賞すること?それとも、女の子と遊ぶこと?


 自分の選んできた行動は、どれも退屈さをしのぐためのものだった。


 だから、本当に好きなことは、僕にはわからないのである。


 憧れの対象であるサーリャに聞けば、何かわかるだろうか。


 出会って間もない関係だが、彼女なら核心をつく言葉をくれるはずだ。


「……サーリャ・ド・バストリオン。」


 幽霊王女である彼女は、僕には誰よりも輝いて見えた。



◆◆◆



 専属メイドとして、マシェアスで働き始めてから数週間もの時が経った。


 殿下に認められたあの日から、どんなに業務で疲れていても絵を描き続けている。


 メイドになってから、私の毎日は充実している。


 ……と、思っていた時期があった。


 確かに、趣味は充実しているが、業務の方に問題があった。


 私が洗濯をすると、必ず服やシーツがぐちゃぐちゃにされる。


 城内の掃除をすれば、綺麗にしたところが水浸しになっている。


 私の食事には、虫が入っていたこともあった。


 これは、きっと私を気に食わなかった専属メイドたちの仕業だろう。


 専属メイドはコーネを筆頭に、ハノン、テティの三人である。


 コーネが権力を持っているので、専属メイドの下っ端である私にはどうすることもできない問題だった。


 だが、あいにく私はこういう嫌がらせには慣れている。


 何故ならば、王女だった時にメイドに嫌がらせを受けたり、お姉様たちに私物を盗まれたり、ドレスを破かれたりしていたからだ。


 何も気にすることはない、絵が描けているだけで十分なのだから。


 今日の業務は終了したので、キャンバスに向かって何を描くか考える。


(今日は……久しぶりに動物を描いてみようかしら。)


 そう決めた私は、早速頭の中に数匹動物を思い浮かべる。


 小さくてふわふわの兎、優しい眼差しの馬、人懐っこそうな犬……


 何かが違う、これらの動物は今描きたいものではない、そんな気がして考えるのをやめた。


 こういう時は、キャンバスに直感で線を描く。


 自由に描かれた線から動物の姿を想像をするのだ。


(……やっぱり、思い出してしまう。)


 殿下は、あれからも少しずつではあるが、私の絵を観に来ていた。


 しかし、ここ一週間は全く来ていないのだ。


 思えば、初めて絵を見せた日から、何か言いたげな様子を見せていた気がする。


 どうして来ないのだろうか、私の絵に飽きてしまった……なら、はっきりと言うだろう。


(なら、どうして?)


「わ、芯が折れてしまったわ。」


 考え事をしながら描くのはやはりよくない、鉛筆の芯が折れて地面に転がっていった。


 芯を拾って机に置き、鉛筆を削ってからキャンバスに再び向き合った。


(あ……ライオン。)


 自由に引かれた線は、ライオンが丘の上で吠えているように見えた。


 ライオンは描いたことがなかったので、この機会に挑戦してみるのも良いだろう。


 鉛筆を置き、筆を持って絵の具を準備する。


(素敵なライオンを描いてみせるわ!)


 キャンバスへ絵の具をつけた筆を走らせようとしたその瞬間、部屋の扉がノックされて阻止されてしまった。


「サーリャ、いる?」


「……ご主人様。」


 手に持っていた画材パレットと筆を置いて扉を開けると、そこには殿下が立っていた。


「こうしてここに来られるのはお久しぶりですね。」


「……そうだね、久しぶり。」


「椅子を用意します、こちらへどうぞ。」


 私は椅子を私が座っていた椅子の隣に置いて、殿下に座るように促した。


 殿下が座ったのを見て、私もキャンバスの前に座る。


 先ほど置いた画材を再び持って、今度こそキャンバスへ描き始める。


「……最近はご多忙だったのですか?」


「そういうわけじゃない、けど。」


 キャンバスと向き合っているため表情は見ていないが、どこか歯切れの悪い返事が返ってきた。


 そんな中、私はとある仮説を立てていた。


(気まぐれな殿下に春が来たのかも……?)


 そう、恋人ができたのかもしれないということ。

 

 恋人ができたなら私の絵を観に来る回数も減るだろうし、恋人に振り回されているなら元気がなさそうなのも頷ける。


 だが、身分差もあるので直接聞くのは失礼になってしまうかもしれない。


 そこで、殿下はこんなことを言った。


「……サーリャ、聞きたいことがあるんだ。」


 女性の扱い方を知りたいのだろうか、それともプレゼントに困っているのだろうか。


 娯楽小説で恋愛はたくさん勉強したので、私は恋に関しては知識がある。


 何にせよ、殿下の専属メイドとして協力できることは全力でやり遂げたいと思う。


(恋をする人間は、世界で一番素敵なんだもの!)


「殿下、女性と出かける時は必ずエスコートしてくださいね。それから、プレゼントはよほど変なものでなければ女性は喜びます。あとは__」


「ちょ、ちょっと待って、何の話をしてるの?」


「へ?殿下の恋人の話を……」


「恋人!?僕にはそんな相手なんかいない!」


 立ち上がってまで全力で否定する殿下は、少し怒ったような顔をしていた。


 私は、不敬罪で処罰されてしまうのだろうか。


「も、申し訳ございません、私の早とちりでした。」


「……今回は許そう。」


 殿下は座り直して、一度咳払いをしてから本題に入る。


「その……好きなものとは、どうやって探せばいい?」


「好きなもの、ですか?」


 殿下らしくない、そんな質問を投げかけられた私は戸惑った。


 殿下の顔を見ると、深刻そうな顔をしている。


 だが、これは簡単なことだと私は思った。


「殿下、好きなものは探すのではなく、感覚でわかるものだと私は思います。胸があたたかくなって、ぽかぽかして……そんな素敵な気持ちになれるのが好きなものなんです。」


「だが……僕にはわからないんだ。」


「……殿下、深く考えなくていいんです。自分が好きだと思えるもの、人、生き物。それらと運命的な出会いがあるはずなんです。」


「運命的な、出会い……」


「現に、私は殿下に出会って、こんなに素晴らしい生活をさせてもらえています。私はここに来てから毎日が楽しくて仕方がありません。」


 言語化するのが難しいが、私なりの言葉で好きとは何か語ってみた。


 殿下はまだ難しそうな顔をしていたので、最後に一言添えた。


「些細なことでもいいんですよ、少しずつでもいいんです。『好き』は色々な形で、殿下が見つけてくださるのを待っていますから。」


 殿下は目を見開いてから、すぐに俯いてしまった。


(私なりにしっかり伝えたつもりだったけど……)


 暫くの間、無言の空間が続いた。


 部屋に響くのは、キャンバスに筆を走らせたり、パレットに絵の具を出したり、そんな画材の音だけだった。


「サーリャ。僕、ちょっと考えてくる。」


「……はい。」


「助言をくれてありがとう。」


 そう言い残して、殿下は部屋から去っていった。


 殿下から、ありがとうなんて言われたことがなかった。


 それに、いつもより儚げな表情で、私の目を見てそう言ったのだ。


(……ん?)


 この胸の高鳴りは何なのだろうか。


 それに、頬に熱を感じる。


 原因を探ろうとしても、思い浮かぶのは殿下のあの顔ばかり。


 儚げな雰囲気だったが、何より私に笑いかけていた。


 それも、誰かに危害を加える時の笑顔ではなく、優しげで、まっすぐで……


 まるで、愛おしいものでも見るかのような__


(やだ、私ったら何を考えているの……?)


 そんなことあるはずがない、きっと……絶対私の気の所為である。


 疲れているのだろうか、絵を描いたら少し仮眠をとるのがいいのかもしれない。


 頬の熱に気づかないふりをして、私は絵を描くのを再開した。


◇◇◇


「……えっ、もう朝!?」


 少し休んでから絵を描くのを再開しようと思った。


 のはいいが、仮眠どころか深く睡眠してしまっていたようだ。


(完成させたかったのに……)

 

 小鳥の元気なさえずりと淡く差し込む朝日が、私の後悔の念を強めた。


 しかし、悔やんでいても何も始まらない。


 私は今日の業務を開始するために、制服に着替えて髪を整え、鏡の前に立った。


(……うん、今日もいつも通りできたわ。)


 部屋を出て、まずは殿下に食事を持って行かなければならない。


 専属メイドが当番制で運んでおり、今日は私の番である。


 昨日は少し様子がおかしかったのだが、今日の殿下はいつも通りに戻っているのだろうか。


『助言をくれてありがとう。』


 あの笑顔を思い出しては、胸の鼓動が早くなっていく。


 私は、どうかしてしまったのだろうか。


(まさか私、殿下のことが好きなの……?)


 確かに、人と接する機会も少なかった私は、少し優しくされたら簡単に惚れてしまうのかもしれない。


 だが、よりにもよって主人であり、気まぐれなあの殿下に恋をしてしまったのだ……おそらく。


 実る恋ではないことは確実だろう、それでも私の勘違いでは済まないほどに心を掴まれてしまっている。


 そもそも、惚れる要素が多いことも問題だと思う。


 容姿端麗で、剣を握れば勝るものはない。


 王太子であり、当然博識であり、絵画鑑賞が好きで。


 私の絵を、初めて褒めてくれた人。


(あ、食事を運ばないと!!)


 恋に悩んでいる場合ではない。


 私は今、殿下の専属メイドなのだから。


 この気持ちには鍵をかけて、仕事を完遂しなければ。


 廊下に立ち止まっていたが、ようやく私の足は厨房に向かって歩き出した。


 暫く歩いていくと、今日も料理のいい香りがしてきた。


「おはようございます、殿下のお食事を取りに来ました。」


「ああ、今から仕上げをするから少しだけ待っていてくれ。」


 厨房の奥にいた料理人がそう言うと、オーブンからパンとスコーンを取り出した。


 ジャムを小さなお皿にたっぷり入れて、パンとスコーンをカゴに置いていく。


 そして、お鍋からスープを掬って盛り付けていた。


「はい、これを持っていってくれ。」


「ありがとうございます。」


 少しの間厨房の外で待っていると、料理を台車に乗せて料理人が運んできた。


 私は台車を受け取って、殿下の部屋へと急ぎ足で向かう。


 料理は冷めないうちに食べたほうが、何倍も美味しく感じるものだ。


 それに、洗濯と掃除、浴場の準備、その他にもしなければならないことがたくさんある。


 他の専属メイドたちが私に仕事を押し付けてくるようになり始めたので、ゆっくり移動すると時間がもったいないのだ。


「殿下、お食事を持ってまいりました。」


「ああ、入っていいよ。」


 扉を開けてから、台車と共に入室する。


 しかし、殿下の顔を見て私は大きな声をあげてしまった。


「で、殿下……!?その隈はどうされたのですか?」


「あ……昨日はあまり寝られなかったんだ。」


 殿下は少し気だるげにそう言った。


 私は食事を並べ終わると、いつもより弱々しい殿下を見て眉を下げた。


「殿下、もしかして昨日私が無礼を……?」


「いや、そうじゃなくて……」


 殿下は私から目をそらして、どこか気まずそうにしている。


 まるで、親に隠し事をする子供のように、罪悪感があるような、そんな横顔をしていた。


「……好きなものについて考えてたら、気づいたんだ。」


 その言葉に、私は顔を明るくさせた。


「もしかして、好きなものが見つかったのですか?」


「……そう、なんだと思う。」


 その『好きなもの』について考えていると、心が安らいで心地よい。


 それを見ていると、自然と笑顔になってしまう。


 殿下はそう言って、顔を綻ばせていた。


 探し求めていたものを見つけることができた殿下を見ていると、私まで嬉しくなってしまう。


「あ、引き止めてごめんよ。まだ仕事があるよね。」


「いえ、殿下の好きなものが見つかって、大変喜ばしいです!では、失礼しますね。」


 私はほほ笑みながら殿下を祝福して、次の業務に移るために部屋を出た。


 ◇◇◇


 今日の業務も散々だった。


 洗濯物は泥だらけ、掃除をしたところには汚水、浴場は泡にまみれていた。


 他にも数え切れないほどの嫌がらせがあった。


 さすがに疲弊してしまい、ゆっくりと自室へ戻っていた。


 しかし、自室が目前となった時、気づいてしまった。


 鍵を閉めたはずの扉が、開いているのだ。


(閉め忘れはしてないと思うんだけど……)


 不思議に思った私は、そっと扉から自室の様子を伺ってみた。


 __目に入ったのは、ぐちゃぐちゃに絵の具がつけられた、私が描いていたライオンの絵だった。


 そして、その横には、誇らしげに手袋を外しているコーネの姿があった。


「な……なんてことを……」


「ん?あら、幽霊王女のサーリャじゃないの。」


 コーネはこちらに気づくと、何故か手袋をはめなおしていた。


「絵が好きだなんてね、イイ趣味してるじゃない。」


「私が気に入らないからって……そんな……」


「ふふ、こんなくだらない絵なんかこの世に存在しないほうがいいのよ。」


 コーネはおもむろに絵の具を取り出して、中身を絞り出した。


 それを手袋の上に乗せると、私の絵に向かって勢いよく平手打ちしたのだ。


「いや……やめて……!!」


「ちょっと!私に触らないでくれる!?」


 私は部屋に駆け込んでコーネの腕にしがみつき、必死に止めようとした。


 努力虚しく振り払われてしまい、私は突き飛ばされて地面に倒れ込む。


 抗議することもできず、私の生きる意味まで汚されて、こうして何もできずにされるがまま。


 私は__なんて惨めなのだろうか。


 あの日、敗戦国の王女となった瞬間のように、全てを諦めかけていたその瞬間のことだった。


 ふわり、私は何かに包まれた。


 上を向くと、サーモンピンクの髪の毛と、翡翠のような双眸が私を捉えていた。


「サーリャ、よく頑張ったね。」


「王太子、殿下……?」


「安心して、"処分"するのは得意だから。」


 ああ、涙が流れて止まってくれない。


 奥の絵の横に佇むコーネは、恐怖に満ちた顔をして小刻みに震えていた。


「さて、君は重罪を犯してしまったね。」


「そ、そんな、だって……」


「ん?言い訳があるなら聞いてあげるよ。」


 コーネは瞳を揺らしながら、まるで自分が被害者だとでも言うように殿下に訴え始める。


「ライオネル様、この女は幽霊王女でございます!

 引きこもってばかりで、人とも会おうとしない!さらに、バストリオンの王族であったのに、銀色の髪の毛をしているんですよ!?」


「そうだね。」


「この女は部屋に男を連れ込んでいた毒婦だと噂されておりました!こんな性悪毒婦女なんて、死んでしまえばいいのです!

 ライオネル様に仕えていいのは、私だけなのです!

 だから、この女が生み出したものも、この世には必要な__」


 肩を上下させながら本心を晒したコーネは、殿下の顔を見るなり言葉を失ったようだ。


 私からは殿下の顔は見えないが、怒っているような雰囲気を感じてしまい、ぶるりと背筋が震えた。


「……言いたいことはそれだけ?」


「ら、ライオネル様……どうして、どうしてそのような表情をされるのですか……?」


「あっそう、わからないんだ。なら、僕が怒っている理由を言っても理解できないだろうね。」


 殿下はコーネに近づき、首を掴んでコーネの体を浮かせていく。


「が……ひゅっ……!」


 __このままでは、コーネが殺されてしまう。


 そう感じた瞬間、うまく呼吸ができなくなった。


「……サーリャ?サーリャ!!」


 私の異常な呼吸音に気づいたのか、殿下はコーネを離して私に駆け寄ってくる。


「息を吐くんだ、吐いて!」


 話すことも息を吐くことも難しく、ただその場にうずくまる。


 すると、殿下は私の顔を両手で包み込む。


 それに驚いた私が顔を上げると、唇に柔らかいものが触れた。


「ッん……!!」


 殿下は、私にキスをしていた。


 呼吸を安定させるためだけに、キスをしたのだ。


「……落ち着いて。嫌かもしれないけど、我慢して。」


「ふ……ふぅっ……」


 唇を塞がれて、空気を吸うことのないように制御されている。


 暫く人工呼吸キスを続けていると、ようやく私の呼吸が落ち着いてきた。


「……ぷはっ!」


 殿下は私の容態が安定したことを確認してから、咳き込んでいるコーネの方へ向き直した。


 そんな殿下の背中に、私は限界まで大きな声を出して制止した。


「やめて……人が死ぬのはもう見たくないです!!」


 私の上擦った声を聞いた殿下は、ピタリと固まってその場に立ち尽くしてしまった。


「……よかったね、サーリャは君の女神様になってくれたよ。」


「はっ……はっ……嫌よ、サーリャが女神だなんて……!」


 コーネがそう言った瞬間、殿下はコーネの頬を片手で掴み、何かを小声で話しているようだった。


 私には何も聞こえない、殿下がどんな顔をしているのかもわからなかった。


 コーネは何かを言われたあと、力なくうなだれて無抵抗になった。


 そんなコーネの両腕を持って、引きずるようにして殿下はどこかへ連れて行こうとしている。


「で、殿下……」


「ん?大丈夫、殺さないから。」


「そうではなく……あの、ありがとうございます。」


 返事をするかのように太陽のような笑みを私に向けて、コーネを引きずりながら部屋を出ていってしまった。


 私はひどい状態の絵の方を向く。


 絵の具が混じって、キャンバスが変な色になってしまった。


 元々描いていたライオンは、見る影もなくなっている。


(……やっぱり、悲しい。)


 一つ一つに思いを込めている私の絵を、誰かに汚されるなんて思いもしなかった。


 私は、殿下と皇室騎士団の人たちが来るまでの間、絵を前にしてただ泣くことしかできなかった。



◇◇◇



 その後のこと、コーネとハノン、それからテティの三人は、私への嫌がらせが発覚すると地下牢へ閉じ込められたらしい。


 専属メイドは私一人になってしまった。


 といっても、普通のメイドとやることはほぼ変わらないので、人数が減ってもあまり影響はない。


 だが、変わったことが一つだけある。


 それは、殿下がそっけなくなってしまったこと。


 食事を運んでも、廊下でばったり会っても、絵を描くところを観に来ても、なんだか態度が冷たく感じてしまうのだ。


 __私に飽きてしまったのだろうか。


 ここ最近、私の頭の中はそんな考えばかりになってきまっていた。


 しかし、今日は違う。


 湯浴みを済ませたあと、部屋に来てほしいと殿下は仰ったのである。


(これは……金をやるから出ていけってことよね……)


 そう解釈した私は、絶望しながら仕事に勤しんだ。


 絵が今のように自由に描けなくなってしまう。


 お給金もそこそこあるため、ここで一生働くのも悪くないと思っていた。


 私は面白くない人間であるし、取り柄も絵を描くことしかない。


 そんな人間だから、簡単に飽きられてしまうのだろうか。


 仕事をいつもより少しだけ早く終わらせてから、大浴場で湯浴みをする。


 お湯に浸かりながら、今後のことを考えてみる。


 専属メイドとして働いてきた一ヶ月ほどの期間、辛かったのは絵を汚された時だけだった。


 それほどに、メイドとして生きるのは楽しかった。


 殿下に拾われて、人生で初めての恋をした。


 いい経験ができたということで、素直に引くべきだろう。


 ここにいたいと駄々をこねても、殿下の逆鱗に触れてしまうかもしれない。


 潔く、次の仕事と住処を探そう。


 小さな家でいい、絵が描けるならばどこだっていい。


 私らしく生きられる場所を、見つけたい。


「……う、のぼせたかもしれない。」


 考えすぎたのか、それとものぼせたのか、頭がじわじわと痛くなってきたので、お湯から出て脱衣所へ戻った。


 体を拭いて髪の毛をまとめ、ネグリジェ寝間着を着てから殿下の部屋へと向かった。


「殿下、サーリャです。」


 軽くノックすると、殿下が扉を開けて部屋の中へ入れてくれた。


 私はベッドの縁に座らされて、殿下は私の前に立って話を始めた。


「あのさ、言いたいことがあって。」


「……覚悟はできています。」


 殿下は顔を赤くしながら私の手を取った。


 ……顔を赤く?


「えっ、ちょっと、お待ちください!!」


「えっ、覚悟はできてるんでしょ?」


「いえ、あの……私を解雇するのでは……?」


「……はぁ??」


 殿下は何故か頭を抱えてため息をついている。


(……もしかして、解雇ではない?)


 そう思っていると、私の視界がぐるりと回って、ベッドの天蓋しか見えなくなった。


 ……天蓋?


 ということは今、私は殿下のベッドに寝転んでいるということではないか。


 だが、自分から寝転んだわけではない。


 では、何故私はこの体制になっているのだろうか。


「ほんっとにさあ、こういう時まで勘違いされると困るんだけど。」


「え……あ……申し訳ございません……?」


 ベッドの天蓋は見えなくなって、今度は視界が殿下の顔でいっぱいになった。


(……えっ!?これって、押し倒されてる!?)


「やっと理解したみたいだね、この状況についてさ。」


「なっ、なんっ、何故!?」


「……好き、だから。」


 殿下の言葉を聞いて、私は固まることしかできなかった。


 好き、と言った?殿下が?誰を?


(……わ、わ、私を!?)


「ええっ!?」


「……今日は表情豊かだね。」


「だ、だって……」


 私のどこに好きになるところがあるというのだ。


 人との関わりも苦手で、社交の場には出ず、引きこもって絵を描き続けていた。


 そんな幽霊のような私を好きだなんて。


(……ドキドキして、本当に幽霊になってしまいそう。)


「……僕の好きなもの、それは君なんだって気づいたんだ。」


「な、何故ですか?」


「最初に会った時、僕と同じだって思ったんだ。この世界の何もかもが楽しくないような、そんなふうに見えて。」


「確かに、あの時は何もかも諦めましたけど……」


「でも、ここに連れてきて、君の絵を見たんだ。それから、君の絵に対する気持ちもね。僕は、うらやましいと思ったよ。」


 うらやましい、とはどういうことなのだろうか。


 才色兼備な殿下には、私にうらやましく思うことなんてないのではないか?


 そう思って口に出そうとしたが、殿下の顔を見てやめた。


 すごく真剣な顔をしていて、横槍は許されない。


 私が割り込んで話せるような隙は、全くなかったのだ。


「君に出会って、僕は世界に色がついたんだよ。」


「色が……?」


「そう、白黒に見えていた世界が、今ではこんなに鮮やかに見える。そして、そんな世界で一番綺麗なのが、サーリャなんだ。」


「私、ですか?」


 心臓の音が耳元で大きく聞こえる。


 私の顔はきっと、林檎のように真っ赤に染まっているだろう。


「私の絵ではなくて……?」

 

「僕の運命好きなものは、君なんだ。君しかいないんだよ、サーリャ。」


 目を合わせてはっきりとそう言われてしまった。


 恥ずかしさが募るばかりで、耐えきれずに顔をそらした。


「……私、ここに来てから、初めてをたくさん経験しました。」


「ふふ、人に告白されて、押し倒されるのは初めてなんだ。」


「……それもありますが。」


 私のことを好きと言ってくれた、本心を明かしてくれた殿下に応えなくてはならない。


 鍵をかけてしまっておいた、私の恋心を、殿下に伝えても罰はくだらないのではないか。


 今がいい、今この気持ちを伝えさせてほしい。


「私、殿下に絵を褒めてもらえて、とても嬉しかったんです。何度も部屋に足を運んでいただいて、絵を描くところを見てくださいましたよね。」


 殿下と見つめ合い、私は恥ずかしさで火を吹きそうになりながらも話を止めなかった。


「最初は気まぐれだと思っていました。私の絵を見つめる横顔が素敵で、私に対しては優しい眼差しを向けて殿下は笑うんです。私はこの人と一緒にいたいって、そう思うようになってしまったんです。」


「……それって、もしかして。」


「はい。私、サーリャ・ド・バストリオンは、殿下のことをお慕いしております……!」


 そこまで言い切ったところで、唇を塞がれてしまった。


 今度は人工呼吸ではなく、ちゃんとしたキス。


「……本当に?本当に僕のことが好きなの?」


「はい、嘘ではありません。」


「は……はは……想いが通じ合うのって、とても素敵なんだね。僕、知らなかったよ。」


「私もです。誰かを好きになり通じ合うことは、こんなに幸福なことなんですね。」


 殿下は私の頬に手を添えると、砂糖菓子よりも甘く微笑んでこう言った。


「……サーリャ、僕のお姫さまになってもらえますか?」


 私は嬉しさと恥ずかしさから、涙を流してこう答えた。


「もちろんです、殿下。」


 すると、殿下は少し不服そうな顔をして、私の頬を撫でた。


「殿下はやだ、ライオネルって呼んでくれる?」


「……ライオネル。」


「ふふ、サーリャ。」


 私達はくすくすと笑い合って、もう一度キスをした。


 ただ、お互いの熱を感じて、恋という欲に溺れていた__

 

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敗戦国の幽霊王女ですが、隣国の気まぐれ王太子殿下に気に入られてしまいました 天音ジーノ @amanegino714

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