第5話 心の壁

 二週間が経った。

 

 アレンのリハビリは、確実に成果を上げていた。右手の感覚は徐々に戻り、指がわずかに動くようになった。左手での剣の扱いも、日に日に上達している。歩行も、以前より安定してきた。

 

 でも、私には気がかりなことがあった。

 

 アレンは、過去の話を一切しないのだ。

 

 魔王との戦いのこと。失った仲間のこと。そして、自分の心の傷のこと。

 

 身体の傷は、リハビリで癒せる。でも、心の傷は、もっと深いのかもしれない。

 

 ある朝、リハビリを終えた後、私はアレンに尋ねてみた。

 

「アレンさん、魔王との戦いのこと、話してくれませんか」

 

 アレンの表情が、一瞬で固くなった。

 

「...なぜ、それを聞く」

「知りたいんです」

「...」

「アレンさんが、どんな戦いをしてきたのか」

 

 アレンは、窓の外を見た。

 

「話す必要はない」

「でも」

「過去のことだ」

 

 アレンは、立ち上がった。

 

「今日のリハビリは、これで終わりだ」

「アレンさん」

「帰ってくれ」

 

 冷たい声だった。

 

 私は、それ以上何も言えず、部屋を出た。

 

 廊下で、ため息をついた。やはり、心の傷は深い。簡単には、開いてくれない。

 

 でも、身体だけでなく、心も癒さなければ、本当の回復にはならない。

 

 午後、私はガルドを訪ねた。訓練場で、相変わらず剣の素振りをしている。

 

「ガルドさん」

「おお、水野殿」

 

 ガルドは、剣を置いた。

 

「どうしました。深刻な顔をして」

「アレンさんのことで、相談があって」

「アレンが?」

 

 私たちは、訓練場の隅に座った。

 

「アレンさん、過去の話を全くしないんです」

「...ああ」

 

 ガルドは、頷いた。

 

「あいつは、あの戦いのことを、誰にも話さない」

「なぜですか」

「...辛すぎるからだろう」

 

 ガルドは、遠くを見た。

 

「魔王との戦いで、俺たちは多くの仲間を失った」

「...」

「特に、アレンは、自分を責めている」

「自分を」

「ああ」

 

 ガルドは、重々しく語り始めた。

 

「俺たちのパーティーは、元々七人だった」

「七人」

「ああ。アレン、俺、リーナ、そして他に四人」

 

 ガルドは、一人一人の名前を挙げた。

 

「剣士のエリック。弓使いのセリア。魔法使いのユリウス。そして、盾役のバルド」

「...」

「みんな、優秀な戦士だった」

 

 ガルドの声が震えた。

 

「でも、魔王の城への道のりで、一人、また一人と倒れていった」

「...」

「エリックは、魔物の群れから俺たちを守って」

「...」

「セリアは、罠にかかった俺たちを助けて」

「...」

「ユリウスとバルドは、魔王の幹部との戦いで」

 

 ガルドは、拳を握った。

 

「最後、魔王の前に立てたのは、アレン、俺、リーナの三人だけだった」

「そうだったんですか」

「ああ。そして、魔王は想像を絶する強さだった」

 

 ガルドは、古い傷跡に触れた。

 

「俺は、最初の一撃で倒された」

「...」

「リーナも、魔力を使い果たして倒れた」

「...」

「最後は、アレン一人だった」

 

 ガルドの目から、涙がこぼれた。

 

「アレンは、満身創痍で戦い続けた」

「...」

「仲間の分まで、と」

「...」

「そして、最後の力を振り絞って、魔王を倒した」

 

 ガルドは、顔を覆った。

 

「でも、その代償は、あまりにも大きかった」

「...」

「アレンは、仲間を守れなかったと、自分を責めている」

「...」

「自分がもっと強ければ、みんなを守れたと」

 

 私は、胸が痛くなった。

 

 アレンは、身体だけでなく、心にも深い傷を負っていた。

 

 生存者の罪悪感。

 

 私も、患者さんを看取る時、何度も経験した。なぜ、もっと早く気づけなかったのか。なぜ、もっとできることがあったんじゃないか。

 

 でも、それは、自分を責めることではない。精一杯やったことを、認めることが大切だ。

 

「ガルドさん」

「...」

「アレンさんに、それを伝えたことは」

「何度もある」

 

 ガルドは、首を振った。

 

「でも、あいつは聞かない」

「...」

「自分を許せないんだ」

 

 私は、少し考えた。

 

「わかりました」

「...」

「私から、話してみます」

「本当か」

「はい」

 

 私は、立ち上がった。

 

「アレンさんの心も、癒したいんです」

 

 その夜、私は再びアレンの部屋を訪ねた。

 

 ノックをすると、不機嫌そうな声が聞こえた。

 

「誰だ」

「水野です」

「...今日は、もう終わっただろう」

「お話ししたいことがあって」

 

 しばらく沈黙があった。そして、ドアが開いた。

 

「何の話だ」

 

 アレンは、相変わらず冷たかった。

 

「少し、時間をもらえますか」

「...」

 

 アレンは、ため息をついて、私を部屋に入れた。

 

 二人で、椅子に座った。

 

「それで、何の話だ」

「アレンさん」

「...」

「ガルドさんから、聞きました」

 

 アレンの顔が、強張った。

 

「何を」

「魔王との戦いで、失った仲間のこと」

「...」

「そして、アレンさんが自分を責めていること」

 

 アレンは、立ち上がろうとした。

 

「その話は、したくない」

「待ってください」

 

 私は、アレンの腕を掴んだ。

 

「お願いです。聞いてください」

「...」

「私も、同じ経験をしたことがあります」

 

 アレンは、私を見た。

 

「患者さんを、看取る時」

「...」

「私も、自分を責めました」

 

 私は、山本さんのことを思い出した。

 

「もっと早く気づけば、もっとできることがあったんじゃないか」

「...」

「なぜ、救えなかったのか」

 

 私は、アレンの目を見た。

 

「でも、先輩が教えてくれました」

「...」

「自分を責めることは、その人の人生を否定することだと」

 

 アレンは、黙って聞いていた。

 

「アレンさんの仲間は、自分の意志で戦ったんですよね」

「...ああ」

「アレンさんを守るために、自分の意志で」

「...」

「なら、その選択を、尊重してあげてください」

 

 私は、アレンの手を握った。

 

「アレンさんが自分を責めることは、仲間の選択を否定することです」

「...」

「仲間は、アレンさんが生きることを望んだんです」

「...」

「だから、アレンさんは生きて、仲間の分まで生きてください」

 

 アレンの目から、涙がこぼれた。

 

「俺は」

 

 アレンの声が震えた。

 

「俺は、弱かった」

「...」

「もっと強ければ、みんなを守れた」

「いいえ」

 

 私は、首を振った。

 

「アレンさんは、精一杯戦いました」

「...」

「そして、魔王を倒しました」

「...」

「それは、仲間と一緒に成し遂げたことです」

 

 アレンは、顔を覆って泣いた。

 

 初めて見る、アレンの涙だった。

 

「俺は、怖かったんだ」

「...」

「一人になることが」

「...」

「仲間を失って、一人で生き残って」

 

 アレンは、震える声で言った。

 

「それが、怖くて、城に閉じこもった」

「...」

「誰とも会わないで、過去を忘れようとした」

 

 アレンは、私を見た。涙でぐしゃぐしゃの顔で。

 

「でも、お前が来てくれた」

「...」

「お前は、俺を諦めなかった」

「...」

「希望を、くれた」

 

 アレンは、私の手を握り返した。

 

「ありがとう」

 

 私も、涙が止まらなかった。

 

「アレンさん、もう一人じゃないです」

「...」

「私がいます。ガルドさんも、リーナさんも、エリーゼ様も」

「...」

「みんな、アレンさんを大切に思っています」

 

 アレンは、頷いた。

 

 その夜、私たちは長い時間、話をした。

 

 アレンは、仲間のことを話してくれた。一人一人の思い出を。楽しかったこと、辛かったこと、すべてを。

 

 そして、魔王との戦いのことも。どれだけ恐ろしかったか。どれだけ必死だったか。

 

 すべてを吐き出して、アレンは少し楽になったようだった。

 

「水野」

「はい」

「お前に、会えてよかった」

「...」

「お前がいなければ、俺はずっと、あの部屋に閉じこもっていただろう」

 

 アレンは、窓の外を見た。

 

「でも、お前が来てくれて、俺は変わることができた」

「...」

「前を向くことが、できた」

 

 アレンは、私を見た。

 

「ありがとう」

 

 私は、微笑んだ。

 

「どういたしまして」

 

 その日から、アレンは変わった。

 

 笑顔が増えた。リハビリにも、より積極的になった。そして、ガルドやリーナとも、よく話すようになった。

 

 心の壁が、少しずつ、崩れていった。

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