第9話 かわいそう?

 いつの間にか、朝になっていた。お風呂にも入らず、電気をつけたまま寝てしまったらしい。ベッドから起き上がると、ふぐの助がぴょんぴょん跳ねた。


「ぼく、昨日晩ごはんもらってない!」


 いけない。水槽の照明もつけっぱなしで、ごはんもあげずに寝てしまった。みおは反省しながら、水槽にエビを二つ入れた。ふぐの助は、物凄い速さで食らいついた。

 時計は、八時を少し過ぎた所だった。とりあえずお風呂に入ろうと思って、みおは階段を下りた。リビングには、何故かパパがいた。


「おはよう」

「パパ、仕事は?」

「休んじゃった」


 ふーんと言って、みおはお風呂場に向かおうとした。


「朝ごはん食べる?」


 パパが後ろから聞いてきた。みおは素っ気なく「食べる」とだけ答えて、お風呂場に向かった。

 お風呂から上がると、パパが朝ごはんを準備してくれていた。バターをぬったトーストに、インスタントのコーンポタージュ、はちみつ入りのヨーグルトが机の上に並べられていた。


「ごめんね、パパ料理できないから」


 パパが申し訳なさそうに言った。みおは「ううん」とだけ返事をして、黙って食べた。パパも何も言わなかった。


「そうだ、この後、また熱帯魚屋さんに行こうか」


 おおかた食べ終わったところで、パパが言った。


「なんで?」

「フグのごはんを買わなきゃ」

「ふぐの助」

「え?」

「フグの名前、ふぐの助」


 そう言うと、パパはちょっと嬉しそうな顔をした。


***


 朝ごはんを食べ終わると、みおとパパは、また車で二十分ほどかけて、あくあしょっぷに向かった。道中、みおはずっと無言だったし、パパも何も聞いてこなかった。

 店長さんは、今日も魚のTシャツ姿だった。みおの姿を見ると「フグ元気?」と聞いてきた。


「ふぐの助だよ。元気」


 そう答えると、店長さんは一瞬面食らったみたいな顔をして、「いい名前だあ」と言って笑った。


「本日は何をお求めで?」

「ふぐの助のごはん」


 パパが答えるより先に、みおが答えた。店長さんは、よしよしと言って、お店の奥から色々持ってきてくれた。


「クリルと冷凍アカムシ。この辺は食いつきがいいと思う。こっちは人口飼料。バランスが整っているから、できればこっちの方がいいと思うんだけど、もしかしたら食べないかもしれない。どうする?」

「全部ください」


 今度は、みおが答えるより先に、パパが答えた。なんだか面白くて、みおはちょっと笑ってしまった。


***


「ふぐの助って、しゃべるんだよ」


 帰りの車の中で、みおが言った。パパはとくに驚かなかった。


「どんなことをしゃべるの?」

「同じなんだって。わたしもふぐの助も」

「同じ?」

「うん。ママがね、お魚は一生狭い水槽に閉じ込められて、かわいそうって言ったの。ふぐの助にその話をしたら、ずっと家にいるわたしも一緒じゃないかって」


 少しの間、パパは黙った。みおは、車の窓を開けた。夏の暑い空気と、セミのじわじわという声が入り込んで来る。


「ふぐの助は、水槽で暮らすことについて、なにか言ってた?」

「万々歳だって」

「ばんばんざい」


 パパは、ちょっと笑った。


「敵もいないし、ごはんも貰えるし、万々歳だって言ってた」

「それはまあ、一理あるね」

「わたしもそう思ったの。でもふぐの助もわたしも一緒だって言われた時、じゃあわたしもかわいそうってことになるんだって思って」

「それが嫌だったんだ」

「うん」


 パパは、また少し黙った。セミの声がうるさい。じわじわ。じわじわ。


「みおは、自分のことかわいそうって思う?」


 みおは考えた。今までそんなこと、一度も思ったことはなかった。


「思ってない。でも人にかわいそうって思われるのは、いやだ」

「そうだね。かわいそうって、いやな言葉だね」


 それ以上、パパは何も聞いてこなかったので、みおも何も言わなかった。車の中はまた、セミの声だけになった。でもあんまり、嫌じゃなかった。


***


 家に帰ると、みおはすぐ自分の部屋に向かった。パパは、食べるものが何もなかったことを思い出して、お昼ごはんの買い物に行った。


「ただいま」


 自分の部屋のドアを開けると、ふぐの助が勢いよくフタに頭をぶつけた。


「びっくりさせないでったら!」

「逆に聞きたいんだけど、どうすればあなたはびっくりしないの?」

「それは……わからない……」


 わからないんだ。みおはちょっと笑った。

 レジ袋から買ったものを取り出していると、ふぐの助が「それなに?」と聞いてきた。


「ふぐの助のごはん」

「くれっ!」


 ふぐの助が、水面でばしゃばしゃした。


「でもさっき、朝ごはん食べたでしょ」

「昨日晩ごはんくれなかっただろ! その分!」


 食い意地の張ったやつだ、と思ったけれど、そう言われると何も言い返せなかった。


「じゃあ、ちょっとだけだよ」


 どれにしようか迷って、みおは人口飼料の袋を開けた。細長いドッグフードみたいなやつが、たくさん入っている。変な匂いがした。

 一粒だけ取り出して、水槽に入れると、ふぐの助は一口だけかじってぺっと吐き出した。


「まずい!」

「ええ……」


 そしてまた、水面でばしゃばしゃと駄々をこねた。


「好き嫌いしちゃダメなんだよ」

「だってこれ、変な匂いするじゃん!」

「……それはまあ、わかる」


 仕方なく、みおは冷凍アカムシを取り出した。赤いキューブ状になっていて、ぱっと見ただけでは虫だとわからない。思っていたより気持ち悪くなかった。水槽に入れると、ふぐの助はすごい勢いで食らいついた。


「これは、いける!」

「ならよかった」


 キューブ状だったアカムシは、水に溶けると、ばらばらと小さいミミズみたいになった。さっさと食べきってほしいな、とみおは思った。

 残ったアカムシは、リビングの冷凍庫に入れた。なんとなくママが嫌がりそうな気がしたので、できるだけ下の方に隠した。


 部屋に戻ると、ふぐの助は夢中でサンゴ砂をほじくり返していた。


「なにしてるの?」

「食べ残しがないか調べてる!」


 やっぱり食い意地がはっている。ふぐの助は、サンゴ砂を口に含んでは吐き出してを繰り返している。他に敵もいないから、ゆっくり時間をかけて端から端まで。


「水槽って、いいよね」


 ぽつりとみおが言った。


「おっ、わかる?」

「うん。敵がいないし、ご飯も食べさせてもらえるし」

「だろー!」


 砂からがばっと顔を出して、ふぐの助が笑った。

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