富野由悠季が殺せなかったガンダムを、誰が殺したのか? ――『ポケットの中の戦争』が遂行した父殺しの全記録

すまげんちゃんねる

【序章:巨人の足元、凍てつく1989年】

 昭和が終わり冷戦構造が崩壊したこの年は、日本のロボットアニメ史においても一つのが凍てつき、終わろうとしていた分水嶺ぶんすいれいだった。

 一九七九年の『機動戦士ガンダム』というビッグバンからちょうど十年。

 この十年間とは、一言で言えばである。


 あまりに残酷な事実だが、誰よりもガンダムを殺し、終わらせようとしていたのは、富野由悠季その人だった。

 『機動戦士ガンダム』の成功以降、彼は呪いのように付きまとう「ガンダム」の影から逃れるべく、死に物狂いのゲリラ戦を展開していたのだ。


 一九八〇年、『伝説巨神イデオン』で宇宙ごと世界のリセットを試み、『戦闘メカ ザブングル』ではガンダムの重力を笑い飛ばし、『聖戦士ダンバイン』では舞台を異世界へ移して機械文明を否定した。


 だが結論から言えば、すべて敗北した。

 作品としての質がいかに高くとも、商業という名の怪物モンスターは決して首を縦には振らなかったのだ。「素晴らしいですね、富野さん。でも僕らが売りたいのはガンダムなんです」。

 イデオン・ソードの無限力をもってしても、資本主義のチェーンは断ち切れなかった。

 その敗走の果てに、彼は屈辱にまみれながら『機動戦士Zガンダム』(一九八五年)のコックピットに舞い戻ることになる。


 戻ってしまった神は、もはや狂気を演じるしかなかった。

 彼は『Z』で主人公を精神崩壊させ、『逆襲のシャア』(一九八八年)で地球に小惑星を落とそうとした。

 「見てみろ、英雄なんていない。戦争は地獄だ、人間は愚かだ!」

 彼は作品を通して絶叫し続けた。しかし皮肉にもその叫びすらも、飢えたファンたちは「富野節、最高にかっこいい!」「これぞ大人のガンダムだ!」と熱狂的に消費した。

 創造主クリエイターが暴れれば暴れるほど神殿ガンダムビジネスは強固になり、信者は増え、おもちゃは売れた。殺したいのに殺せない。この巨大なパラドックスこそが、八〇年代末のガンダムを取り巻く空気の正体である。


 そんな閉塞した時代の最奥から、ひっそりとリリースされた一本のOVAオリジナル・ビデオ・アニメーションがある。

 『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』。

 監督・高山文彦、脚本・山賀博之、メカニックデザイン・出渕裕。

 そこに「富野由悠季」の名前はなかった。彼らはガンダム神話の洗礼を受けた「次の世代」のクリエイターたちだ。


 『0080』のスタッフたちが企てたのは、富野のように正面から「ガンダムを超える物語」を作ることではなかった。

 彼らが実行したのはもっと静かで、知能的で、そして残酷な「暗殺アサシン」だ。

 すなわち、全能の神・富野由悠季ですら殺すことができなかった「ガンダムという英雄幻想」を、彼に代わって殺害介錯することである。


 彼らはいかにしてそれを成し遂げたのか。

 なぜ最新鋭ガンダム「アレックス」はあんなにも恐ろしい姿をしているのか。

 なぜ主人公機は最弱の「ザク」でなければならなかったのか。

 そしてなぜバーニィは「無意味な死」を遂げなければならなかったのか。


 それは、後の一九九三年に富野が『Vガンダム』で見せることになる「虚無への突入」すらも先取りした、恐るべき予言書プロフェシーであった。


 さあ、一九八九年のクリスマスへ還ろう。

 雪の降らないサイド6で起きた、僕たち共犯者パートナーの物語へ。

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