第2話 名前のない距離
朝の廊下は、まだ少し眠っているみたいに静かだった。
教室へ向かう途中、窓際に並ぶ別クラスの前を通る。
――いた。
自分でも驚くほど、すぐに見つけてしまった。
彼女は窓側の席に座って、ノートを開いている。
同じ制服、同じ校舎。
それなのに、少し遠い。
目が合いそうになって、慌てて視線を逸らした。
……見てたわけじゃない。
ただ、たまたま。
そう言い訳しながら、自分の教室に入る。
授業中も、
ノートを取る手がどこか落ち着かなかった。
――シクラメン。
――内気な愛情。
昨日聞いた花言葉が、
消えずに残っている。
昼休み、先生に呼ばれて別棟へ向かう途中、
また彼女とすれ違った。
「あ」
ほぼ同時に、声が出る。
「おはよ……じゃないか。もう昼だね」
少し笑って言う彼女は、
昨日と何も変わらない。
「うん」
短く返すと、彼女は気にした様子もなく続けた。
「昨日言ってたとこさ、課題。
ちょっとだけ教えてほしいんだけど」
勉強。
いつもの理由。
「いいよ」
廊下の端で、並んでノートを覗く。
肩が触れそうで、触れない距離。
「ここはさ……」
説明しながら、
彼女の横顔を見ないようにした。
意味を考えたら、
何も言えなくなるから。
「ありがと」
そう言って、彼女は小さく頭を下げた。
「ほんと、優しいよね」
その一言が、
胸の奥に残る。
違う。
誰にでも、こうなんだ。
放課後、昇降口で靴を履き替えていると、
遠くで彼女が友達と話しているのが見えた。
楽しそうに笑う声。
その中に、僕はいない。
それでいい。
そのはずなのに。
校舎を出ると、空気は一段と冷えていた。
冬が、確実に近づいている。
名前のないこの距離が、
少しだけ、昨日より近い気がして。
それが気のせいだと、
まだ信じたかった。
花言葉だけが、先に恋を知ってしまった。 @kuragetoneko
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