【第1章:神のいない場所《サイド6》で】

 神話サーガを殺すための手順は、物語のカメラをから、卑近なへと強引に引きずり下ろすことだ。


 富野由悠季が描いてきた『機動戦士ガンダム』は、常に壮大な大河ドラマクロニクルだった。

 地球連邦とジオン公国という国家間のイデオロギー対立。宇宙艦隊の陣形。そして人類の革新を問うニュータイプ論。

 カメラは常に戦況全体を俯瞰し、アムロやシャアといった英雄たちは、世界の運命を背負って戦っていた。そこでは個人の死さえもが、歴史を変えるための悲壮な生贄として意味を与えられていた。


 だが、一九八九年の『0080』は、その壮大さを冒頭から冷徹に拒絶する。

 物語の舞台となるのは、「サイド6」のリボー・コロニー。戦争とは無縁の平和な場所。

 ここに、ギレン・ザビの演説は届かない。白いモビルスーツの伝説も噂話に過ぎない。

 あるのは退屈な学校の授業、不味いファストフード、PTAのヒステリックな声、そして別居寸前の両親の気まずい食卓だけだ。


 高山文彦監督らスタッフ陣は、戦争という怪物をこの「半径五キロメートルの日常」に閉じ込めることで、富野的なロマンティシズムを窒息させようと試みた。

 世界を救う戦い?そんなものはニュースの中の出来事だ。

 ここにあるのは、隣の家に住む美人のお姉さんと、裏山に墜ちてきた怪獣ザクだけの物語である。


 この閉塞した世界でカメラのレンズとなるのが、主人公の少年、アルだ。

 彼は、アムロやカミーユの系譜に連なる「戦争に巻き込まれた被害者」ではない。

 アルは、安全圏から無邪気に戦争を消費しようとした、残酷なである。


 その罪深さを如実に物語るシーンがある。

 第一話、アルが勉強していると嘘をつき、隠れて携帯ゲーム機に熱中する場面だ。

 母親が体操服を持って部屋に入ってくると、彼は慌てて教科書を広げる。そして母親が出ていった直後、再びゲーム画面に向かい、溜まった鬱憤を晴らすかのように狂った行動に出る。


 「ハイ! ハイ! ハイ!」


 彼は虚ろな瞳でそう連呼しながら、本来なら避けるべき障害物――病院や民間施設と思われるアイコン――を、手当たり次第に撃ちまくり、破壊し始めるのだ。

 ここにあるのは「ゲームオーバーへの恐怖」ですらない。ただひたすらに破壊することで得られる「快感」と「ストレス解消」だ。


 アルの瞳には、現実の戦争もまた、このゲームの延長線上に映っていたはずだ。

 日常の鬱屈を、派手なドンパチが吹き飛ばしてくれる。病院が燃えようが学校が壊れようが、それは自分の心をスッキリさせてくれるイベントでしかない。

 自分が呼び寄せた戦争が、現実のを伴うことへの想像力は完全に欠落している。

 彼は無垢イノセントだ。だからこそ、最高に凶暴だ。


 アルは信じていたのだろう。戦争は楽しい「スコア稼ぎ」だと。

 だが現実は残酷だ。後に彼が目撃することになるザクの残骸は、デジタルな光となって消えてはくれない。ミンチになってしまった友人の死体は、彼の部屋のゲームのように電源を切れば終わるものではない。

 この「暴力の代償」への無知こそがアルの罪であり、ブラウン管の前で他国の爆撃映像を見て「凄え!」と興奮していた、当時の私たち自身の野蛮さそのものだったのだ。


 この作品における「戦争」は、敵国からの侵略ではない。

 退屈な日常を破壊してくれる刺激を求めた少年アルの祈りが、皮肉にも最悪の形で叶えられてしまった結果なのだ。

 ゆえに本作は「少年の成長物語」などではない。

 安全な観客席に座っていたはずの人間が、ふいにスクリーンから伸びてきた腕によって戦場の泥沼へ引きずり込まれ、二度と戻らない喪失ゲームオーバーを突きつけられるまでのの記録である。


 視聴者よ、アルを笑うな。

 高精細な映像で描かれる「カッコいい戦争」を期待して『0080』のビデオパッケージを手に取った一九八九年の君たちこそが、画面の中のアルフレッドなのだ。

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