第4話 小さな一歩
リハビリが始まって、三日が経った。
毎朝、私はアレンの部屋を訪ねた。最初は嫌そうな顔をしていたアレンも、三日目には諦めたように受け入れてくれた。
「おはようございます」
「...ああ」
アレンの返事は、相変わらず素っ気なかった。でも、以前より、少しだけ柔らかくなった気がする。
「今日も、頑張りましょう」
「...ああ」
私は、リハビリのメニューを説明した。
まず、関節可動域訓練。右腕の関節を、ゆっくりと動かしていく。これは、関節が固まらないようにするための訓練だ。
「痛かったら、言ってください」
「...わかった」
私は、アレンの右腕を持って、ゆっくりと曲げ伸ばしをした。肩、肘、手首。一つ一つ、丁寧に。
「痛いですか」
「...少し」
「ここは」
「大丈夫だ」
アレンは、歯を食いしばって耐えていた。プライドが高いから、痛くても言わないんだろう。
「アレンさん、無理しないでください」
「...」
「痛みを我慢すると、かえって悪化します」
「...わかった」
次に、筋力トレーニング。といっても、この世界には、ダンベルもチューブもない。
私は、水を入れた革袋を用意した。これが、即席のダンベルだ。
「これを、左手で持ち上げてください」
「左手を鍛えるのか」
「はい。右手が使えない分、左手を強くします」
アレンは、革袋を持ち上げた。何度も、何度も。
「十回、できましたね」
「...ああ」
「次は、肩の訓練です」
私は、様々なメニューを用意していた。この世界の道具で、できる限りのことを。
一時間のリハビリが終わる頃には、アレンは汗だくになっていた。
「お疲れ様でした」
「...ああ」
アレンは、息を整えた。
「これで、本当に良くなるのか」
「はい」
「...」
「すぐには変わりません。でも、続ければ、必ず」
アレンは、窓の外を見た。
「俺は、待つのが苦手だ」
「...」
「剣を握りたい。今すぐに」
アレンの声には、焦りがあった。
「アレンさん」
「...何だ」
「焦らないでください」
「...」
「リハビリは、時間がかかります」
私は、アレンの隣に座った。
「でも、必ず前に進んでいます」
「...」
「今日より明日。明日より明後日」
私は、微笑んだ。
「少しずつでも、前に進んでいるんです」
アレンは、何も言わなかった。ただ、窓の外を見ていた。
午後、私はガルドに頼んで、木製の訓練用の剣を作ってもらった。
「こんなものでいいかな」
「はい、完璧です」
木剣は、軽くて扱いやすい。これなら、左手でも振れるだろう。
「これで、アレンに剣の訓練をさせるのか」
「はい」
「...良いアイデアだ」
ガルドは、嬉しそうに笑った。
「あいつ、剣を握れれば、少しは前向きになるかもしれん」
「そう思います」
夕方、私は再びアレンの部屋を訪ねた。
「アレンさん、これを」
私は、木剣を差し出した。
アレンは、驚いた顔をした。
「これは」
「訓練用の剣です」
「...」
「左手で、振ってみてください」
アレンは、ゆっくりと木剣を受け取った。左手で、握る。
そして、立ち上がった。
アレンは、木剣を構えた。久しぶりの感触だろう。その目に、光が戻った。
「振ってみてください」
アレンは、ゆっくりと木剣を振った。
でも、バランスが悪い。右足が不安定で、ふらついた。
「くそ」
アレンは、悔しそうに言った。
「やはり、無理だ」
「いいえ」
私は、アレンの前に立った。
「今は、まだ慣れていないだけです」
「...」
「練習すれば、必ずできるようになります」
私は、アレンに姿勢を教えた。
「左手で握る時は、こう」
「...」
「足の位置は、こう」
「...」
「重心は、左足に」
アレンは、私の指示に従って、姿勢を整えた。
「では、もう一度」
アレンは、木剣を振った。
今度は、少しバランスが良くなった。
「いいですね」
「...」
「もう一度」
アレンは、何度も何度も、木剣を振った。
最初は不安定だったけれど、徐々に、安定してきた。
「アレンさん、すごいです」
「...」
「もう、こんなに上達しました」
アレンは、木剣を見た。そして、小さく笑った。
初めて見る、アレンの笑顔だった。
「久しぶりだな」
「...」
「剣を振るのは」
アレンは、窓の外を見た。
「やはり、俺は剣がないと、ダメだな」
「...」
「剣を握っている時だけ、生きている気がする」
私は、アレンの横に立った。
「では、これから毎日、一緒に練習しましょう」
「...ああ」
アレンは、頷いた。
「ありがとう、水野」
初めて、私の名前を呼んでくれた。
そして、初めて、感謝の言葉をくれた。
私は、嬉しかった。
一週間が経った。
アレンのリハビリは、順調に進んでいた。毎日の関節可動域訓練、筋力トレーニング、そして剣の練習。
アレンは、以前より明らかに前向きになっていた。リハビリの時間を待つようになったし、自分から質問もするようになった。
「水野」
「はい」
「右手の痺れが、少し減った気がする」
「本当ですか」
「ああ。指先の感覚が、少し戻ってきた」
私は、アレンの手を取って確認した。
「ここ、わかりますか」
「...ああ、わかる」
「昨日は」
「わからなかった」
私は、嬉しくなった。
「アレンさん、良くなってますよ」
「...そうか」
アレンは、少し照れたように笑った。
その日の午後、エリーゼが城を訪ねてきた。
「水野様」
「エリーゼ様」
「アレンの様子は、いかがですか」
「順調です」
私は、この一週間の変化を報告した。
エリーゼは、涙を流して喜んだ。
「本当ですか」
「はい」
「アレンが、笑うように」
「ええ。剣を握っている時は、楽しそうです」
エリーゼは、胸に手を当てた。
「よかった」
「...」
「本当に、よかった」
エリーゼは、私の手を握った。
「水野様、ありがとうございます」
「いえ、まだ始まったばかりです」
「それでも」
エリーゼは、微笑んだ。
「アレンに、希望が戻りました」
「...」
「それだけで、十分です」
その夜、私は一人で城の屋上に上がった。
星空が、美しかった。この世界の空は、日本より星が多い気がする。二つの月も、神秘的だ。
一週間。
あと三週間で、アレンに明確な変化を見せなければならない。
でも、順調に進んでいる。アレンも、協力的になってきた。
きっと、大丈夫だ。
ふと、後ろで気配がした。
振り向くと、アレンが立っていた。杖をついて、ゆっくりと歩いてくる。
「アレンさん」
「邪魔したか」
「いえ」
アレンは、私の隣に立った。
「星が、きれいですね」
「...ああ」
しばらく、二人で星を見ていた。
「水野」
「はい」
「お前の世界には、戻りたいか」
私は、少し考えた。
「...わかりません」
「...」
「元の世界には、大切な仕事があります」
「仕事」
「はい。患者さんたちが、待っています」
私は、田中さんや川口さんの顔を思い浮かべた。
「でも」
「...」
「この世界にも、大切な人ができました」
アレンは、私を見た。
「アレンさんのリハビリが終わるまでは、ここにいます」
「...そうか」
アレンは、また星を見た。
「俺は、お前に感謝している」
「...」
「希望を、くれた」
アレンの声が、震えた。
「もう二度と、剣を握れないと思っていた」
「...」
「でも、お前は、俺に可能性を見せてくれた」
アレンは、左手を見た。
「左手でも、剣を握れる」
「...」
「右手も、少しずつ、良くなっている」
アレンは、私を見た。
「ありがとう」
私は、微笑んだ。
「どういたしまして」
二人で、また星を見た。
静かな夜。穏やかな時間。
この瞬間が、ずっと続けばいいのに。
そう思った。
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