3話
【
いつからか、この世に現れ、この世の敵として存在していた、邪獣。
その邪獣が出現する赤黒い渦のことを、国際的には『ダークダンジョン』と呼称している。
そして――この国の対邪組織【
邪界は、特定の、何かしらの法則があって存在しているものではない。
あるものは、超高高度の山の頂に生まれる。
あるものは、生身の人間では到底辿り着けない深海に作られる。
そしてあるものは、変哲のない雑居ビルの屋上に存在する。
ただ、一つ。
どの邪界にも共通して言えることはある。
それは、邪獣の巣であるということだ。
いいや、真実そうであるかは、わからない。
なぜならば、邪界も邪獣も、人間の理から外れているからだ。
どこまでいったところで……各国の対邪組織が所有しているあらゆる情報を深く細かく分析したところで、それは『人間が導き出せる範疇に留まるもの』でしかないのだ。現代人にわかりやすく例えるなら、宇宙人の真実なんて実際のところは宇宙人たちにしかわからないということ。どこまでいったって推測で、不確かなのだ。
しかし、わからなかろうが、そこに『在る』という現実は変わらない。
現実がそうなのだから、今を生きている者たちはそれに合わせて対処するしかないのだ。
だから、やれることをやる。
やれることは、邪獣一匹一匹、殺せるものを確実に殺すこと。
ヤツらの巣であるというなら、難しいことなんて考えず、ひたすらに潰すこと。
それだけだ――
「この先、なぁんか臭いますねぇ。ボス部屋って感じぃ~」
ここに至るまで、この邪界で最初に接敵したあの、犬のような頭部で亀のような脚の胴長短足の邪獣を二十三体も討滅した二人の巫女装束は、べったりと赤黒く汚れている。だが、不快感は視覚情報としてあるだけで、現実に衣服が濡れたときのような気持ち悪さはない。この特別な、聖なる力で生成されている装束が、融和してくれているのだろう。
……それも人智を超えたものであるため、すべては憶測でしかないが。
確かに、アクションRPGで言われる『ボス部屋』のようだ。なんというか、今いる場所との、空間の切り替わりを感じる。ここからそこまでの間に、目測で十メートルほどの通路があるから、そう感じるのだろうか。ゲームでも、そういう設計の場面は多い。
「あそこが最奥なら、その通りでしょうね」
邪界の最奥には、ボスと呼んでいい存在がいる。
それまで、その邪界で戦ってきたものとは明らかに異なる、凶悪な個体がいるはずだ。
この国の対邪組織【陽光】に属する我々【巫女】の、邪界に対する責務の一つが、そのボス個体の討滅である。
それを成し遂げることができれば、この忌々しい空間をこの世から消すことが叶うのだ。
これもまた、どういう仕組みでそうなっているのかは、わかっていない。
ボスが消えればそのダンジョンも消えるだなんて、まさしくゲームのようだが……。
まあ、現場にいる人間には……ヤツらを殺すことしか興味のない者には、とことんわかりやすくて好都合だけれど。
「いっつものことながらぁ、ボス部屋前は緊張しますねぇ。うぅぅ~」
日輪が、両手で豊かな胸を抱きながら、ぶるりと震えてみせた。
顔は笑っているし、言葉も軽いから演技かとも思うが、本当に?とは指摘しない。
むしろ、流果は同調してみせた。
「そうね。その緊張感は、いつまでも大切にしなさい。命を守るものだから」
油断、大敵。
油断、愚行。
これまでに多くの巫女仲間が、油断が原因で死んだ。
「この子がどうしてあの程度のヤツに殺されたの……」と、亡骸を前に、殺した邪獣の情報を知らされて、思ったことは一度や二度ではない。
「そっすね、引き締めますっ」
胸を抱いていた両手で自らの頬を軽く叩くと、日輪は緩く息を吐きながら表情を引き締めた。姿勢も、しっかりしている。これで油断から殺されることはないだろう。
「では、行くわよ」
戦闘において最も注意すべきなのは接敵直後だと、流果は思っている。
簡単な話、相手が正体不明だからだ。どのような造形をしているのか、どのような存在の仕方をしているのか、どのような攻撃をしているのか、どのような防御をしてくるのか。そういった、敵の情報が一切ない中でのファーストコンタクトは、極めて危険なのだ。
予期せぬ一撃目で殺される、その危険性はかなり高い……
だから、先陣を切る役目はいつだって、先輩であり一級巫女である自分がやるべきだ。
歩み出した、流果。
その一歩後ろを、日輪が背後を警戒しながらついてくる。
二人は、何事もなく、ボス部屋っぽい空間に出た。
――ヴア、ヴアア、ヴ、ヴ、ヴヴ
聞こえてきたソレは、低い唸り声のような、低い呻き声のような。
のぉそりと、空間の奥で何か大きなモノが揺らいだ。
いる。
いる、確実に。
空間は、広く、薄暗い。
名古屋イチのドーム球場と比べても、二回り小さいくらいだ。
だからこその錯覚か、ソレは大した大きさでないように思えた。
しかし、冷静になれば、わかる。
その体積は、平均的な日本人の何百倍……いいや、そう考えるのもバカバカしいほど。
ソレは、呻き声なのか唸り声なのかをあげながら、不意に揺れるのをやめた。
刹那――咆哮。
口から吐き出された息の風圧なのか、流果も日輪も身を圧され顔を顰める。幸いなのは、臭いは感じられなかったところか。これで口臭もあったら最悪だった。それだけで絶命して……それは言い過ぎだとしても、かなりのダメージを負っていただろう。
ずんずんずんずん、と重く低い地響きを耳障りに奏でながら、その巨影は動いた。
全容を目視できるようになったのは、距離が縮まったからか。
「うえぇ、きもぉ、頭なぁんこあんのよ」
「これまでのが小型犬で、あれは大型犬といった感じね」
「あんなのワンちゃんって言いたくないですぅ~」
今、ヤツはこちらに対して頭部だけ向けていて、身体は横を向いている。
だから、これまでに討滅してきた邪獣を巨大化させたものだと、二人にはわかった。
ただ、まったく同じ形というわけでは、大きくしただけというわけではない。
日輪が不快感丸出しで言った通り、まず、その巨大な頭部が、幾つもの中サイズの頭部の集合体となっているところだ。頭部で頭部を作ったというか、巨大な球体に無数の頭部を張り付けたというか、そういった感じ。その頭部一つ一つは、ここまで相手にしてきた邪獣と同じだ。だから流果は――カノジョも「犬」とは言いたくなかったが――話すうえでわかりやすく、大型犬という言葉を使ったのだ。
そして、その胴も同じく、巨大頭と比較して極めてか細い。とはいっても、全体的に巨大なわけだから、細いといっても人間の感覚からすれば十分に太い。中部電力ミライタワーの真ん中辺りの太さはあるだろうか……なんて流果は考えた。
脚は、小型犬と同じく、亀のようなものだ。ただ、短足とはいえ、五メートルくらいはあるだろう。太さは電柱二本ぶんほどか。それらが、びっしりと、それはもうびっしりと、生えている。
なんとも気持ちの悪い造形だ。
とくにあの顔の集合体はヤバい。それぞれが自我を持っているのか、バラバラに動いているのも不快。そして嫌悪の極致といえるのは、顔に一つずつある巨大な眼がぎょろついていて、その巨大目玉の中にある無数の眼も不規則に蠢いているところ。
まあ、これまで討滅してきた邪獣は、どれも壮絶なまでに気持ち悪かったのだが。
「ヒノワ。あなたは、ここで護りに徹して」
「ボス討伐、まぁた一人でやるんですかぁ~? ウチも戦えますよぉ~」
「わかってる。でも、あなたの一番の役目は、私の補助でしょ」
巫女部隊は基本的に二人一組、攻撃役と補助役で編成される。
この二人では、百合乃流果が攻め手で、日織日輪が守り手だ。
日輪が存命でさえあれば、死なないかぎりは戦える。
それだけカノジョの回復の術は強いのだ。
「わかりました。でもでも、ケガ、しないようにしてくださいね?」
「ありがとう。善処するわっ」
言い切ると同時、流果は駆け出す。
空間が広いとはいえ、敵が向かってきている以上こちらからも詰めなければ、戦闘に日輪も巻き込んでしまうから。
……図体が大きいなら、一息に潰すか、切り刻むか、かな。
駆けながら、戦術を練る。
光術という聖なる力には、巫女によって使える種類がある。
そして巫女によって、その強さ――内容は異なる。だいぶ違いがある人たちもいれば、それほど遠くない人たちもいる。その点、流果と日輪は、内容に結構な違いがあるほうだ。
流果が現状で使えるのは、全部で五種類。
今、手にしている薄青刃の純白刀が『
そして、残りの四つの中には、高火力の一撃を誇る力もあれば、敵を切り刻む連続攻撃タイプの力もある。幾つかを同時に発動することだって可能だ。
ただ、光術の発動には、体力のように、限度がある。
ゲームでいう、MPや精神力といった「使えば減る」数値のようなものがあるのだ。
光術を使えば使うほど、その数値はゲームのように、異世界系アニメのように、ステータスとして目視はできないけれど、確実に減っていく。そして減れば減るほど、使える光術は限られていき、やがて一つも、一度も発動できなくなるのだ。
だから、考えて使わなければならない。
使い切ってしまえば、もう、戦うことはできないのだから。
……見たところ単体だけれど、複数いる危険性もある。だったら、抑え目で。
流果が戦術を決めるのと同時、ひと際強い咆哮があがった。
顔が複数あるからか、合唱だ。そしてその口は、声がなくなったあとも開き続けている。
となれば……と考えたカノジョの脳裏に浮かぶのは、もちろん小型犬のアクション。
あれの攻撃パターンのメインは、開いた口から伸ばしてきた手。
そして今、顔のどれもこれもが、パックリ口を開いている。
「光術、三の法――
もう少し本体に接近して発動したかったが、あの口すべてから想定通りに手が襲い掛かってくるとしたら、発動のタイミングとしては今だ。弾幕攻撃に対処するには。
雪が降り始めた。
走り続けている流果を中心とした、半径五十メートルの円の中に。
これは領域だ。雪が降るこの領域の内であれば、一瞬での移動が可能になる。
つまり、範囲限定の瞬間移動ができる、ということだ。
赤黒い犬顔、その大口からやはり伸びてきた、無数の手、手、手手手手手――
見上げる流果の眼には、やはり弾幕だ。
空気を吸い、短く鋭く吐くと同時に、カノジョは消えた。
現れたのは、空中のとある地点。
流果は、サッと、純白の刀を手に向かって振るう。
抵抗なく、断てた。赤黒い血が断面図から噴き出る。
痛みはあるようで、獣のぎゅわん!という短い悲鳴があがった。煩く、耳障りだ。
しかし、心地よい。コイツらの痛みは、こちらにとっての愉悦だ。
残る手がすべて、急激な方向転換をし、すでに宙を重力に従って落ち始めていた流果に襲い掛かる。
フッと小さく笑んだカノジョは、宙にあるにもかかわらず、踏み切る足場などないのにもかかわらず、再び姿を消した。今ここにも、白光の結晶は降っている。
パッと現れ、サッと断つ。
サッと断って、パッと消える。
パッ、サッ――パッ、サッ――パッ、サッ――
繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し――
やがてそこに、赤黒い体液の豪雨が降った。
地面に留まっている流果は、一身にその
赤黒く染まるその顔には、狂気的な笑み。
あるのは、邪獣という怨敵を血祭りにあげているということへの喜悦。そして、幾ばくかの、けれど確かな、寂しさや悲しさ……矛盾。
殺さなければならないし、殺してやりたい。
けれど。
どれだけ殺したところで、もう、喪ったものは戻らない。
愛はない、という虚ろな現実だ。
醜悪な雄叫びが、流果の意識を塗り替える。
複雑に絡み合っていた感情は、憤怒と憎悪に染まった。
その顔には『目の前に敵、だから殺す』という、現実的思考が宿る。
流果は、消えた。
刹那――現れたのは、叫び続けている巨大頭の頭頂部。
くるりと素早く刀を持ち替え、切っ先を下に。
全身を使って、背伸びまでして、思い切り振り被った刀を突き刺した。
吠え声が一層強くなり、ドタバタと暴れ出す邪獣。
流果は刀を抜き取ると、何度も何度も何度も何度も何度も何度も――突き刺し続けた。
返り血は、おびただしい。
どれほど突き刺したときか、ぐぅらりと赤黒い巨体が揺らいだ。
しかし、完全に絶命するまでは、攻めを止めてはならない。
雪の降る中、姿を消した流果は、巨体のあちこちに現れては、ひたすらに刀を振った。
次の更新予定
2025年12月27日 11:00
ダークダンジョン攻略戦線の乙女たち 富士なごや @fuji29nagoya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ダークダンジョン攻略戦線の乙女たちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます