第2話 詩篇~星降る深淵(アビス)の福音~

 白夜は、声なき悲鳴だ。


 生まれた時から、世界は白で塗りつぶされている。まぶたを閉じても、網膜の裏は太陽の業火に焼かれ続けた。


 遮光カーテンの隙間から、ナイフのような光線が安息を切り裂く。


 痛い。

 まぶしい。


 光こそが正義とされるこの国で、我は光の聖女として、輝くことを強要される生贄いけにえだ。


 だから――。


 その漆黒を目にした時、私は自分が狂ったのだと悟った


 ***


 吸い込まれるような、闇。


 欠落。虚無。

 あるいは、世界の終わり。


 けれど、なぜだろうか。この暗闇は、どんな宝石よりも澄んでいて、甘い蜜の香りがした。


 ふらつく足で、境界を越える。


 ――瞬間、重力が消えた。


 否、違う。今まで肩にのしかかっていた光という名の鉛が、剥がれ落ちたのだ。


 肌を撫でる風は、絹の感触。

 鼓膜を震わせるのは、葉擦れという名の優しい子守唄。視界を満たすのは、白ではなく、ビロードのような深藍しんらんだ。


 あぁ、ここは――ここは、母の胎内なかだ。


 目の前に、影をまとった男が立っている。


 彼は何も言わない。

 ただ、少し困ったように眉を下げ、そこにある『底なしの沼』を指差した。  


 ……よく見れば、それはベッドだった。


 私は、糸が切れた人形のように倒れ込む。


 受け止められる。


 沈む。

   沈む。

    どこまでも、深く。


 背中を包む柔らかさは、かつて忘れてしまった遠い記憶。頭上に広がるのは、偽物の天井ではなく、本物の銀河。


 またたく星々が、もう頑張らなくていいと、光の信号を送っている。


 思考が溶ける。聖女としての責務も、民衆の期待も、祈りの言葉も。すべてが夜の底へ沈殿し、私という輪郭が曖昧になる。


 怖いほどの、幸福。

 死に似た、安らぎ。


 意識の灯火ともしびが、ふつり、と消えるその寸前。私は聞いた気がした。


 どこか懐かしい声が、私の魂に蓋をする音を。


「――よい、夢を」


 そして私は、生まれて初めて、世界から切り離された。

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沈まぬ太陽の国で、僕は『夜』と『星空』を育てる農家になります。~光属性過多の異世界、闇属性(外れスキル)の俺だけが〝安眠〟を提供できる~ 冬海 凛 @toshiharu_toukairin

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