ミルクドリーム

たなべ

ミルクドリーム

 その日、学校から帰る時にコウが田んぼのそばで拾ったものは石だった。

 なんの変哲もない真っ白な小石。

「きれい」

 陽に当てると、キラキラと光る粒が眩しくきらめく。

 コウはどうしてもその石が欲しくなり、ズボンのポケットに入れて持って帰った。

 洗濯をする時に、お母さんからポケットに何かを入れたまま洗濯機に服を入れないでねと言われていたので、小石を自分の部屋の机の上に置く。

「おやつよ〜」

 母親が呼ぶ声がした。

 コウは返事をして居間に向かう。後ろの方で何かの気配がした気がしたけれど、気のせいだろうと振り向かなかった。

「今日のおやつはこれね」

 出てきたのは、ロールケーキだった。コウがちょうど食べたかったもの。

「やったあ!」

 フォークを持って大きくすくい取り、口に入れる。甘くて美味しい。

 コウは母親に今日拾った石のことを話し始めた。

「今日ね、学校から帰る時に石を拾ったんだ」

「石?」

「そう、白くてきれいで、陽に当てるとキラキラするんだよ」

「へぇ。その石に不思議な力があったりしてね」

 ふふふと笑う母親は、冗談よと言い、テレビを付けた。

 母親は石には特に興味がなさそうだ。

 コウは、そう言えば、父親の書斎に鉱石図鑑があったことを思い出した。

「お父さんの石の図鑑、借りていい?」

「ん? いいわよ」

 書斎の本棚から図鑑を取り出し、ページを一枚ずつめくっていく。すると、似た石を見つけた。

 コウが拾ってきた石とそっくりだった。

「これ、これだよ! 今日の石! 後でお母さんにも見せてあげる」

 分厚い図鑑を抱えて母親のところに持っていく。

 コウは食べかけだったロールケーキの最後の一口を頬張ると、牛乳を飲み干した。

 図鑑によると、その石はミルクドリームと言って、持っている人が眠っている間に楽しい夢を見せてくれると解説が載っている。

「本当かしら?」

 母親は訝しげにそう言うと、夕飯の準備を始めた。

 コウは部屋に石を取りに行く。しかし、机に置いていたはずの石は、なぜか床に転がっていた。まるで自ら転がったみたいに。

「あれ、おかしいな」

 まあいいか、とコウは石を握りしめて母親の所に戻った。

「これ」

「ほんと、きれいな石ね。つるつるしてる」

「でしょ!」

 興奮しながらコウは部屋に戻ると、石をつまんでまじまじと眺めた。見ただけでは、そこまで不思議な石には見えない。

「どんな夢が見られるのかな」

 今夜は眠るのが楽しみだ。

 いつもは、漫画本を読み、つい寝る時間が遅くなってしまうコウだったが、夕飯を食べてお風呂に入り、パジャマを着ると、またたく間に寝る準備を整えた。


「おやすみなさい」

「あら、今日は早いのね」

「うん、もう寝るね」

「おやすみ」

 両親に挨拶をして、コウは自分の部屋に戻ると、布団にもぐった。何だか今日はやけに眠たくなるのが早い。

 早速うとうとし始めたコウは、いつの間にか眠ってしまっていた。


「コウ! 起きて!」

 翌朝、なかなか目覚めないコウを母親が起こしに来た。

 朝から数えて、母親が起こしに来たのはこれで五度目だった。

 むにゃむにゃと何か言いながら、コウが寝返りを打つ。

 母親が布団をはいでも目を開けず、もしかするとこのまま起きないのではと心配になった母親は、しまいにはコウの身体を揺り動かし始めた。

「コウ、どうしたの、起きてよ……!」

「あれ……お母さん?」

「やっと起きた……もう、びっくりしたじゃない!」

 目の前には涙目の母親の姿があった。

「体はどこも痛くない?」

「うん、大丈夫だよ」

「はぁ……良かった。お昼ご飯だからね」

 もう、お昼?

 コウがそんなに眠るのは久しぶりだった。朝から何度も起こしたと言われたけれど、母親から起こされた感覚もほぼなかった。

「起きたくないぐらいに楽しい夢でも見ていたのかしらね?」

 困った顔で話す母親を見て、コウは先程まで確かに見ていた夢を思い出す。

「うん……」

「案外、あの石の話は本当かもよ」

 そんなことを言いながら台所へ向かう母親の後ろ姿を見て、コウは怖くなった。

 夢の中は温かくて居心地が良かった。まるで、生まれる前に母親のお腹の中にいた時のような。そんな時のことは全く記憶にないはずなのに、コウはなぜだかそう思った。

 夢の中では、大好きな漫画の本が無限に出てくる本棚が現れ、いくら読んでもなくならない。お腹が空けば、大好物のカレーやハンバーグがテーブルに並び、ケーキやアイスも食べ放題だった。極めつけは、身体がふわふわと軽く、眠くならないのだ。

 そこにはちゃんと両親や友達もいた。

 まるで、もう一つの別の世界ができたような感じだった。

 唯一、違和感があったのは、友達も両親も常に笑顔だったというところだろうか。

 夢の中で、喧嘩をしたり怒っているよりは良いと思っていたが、今考えると、そこだけが奇妙だった。

 それでも余りに夢の中が楽しくて、本当に目を覚ましたくなくなるほどだった。

 いや、違う。

 現実で目覚めそうになった時、友達からまだ遊ぼうよと手を握って引き止められたのだ。

 楽しくて、逃れられない夢だった。

 そこだけ時間が止まっているかのようで、ずっと遊んでいられた。

「もう、戻れないかと思った」

 心臓がドキドキとしている。

 あれは本物の不思議な石だったんだ。

 毎日あんな夢を見ていたら、いつかきっと、夢の中でしか生きていけなくなりそうだ。

 現実ではなく、夢の中だけに永遠にいつづける未来があるかもしれないことに、コウの背筋がぞわりとする。

 机の石を見ると、一瞬キラリと光った気がした。


 昼食を食べながら、ぼうっと先程のことを考える。

「お母さん」

「ん?」

「ぼく、食べたらちょっと出かけてくる」

「どこに行くの?」

「あの石があった所」

「そう? 気をつけてね」

 母親はまだ心配そうだったが、玄関まで見送ってくれた。

 コウは石を拾った田んぼに向かう。

 この辺りだったはず。

 拾った時のことを思い出しながら、石を元の場所に返す。コウは誰にもわからないように、土の中に埋めるように置いた。その時、石がまたキラリと光ったような気がした。空を見上げると曇り空だった。陽の光はどこにもなく、どんよりとしている。

 コウは田んぼから足早に離れると、先程の光は勘違いだと思うことにした。


 ミルクドリーム。

 不思議だけれど、怖い石。

 何となく、誰かが見ていそうな気配を感じたけれど、振り向かずに、もと来た道を前へと進む。

 あの石を持っていれば、また楽しい夢の世界へ行けるのかもしれない。

 でも……。


 次は誰にも拾われませんように。

 コウはそう祈りながら家に帰った。

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ミルクドリーム たなべ @nuts_abe

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