第11話 ふぐのすけ

 自分の部屋に戻ると、ふぐの助は、まだサンゴ砂に顔を突っ込んでいた。


「ごはん?」

「さっき食べたでしょ」

「バレたか……」


 悪びれもせずそういうふぐの助に、みおはあきれながら、ちょっと笑った。


「……ふぐの助は、エビ以外だと何が好きなの?」


 さっきのパパの話を思い出しながら、みおは聞いた。ふぐの助は、うーんうーんと唸ってから、勢いよく言った。


「……アカムシ! ザリガニ! あ、それからみおも好きだよ!」


 みおは、食べ物と並べるのはどうなの、と思ったけれど、別に嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、ちょっと嬉しかった。けれど恥ずかしくもあったので、みおは話題を変えた。


「そういえば、明日はフィルターを掃除するんだって」

「フィルターって何?」

「そこの、水槽の上にあるやつ。水の中のゴミを取ってくれるんだって。だから、フィルターの中も、すごく汚れてるんだって」

「そうかぁ。苦労をかけるねぇ」


 ふぐの助が言った。なんだかおじいちゃんみたいだと、みおは可笑しかった。それに、みおは全然、苦労だと思っていなかった。


「今日は水を換えてくれたし、バケツを何回も運ぶの、大変だったでしょ」

「まあ、そりゃ、疲れたけど」


 でも別に、嫌ではなかった。みおはハッとした。

 パパの言う「嫌じゃないこと」は、こんなに近くにあったのだ。

 みおは、机の上にほったらかしていた、パパの雑誌を手に取った。そして「ふぐ飼育の基本を知ろう」というページを開いた。文字ばっかりで、写真がほとんどないページだったので、読み飛ばしていたのだ。

 やっぱり、読めない漢字ばかりだった。みおは本棚から、ずっと使っていなかった国語辞典と漢字辞典を取り出した。そして、少しずつ調べながら、飼育の基本のページを読んだ。時計は、とっくに九時を過ぎていた。


***


 翌日、みおは十時前に起きた。リビングに行くと、ママは休日出勤だとかで、すでにいなかった。机の上には、ラップをしたサンドイッチが置いてあったので、パパと一緒に食べた。


 そして、フィルターの掃除にとりかかった。まずは水槽からフィルターをとりだし、ゴミをキャッチする、ろ材を捨てた。次に、フィルターを分解すると、水槽から少し水を汲んで(当然ふぐの助は跳びはねた)、その水で部品を洗った。水道水を使うと、フィルター内のバクテリアが死ぬから、水槽の水を使うらしい。そして、新しいろ材を入れて、フィルターの掃除は終わった。


 フィルターの中には、ふぐの助の食べ残しが、へどろみたいになってたまっていた。部品は小さかったので、洗うのに苦労した。しかし、別に嫌ではなかった。

 綺麗になったフィルターをセットすると、ふぐの助は嬉しそうにすいすい泳いだ。


「やったー! ありがとう!」

「何か、変わったって感じする?」

「わかんない! わかんないけど、気持ち的にうれしい!」

「なにそれ」


 みおは、ちょっと笑った。そう言えば、フィルター掃除の間、ふぐの助は一言も喋らなかった。


***


 その日の晩ごはんは、パパと二人きりだった。ママはまだ仕事から帰ってこない。

 レトルトのカレーを食べながら、みおがぽつりと言った。


「……わたし、水槽、いやじゃない」

「うん」


 パパは、みおの話を遮らずに、聞いてくれる。


「フィルターを洗うのも、いやじゃなかった。すごく汚れてるかもって聞いた時は、えーって思ったけど、やってみたら、別に洗うのは、普通だった」

「うん」

「いやじゃないことって、意外とある。学校の時は、全部いやだったから。皆が普通にしてることでも、わたしは、いやだったの」

「そうだね。みおはたくさん頑張ったんだね」

「うん」


 みおはまた、目の奥がカッと熱くなって、目の前がにじんだ。


「みおは、お魚は好き?」

「……わかんない」

「いやではない?」

「うん」

「じゃあ、今度水族館に行こうか。そして、たくさんのお魚に会おう」

「うん。パパのお部屋にいるお魚のことも、教えてくれる?」

「もちろん」


 その時、玄関のドアがガチャリと開く音がした。ママが帰ってきたのだ。


「ママは、水槽がいやなんだよね」

「そうだね。ママの意見もまぁ、一理あるけど」

「……でも、やってみないとわからないんだよね」


 みおがそう言うと、パパは気まずそうに笑った。


「いや、実を言うとね、昔、一度水槽一式をプレゼントしたことがあるんだ。一緒に熱帯魚屋にも行って……」

「……やってみていやだったんだ」

「……うん」


 すると、リビングにママが顔を出した。ひそひそと話し合っているパパとみおをみて、不思議そうな顔をしている。


「なんの話をしてたの?」


 また気まずそうに笑うパパ。みおはしばらく考えてから、ママに言った。


「ママ、適材適所、得手不得手、万々歳なんだよ!」


 ママはぱちぱちとまばたきをしてから、なあにそれと笑った。


***


 自分の部屋に戻ると、ふぐの助が跳びはねて「ごはん!」と言った。


「今日は、アサリだよ」

「アサリって何?」


 みおは、ふぐの助に殻付きのアサリを見せた。


「えー、なにそれ、まずそう!」

「食べてみないとわかんないでしょ」

「一理ある!」


 水槽にそっとアサリを入れると、ふぐの助はおそるおそる、殻ごとかじった。


「うまい!」


 がりがりと音がする。今日の昼間に、フグ特集の雑誌を、もう一度しっかり読んだ。フグは歯が伸びるから、定期的に切らないといけない。しかし、みおにはちょっと難しい。かわりに、アサリなどの硬いものをあげて、歯を削るという方法もあるらしい。まだまだ、知らないことがいっぱいだ。


「そういえばみお、好きなものは見つかった?」


 ふぐの助が聞いた。


「……いやじゃないことなら、すこし」

「いやじゃないことって?」

「……フィルター掃除とか」

「ふーん。なんでいやじゃなかったの?」


 確かに。なんで嫌じゃなかったんだろう。思えば結構汚れていた。みおは考えた。


「うーん、汚れてたけど、その汚れって、ふぐの助が出したものだし……それに、掃除したらふぐの助も嬉しいって言ってたし……」

「それって、ぼくが好きってことじゃないか!」


 ふぐの助が、大きな声で言った。みおはぱちくりした。


「……そうなるの?」

「そうなるでしょ! だってそれってつまり、ほかの魚だったらいやだったかもしれないってことでしょ?」

「……それはまあ、やってみないとわからないけど」

「あーもう! まどろっこしいなぁ!」

「まどろっこしいって何?」

「今のこの状況のこと! みおはぼくが嬉しいと嬉しいんでしょ?」

「うん……まあ……」

「ぼくも、みおが好きだし、みおが嬉しいと嬉しいよ!」


 ふぐの助が、ぴょんぴょん跳ねながら言った。あんまり跳ねると、また頭をぶつけるよと思ったけれど、みおはなんだか、むずむずして言えなかった。


「やったじゃん! 好きなもの、あったじゃん!」

「……うん。そうだね。ふぐの助は……けっこう好き」

「やったー!」


 みおがついに認めると、ふぐの助は、跳びあがって喜んで、水槽のフタにゴツンと頭をぶつけた。いつもよりだいぶ、痛そうだった。

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みおとふぐの助の水槽 遠久村夜 @pufferfish

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